アフリカ音楽の巨星がまた堕ちました。
セネガルの生んだ偉大なパーカッション・オーケストラ・リーダー、
ドゥドゥ・ンジャイ・ローズが、8月19日に85歳でお亡くなりになったそうです。
「アフリカ音楽・イコール・太鼓」のイメージは、良くも悪しくも一般的なものですが、
ドゥドゥ・ンジャイ・ローズのナマ演奏を聴いたことがある人なら、
その神がかり的なパーカッション・アンサンブルは、
芸術の域にまで磨き上げられていたことを知っているはずです。
80年代からたびたび来日して、多くのファンを日本に作ったばかりでなく、
ローズのオーケストラに魅せられた若者が、
ダカールへ修行に出かけたほどですからねえ。
太鼓サバールを習いに行った男たちも大勢いましたけれど、
サバール・ダンスに夢中になった女性たちも、
本場へ乗り込みダンス修行してきたものです。
あれから20年、セネガルのヴィデオ・クリップで、
日本人女性がセネガルの民族衣装を着て、
ンバラ・シンガーのバックで踊っているのを目撃するとは、想像だにしませんでしたよ。
話を元に戻して、ぼくがドゥドゥ・ンジャイ・ローズを
<アフリカ音楽の巨星>と呼ぶのをためらわないのは、
彼が民族音楽を超えた音楽家だったからです。
グリオの家系に生まれ、幼い頃から太鼓を叩いていたとはいえ、
セネガル独立前から、ジョセフィン・ベイカーと共演するような開かれた芸歴を持ち、
独立後の60年代にはセネガル国立舞踏団の団長を務めたローズは、
ただの<太鼓のグリオ>に止まっているわけがありませんでした。
その後ローズは、セネガル各地のリズムを総合化する取組みに力を入れ、
サバールのアンサンブルをオーケストラ化していきました。
ローズが生涯かけてクリエイトしたパーカッション・オーケストラは、
こうしてコンテンポラリー・アートの領域にまで高められていったのです。
それはいわば、伝統音楽であっても、民族音楽ではけっしてありませんでした。
その意味で、ローズもタンザニアのフクウェ・ザウォーセと同じく、
民族音楽から出発して、伝統音楽を芸術の域に高めた偉人の一人だったといえます。
ポリリズミカルに舞う切れ味たっぷりのシャープなビートに、
ダイナミックに躍動する多彩なリズムは、
宇宙のリズムと身体の鼓動を共振させるアフリカの美意識を、
ものの見事に体現していました。
ローズのナマ演奏を体験してしまうと、
CDではライヴの迫力にとても及ばず、もどかしい思いをさせられるんですけれど、
ローズのゆいいつの名盤と呼べるのが、97年に日本で制作された2枚組です。
それまでのアンコール盤やリアル・ワールド盤では捉えきれていなかった、
臨場感たっぷりの名演が、ギュー詰めになっています。
日本人がローズの魅力をきちんと理解していたということは、誇りですね。
といっても、今ではこの2枚組はもう廃盤でしょう。ぜひ復活してもらいたいものです。
Doudou Ndiaye Rose 「LAC ROSE」 クレプスキュール・オ・ジャポン CAC0039/40 (1997)