細野晴臣の新作が、とんでもない。
オープニングからして、スリム・ゲイラードの“Tutti Frutti” なんだから、
いきなりニヤニヤが止まりません。いかにも細野さんらしいカヴァーと思ったら、
ご本人曰く、レオ・ワトソンのヴァージョンを、最近知ったばかりというのだから、
意外や意外。スリム・アンド・スラムのオリジナルは聞いたことがないんだそう。
で、「とんでもない」のは、そういうカヴァー曲云々てな話じゃありません。
この録音の良さ、なんなんすか!
目の前に飛び出てくる、細野の歌声。
手を伸ばせば、ギター抱えて歌っている細野の顔を触れるんじゃないかってほど、
まぢかに感じることのできる録音。このナマっぽい音は驚異的です。
ヴォーカルは、SP時代の音質を追及したようなミックスをしているし、
バックの演奏の音録りは、アナログのような温かみに溢れ、
これがデジタル録音とは、にわかに信じられないほど。
ブラシのスネアなんか、50年代のブルー・ノートみたいな音をしてるじゃないですか。
アコーディオンやペダル・スティールの響きに、脳がトロけます。
細野が表現するノスタルジックな音楽を、もっともふさわしい音響で演出していて、
音響が音楽をこれほど引き立てているのは、ここ最近聴いたおぼえがありません。
これは、単にアナログぽい音をねらったとかのレヴェルを完全に超えた、
音楽の快楽を音響の面から追及したレコーディングです。
ところが、このアルバムの特集を組んだ、
『ミュージック・マガジン』の今月号の記事を読んでも、音響に関する言及がほとんどなく、
「録音そのものは抜群にいいけど」なんて、軽いコメントで済まされちゃっていて、
おいおい、聴きどころ、まつがってないか、みたいな思いがふつふつと。
ぼくは、録音や音響といったことにあまり興味のない方なんですけれど、
それは、ナカミの音楽とは次元の違う、
純技術的なエンジニアリングの側面ばっかりが、語られるからなんですよね。
デジタルの時代になって、「音の良さ」というものが、エンジニアリング一辺倒で語られ、
音楽家と技術者の間に、壁ができてしまったように感じるんですよ。
肝心の音楽を聴かず、勝手に技術面での音の良さを競い合っているみたいな
違和感を感じるのは、ぼくだけですかね。
音の定位のありかたなど、その音楽を生かす音響という観点から、
レコーディングやミックスを練り上げた最良の例が、このアルバムなんじゃないでしょうか、
事実、このアルバムでゆいいつ違和感を感じるのが、84年と87年に録音した2曲で、
ミニマルを追及していたアンビエント期に録音された、このエッジの立った音は、
他のトラックとあまりに異質です。
音楽と音響の調和という問題は、その好例と悪例が、
細野さんのかつての名作で、すでに実証されているじゃないですか。
音楽と音響がベスト・マッチングだった『泰安洋行』に対して、
『はらいそ』は、デジタルな音質が音楽を台無しにしていましたよね。
かの名作を傷つけたくない配慮からなのか、
なぜかこの問題はあまり話題にされることがありませんが、
『はらいそ』の録音が、音楽とミス・マッチだったことは、みんな内心感じてきたはず。
ぼくには新作『Vu Jà Dé』が、『はらいそ』のリヴェンジに聞こえ、
快哉を叫びたくなるんですよ。
細野晴臣 「Vu Jà Dé」 スピードスター/ビクター VICL64872~3 (2017)