オールド・デイズな演出を施したジャケット写真に、
古いヴェトナム歌謡をリヴァイヴァルした企画アルバムと思いきや、
まさしく50年代後半から60年代初め頃とおぼしき音楽が流れてきて、驚愕!
新作ではなくて、デッドストックだった古い1枚で、
印刷の感じからして、90年代のアメリカ製と思われるCDです。
内容は、全世界的なロック流行前の、都市の紳士淑女のための大衆歌謡。
タイに例えるなら、まさしくルーククルンの世界で、
ナイトクラブなどで歌われていたのであろうラウンジーな演奏で、
オーケストラ伴奏ではなく、少人数のコンボ演奏がほとんど。
うわぁ、こんな時代のヴェトナム歌謡、初めて聴いたなあ。
8人の歌手による12曲を収録していて、
「美しい昔」の代表曲で知られるカーン・リーも名を連ねていますけれど、
チン・コン・ソンの曲で有名になる後年の歌声とはだいぶ違い、
まだチン・コン・ソンと出会う以前の、クラブ歌手時代の録音のように思えます。
ラウンジーといっても、マレイシアのP・ラムリーやサローマのような
ジャズやラテンの要素が希薄なのは、フランスの植民地ゆえでしょうね。
しみじみとした暗い曲が多いんですけれど、演歌調にならず、
乾いた情感のあるところが、ルーククルンと共通性を強く感じるところですね。
もう少し時代が下ると、サイゴンでは
ビートルズなどロックの影響を受けた音楽も盛んになり、
そういった録音は、ドイツのインフラコム!が
“Saigon Supersound” のシリーズでコンパイルしましたね。
このCDはそれより以前の時代の音楽ということになります。
タイトルに大きく「ニャック・ティエン・チエン」とあり、「戦前音楽」を意味します。
この戦前とはヴェトナム戦争を指すのではなく、
フランスと戦った独立戦争のインドシナ戦争を指しているので、
1954年以前の音楽ということになるんですね。
しかし、このCDに収録された音源は録音が良く、
分離の良いステレオ録音からすると、54年以前の録音のはずがなく、
もっと後年の録音であることは明らかです。
45年生まれのカーン・リーが、クラブ歌手時代に録音したと考えると、
どんなに早くても60年代前半でなければつじつまが合いません。
インドシナ戦争後、南北にヴェトナムが分断されると、
北ヴェトナムではニャック・カック・マンと呼ばれる革命のための音楽が盛んとなりますが、
南ヴェトナムでは欧米の音楽の影響を受けたナンパなポップスが盛んになるという、
真逆の傾向を示します。共産国家と民主国家の典型的な構図ですね。
当時、年配向けにニャック・ティエン・チエンふうの曲も作曲され続け、
南ヴェトナム時代(54~75年)に作曲された曲も含め、ニャック・ティエン・チエンと
呼ばれることもあるようです。近年ブームとなったボレーロは、
南ヴェトナム時代の曲を含むニャック・ティエン・チエンと同義と思っていいのでしょう。
このCDに収録されたシー・プー、ハー・タン、レー・トゥ、
タイ・タン、タン・トゥイ、アン・ゴックは、南ヴェトナム時代に
ニャック・ティエン・チエンの歌手として人気を呼んだ歌手たちだそうです。
すると、本作はニャック・ティエン・チエンといっても、54年以前のものではなく、
南ヴェトナム時代の録音なのでしょう。ラスト・トラックのエレキ・ギターの音や
馬が走るSEに至っては、70年代以降の録音であることは確実です。
ジャケット写真の明らかなノスタルジー演出が、それを表していて、
最初にリヴァイヴァル企画作と思ったのは、結果として正解だったみたいですね。
ヴェトナムにもこういう音楽が流れていた時代があったのかとカンゲキして、
いろいろ調べてみましたが、
やっぱりぼくは、ロック流行以前の大衆歌謡が、一番好きだなあ。
ギターとトランペットが間奏をとる曲なんて、30年代の昭和歌謡をホウフツとさせますよ。
そうそう、1曲すごく面白い曲(‘Suối Mơ’)があるんです。
イントロにスティール・ギターが大々的にフィーチャーされるんですけれど、
ハワイアンなんかじゃなくて、ダン・バウ(一弦琴)を模した演奏になっているんですね。
この曲には、ほかにダン・チャン(箏)や笛も使われていて、
伝統音楽の要素がない曲揃いのなかで、ユニークな仕上がりとなっています。
Sĩ Phú, Hà Thanh, Khánh Ly, Lệ Thu, Thái Thanh, Thanh Thúy, Anh Ngọc, Ban Thăng Long
"NHAC TIỀN CHIẾN VOL 1" Tinh Hoa Mien Nam THMNCD003