やっぱり、レバノンのジュリア・ブトロス、素晴らしいです。
最初は新作を聴いて、今回は記事を書くのをやめようと思っていたんです。
なんだか、だんだんご立派になっていく感じの歌いぶりに、
共感しづらくなってきたんですね。
今回もプラハ市交響楽団を伴奏に、プロダクションは完璧。
昔からのジュリアの魅力である、エレガントな曲もあるものの、
一方で、いかにも大歌手然とした、威圧的に歌う曲もあって、
おそらくレバノンへの祖国愛を歌ったものなんだろうなあと想像はしても、
その事情を理解していない異邦人には、
感情移入がしにくいものであることは、素直に認めざるを得ません。
反イスラエルを鮮明に打ち出していたジュリアの政治的姿勢が、
彼女の歌いぶりに与える懸念について、
以前「あでやかさを損なう政治的な正しさ」という記事に書きましたけれど、
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2012-04-07
いまだその懸念は拭えないままとなっています。
前作“HKAYET WATAN” の前にリリースされていた13年のライヴ盤を聴いても、
すっかり大歌手になったなあと思うと同時に、
力をこめて歌わなければならないような楽曲が増えたことに、
自分との距離が遠くなったのを覚えました。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2015-01-26
ところが、このライヴのCDを聴いたあと、DVDを観たら、がらっと印象が変わりました。
まず、ジュリア・ブトロスが、ちっとも大歌手ぽくないんですよ。
オーラがない、といっては失礼にあたるかもしれませんが、
近所のお姉さんが歌っているふうの風情は、正直、意外でした。
ジュリアは、コンサートの最初から最後まで、
中央のメイン・マイクの前に立って、ただ歌うだけ。
身体を揺することすらなく、にこにこと笑みを浮かべながら歌い続けます。
その笑顔は実にチャーミングで、とても親しみを感じさせるもの。
フェイルーズのような人を寄せ付けない高貴さとは真逆の、
ほんとにどこにでもいそうな、「隣のおねえさん」です。
オーケストラピットには、バンド・メンバーにプラハ交響楽団の面々、
20人近いバック・コーラスが勢揃いしています。
あまりにフツーの、フツーすぎるジュリアの雰囲気に引きこまれ、
声を張って強く歌う威勢のいい曲も、威圧感がないことに気づきました。
ジュリアの06年傑作“TA’AWADNA ALEIK… HABIBI” に収録されていた
代表曲“Habibi” を歌い終えたあと、感情の高ぶりを抑えられず、
わずかにこぼれた涙を、すっと拭うジュリアの所作に、グッときましたねえ。
そのあとに続いた“Atfal(蛍の光)” も、CDで聴いてたぶんには、
それほどピンとこなかったんですけど、とても感動的なものでした。
フィナーレにちょっとした愛国的な演出があるものの、
歌を聞かせることだけに徹し、演出を排したプログラムで、
終盤に観客が総立ちとなるのも、政治集会のような熱狂とは違う、
ジュリアの歌に共鳴するごく自然なものと受け止められ、
とてもすがすがしく感じられました。
レバノンの人々から愛されるそのライヴの様子を見てから、
あらためて新作を聴き直すと、聞こえ方がぜんぜん違ってくるから不思議です。
で、冒頭の、やっぱり……に続くわけなんですね。
最後に、上に挙げたライヴ盤ジャケットの写真は、スリップケース内の本体のものです。
スリップケースは銀色の光沢紙のため、スキャンすると真っ黒にツブれてしまうので、
本体のジャケット写真を載せました。念のため。
Julia Boutros "ANA MEEN" Longwing no number (2016)
[CD+DVD] Julia Boutros "LIVE AT PLATEA" Longwing no number (2013)