パイドパイパーハウスの記事でふれた雑誌『宝島』を読み返していて、
76年に開店した吉祥寺のジョージアについても、書いておきたくなりました。
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無垢材の内装が、パイドパイパーハウスにも通じる雰囲気のあるお店で、
ここもデート中に立ち寄れそうな場所だったんですけれど、
じっさいに彼女を連れていったことはありません。
というのは、吉祥寺はレコード屋巡りするお店がいっぱいあって、
レコード探しに集中しなきゃなんないから、
彼女を連れていくわけにはいかないんですよ。
だって、レコ掘りに熱中してたら、デートがそっちのけになっちゃうでしょ。
芽瑠璃堂へ行こうものなら、店の外で彼女を待たせることになっちゃうしね。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2009-12-13
というわけで、吉祥寺へはいつも一人で行っていましたけれど、
ジョージアで買っていたレコードは、開店当初はジャズで、
しばらくしてから、第三世界の音楽がメインになりました。
開店当初に買ったレコードで忘れられないのが、
ダラー・ブランドの“AFRICAN PIANO” です。
ドイツのジャロが出した黒いジャケットで有名な名盤中の名盤ですけれど、
ドイツ盤とは正反対の、真っ白なジャケットのデンマーク盤がジョージアにあったんです。
聞いてみると、こちらがオリジナル盤だと教えてもらって、びっくり。
パイドパイパーハウスで雪村いづみを見つけた時みたいに、即買い直しです。
このデンマーク盤のオリジナルの存在は、当時も今も案外知られていなくって、
教えてくれた山崎さんには感謝しかありません。
開店当初、ロック方面は関心外のレコードしか置いてなかったので、
もっぱらジャズやジャズ・ヴォーカルの棚ばかり見ていたんですが、
のちに第三世界の音楽をプッシュするようになってからは、
その方面ばかり見るようになりました。
第三世界の音楽といっても、いまではピンとこないと思いますが、
手っ取り早くいえば、「ワールド・ミュージック」ですね。
非西欧のポピュラー音楽を指すネーミングで、
76~77年頃から使われるようになったタームです。
きっかけは、ハイチのタブー・コンボの名作『ニュー・ヨーク・シティ』でした。
写真家の浅井慎平がフランスで見つけて日本へ紹介したのがきっかけで、
河村要助が絶賛し、ジョージアがフランスのバークレイ盤を輸入したんですね。
当時ハイチの音楽は、すでに高円寺のアミナダブが、
ソノ・ディスク盤で輸入していましたけれど、
タブー・コンボはバークレイ盤だったせいか、アミナダブにはありませんでした。
オリジナルのアメリカ・ミニ盤が入るのは、もっとずっとあとのことです。
このほか、ジョージアで買った<第三世界の音楽>では、
ジャマイカ盤レゲエが多かったかな。ラス・マイケルとか、ジュディ・モワットとか。
ジュジュのエベネザー・オベイを、イギリス・デッカ盤で入れていたのも、ここでした。
サルサは、恵比寿のディスコマニアや池袋のメモリー・レコードで買うのが
もっぱらでしたけれど、ジョージアでも、プエルト・リコ・オール・スターズのセカンド
“LOS PROFESIONALES” や、ボビー・ロドリゲスの“LATIN FROM MANHATTAN” を
買ったのを覚えています。
あと、ジョージアと同じ通りの並びに、レコード・プラントというレコード屋さんがあって、
ジャズと第三世界の音楽を、競い合うように品揃えしていたっけなあ。
どちらもチェックが欠かせなかったお店でしたけれど、
レコード・プラントで買ったレコードに、
これ!と懐かしく記憶しているものが思い当たらないから、
収穫はジョージアの方が、断然多かったように思います。
[LP] Dollar Brand "AFRICAN PIANO" Spectator SL1005 (1970)
[LP] Judy Mowatt "BLACK WOMAN" Ashandan no number (1979)