その昔、ジャズ・ピアニストのモンティ・アレキサンダーがレゲエを取り上げるのを、
鼻白む思いで見ていた時期がありました。
いくらモンティがジャマイカ生まれとはいえ、
裕福な家庭に育ったお坊ちゃま君のモンティが、
まるっきり境遇の異なる貧しい若者たちが生み出したレゲエを、
かすめ取ってるように見えたからなんですけれども。
そんな見方が変わったのは、モンティが17歳で渡米する前、
すでにピアニストとしてコクソン・ドッドやクリス・ブラックウェルのもとで、
レコーディングしていたことを知ってからでした。
なんでも学校帰りに、中坊の制服のままスタジオ入りして、
年上のジャマイカン・ジャズのミュージシャンたちに交じって、
ピアノを弾いていたんだそう。
時代はレゲエ誕生前どころか、まだスカさえ生まれていない50年代末。
メントとR&Bがミックスしたような音楽をやっていたプレ・スカの時代に、
オーウェン・グレイやブルース・バスターズなどの伴奏を
務めていたというのだから、びっくりです。
そんな現場経験を、わずか14・5・6で積んでいたとは。
70年代からアーネスト・ラングリンとよく共演しているのも、
すでにジャマイカ時代から先輩ミュージシャンとして付き合いがあったからだったんですね。
のちに、オスカー・ピーターソン・マナーの華やかなタッチのピアノを弾くモンティからは、
ちょっと想像のつかない駆け出しの時代のエピソードです。
のちにモンティがよくレゲエを演奏するようになったのは、
レゲエ誕生期に居合わせなかった欠落を、
ジャマイカ人として埋めようとしているのかもしれないなと、
好意的に見るように変わったのでした。
そんなモンティが昨年出していたアルバムが、
なんと『ワレイカの丘 ラスタモンク・ヴァイブレーションズ』と聞いて、
興味がわきました。
ワレイカの丘とは、リコ・ロドリゲスの名作『ワレイカの丘からの使者』で知られるとおり、
かつてラスタファリアンのコミューンがあった場所。
そして、ラスタモンク・ヴァイブレーションズとは、
セロニアス・モンクの曲をレゲエ化する今回の企画を
ボブ・マーリーの『ラスタマン・ヴァイブレーション』を借用して、もじったわけですね。
ラスタとモンクって、いったいどういう繋がりなのかと思いきや、
モンティ本人が書いた解説を読むと、モンティの自宅の裏がワレイカの丘だったそう。
8歳の頃、ワレイカの丘を登っていくラスタファリアンたちを遠目にみながら、
遠くから聞こえてくるドラムの音や大麻の匂いなどを嗅いで、
ラスタを意識するようになったといいます。
やがて中学生になってスタジオで演奏するようになると、
ミュージシャンの中にはラスタもいて、
そこで初めて本物のラスタファリアンを知ったのだそうです。
そんな当時、スタジオで一緒だったトランペット奏者ジャッキー・ウィラシーから、
セロニアス・モンクを教えられたとのこと。
ジャッキーは「モンクは違う。ほかとは違うんだ」と言っていたのが頭から離れず、
63年にファイヴ・スポットではじめてモンクを観て、
ジャッキーの言になるほどと納得したそうです。
そんな少年時代の思い出を結び付けたのが今回の企画で、
ナイヤビンギのドラム、ケテを叩くプレイヤーも3人加わり、
ラスタファリのルーツ・レゲエを色濃く表しています。
そして、モンティ自身の音楽性からはかなり遠いといえる、モンクですけれど、
レゲエ化することによって、モンクの曲が持つユーモラスな楽しさを引き出した
秀逸な作品となりました。
‘Misterioso’ ‘Natty’ ‘Well You Needn't’ といったモンクの名曲が、
めっちゃくちゃキュートになるんです。これは聴きものですよ。
Monty Alexander "WAREIKA HILL RASTAMONK VIBRATIONS" MACD no number (2019)