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ポップ・ジャズ・クロンチョン スンダリ・スコチョ

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Sundari Soekotjo  IMPIAN SEMALAM.jpg

クロンチョン歌手スンダリ・スコチョのひさしぶりの新作は、
いつものグマ・ナダ・プルティウィではなく、プラチナムからのリリース。
先日のメメスの新作同様、ふかふかクッション入り、
二つ折りのトール・パッケージで、DVDも入っています。
DVDはCD本篇とは別物で、グマ・ナダ・プルティウィ旧作の
伝統クロンチョン・ヴィデオ8曲が収録。オマケでしょうかね。

サブ・タイトルの「クロンチョン・イン・ジャジー・ムード」ということからもわかるとおり、
今回の趣向は伝統クロンチョンではなく、
ジャズのセンスを取り入れた、ポップ・ジャズ・クロンチョンとでもいう内容。
ジャズというよりも、ムード歌謡といった方がいいですね。

スンダリ・スコチョのアルバムは4枚ほど持っているんですけど、
どれもあまり愛聴したという記憶がないんですよね。
折り目正しくクロンチョンを歌う人なんですけど、
どうも優等生的というか、正調クロンチョンを歌っても、
ポップ・クロンチョンを歌っても、どれも表情がみんな同じでねえ。

そういう意味で、味わいの乏しい人という印象は拭えないんですけれど、
今作はこれまでと違って、クラブ歌手が歌うような色っぽさもにじませて、
歌に華やいだ雰囲気が出ています。
娘のインタン・スコチョと男性歌手ヘンドリ・ロティンスルのゲストも成功しましたね。
この二人はクロンチョンの唱法をまったくせず(できず?)、
フツーのポップスのように歌っているので、スンダリの歌いぶりがくっきりと浮き上がります。

今回すごく気に入ったのが、イスマイル・マズルキ作の“Sabda Alam”。
すごくシャレたコード進行を持った曲で、
都会的で洗練されたオシャレなポップ・ジャズ・クロンチョン、ここに極まりみたいな曲です。
スンダリの柔らかな歌いぶりにも、爽やかな色香が漂い、最高の仕上がりとなっています。

[CD+DVD] Sundari Soekotjo "IMPIAN SEMALAM : KERONCONG IN JAZZY MOOD" Platinum GNPIDA011114 (2014)

ブラジル前世紀の舞踏場を想う ヤマンドゥ・コスタ&グート・ヴィルチ

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Yamandu Costa & Guto Wirtti  BAILONGO.jpg

時代は20世紀初めの頃でしょうか。
ブラジルの街角のダンスホールを描いたジャケットに一目惚れ。
ヤマンドゥ・コスタの新作と知って、即レジに持っていきました。
ヤマンドゥ・コスタの地元、ブラジル南部のパッソ・フンドで、
少年時代からの音楽仲間だったというベーシスト、グート・ヴィルチとのデュオ作です。

二人の自作曲のほか、ジャコー・ド・バンドリン、ルピシニオ・ロドリゲス、ヴィラ・ロボスといった
先人のショーロ曲のほか、ジャンゴ・ラインハルトやコロンビアのクラシック・ギタリスト、
ヘンティル・モンターニャの曲を取り上げて、演奏しています。
ショーロだけでなく、タンゴ、ミロンガ、チャマメなど、ジャケットどおり、
20世紀はじめの社交場で踊られていたダンス曲をテーマとしているようです。

ヤマンドゥのギターはすっかり円熟して、超絶技巧もギラギラしたところがなくなりましたね。
優雅な楽想のなかで、ここぞというところに、さらりと見せ場を作るようになって、
昔のような、これでもかといったテクニックの応酬が減りました。
それでも、ネックを幅広に使ったスライドを披露して、大きくヴィブラートをかけるところなんて、
ヤマンドゥのドヤ顔が見えるようですけれど。

音のヴォリューム、タッチの違いによる音色の使い分けなど、
自在な表現力を聞かせるヤマンドゥのギターは、いままさに脂がのっているという感じ。
グート・ヴィルチは、所々でソロも弾くものの、おおむねヤマンドゥのバックに専念しています。
グートが弾くベースはコントラバスではなく、
ギター型のベース、アクースティック・ベース・ギターなんですね。
イントロで弓弾きしている曲もあって、これはコントラバスを弾いているんだと思いますが。

二人の自作曲も古風なメロディ使いになっていますけれど、
ヴィラ・ロボスの「スコティッシュ・ショーロ」の優雅さは、やはりずば抜けています。
ヨーロッパの舞踏音楽とアフリカのリズムが、
ブラジルで結婚した最良のサンプルが、ここにあります。

Yamandu Costa & Guto Wirtti "BAILONGO" Funarte 5.071.096 (2014)

キゾンバの名作 フィリップ・ムケンガ

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Filipe Mukenga.jpg

キゾンバの面白いアルバムを紹介してほしいというリクエストに、
まっさきに思い浮かんだのが、フィリップ・ムケンガでした。
これも『ポップ・アフリカ800』に入れてあげられなかった痛恨作なんですけれど、
親しみやすいポップスに仕上がった、素晴らしいアルバムなんですよ。
アフリカンドやカセ・マディを手掛けたことで知られる名アレンジャー、
ボンカナ・マイガが音楽監督を務めた、94年のアルバムです。

キゾンバというのは、90年前後にアンゴラで流行したセンバとズークをミックスしたスタイル。
アンゴラばかりでなく、カーボ・ヴェルデ、ギネア=ビサウ、サントメ・プリンシペなど、
ポルトガル語圏アフリカで大流行しました。
センバのセンチメンタルなメロディーと、ズークの快活なリズムがミックスした、
アフリカン・ポップスになじみのない人にも広くアピールする音楽で、
ディープなアフリカ音楽ファンは、あまり関心を示さないジャンルかもしれません。

若い頃はビートルズやシャルル・アズナヴールのファンだったというのもうなずける、
メロディ・メイカーとして洗練されたセンスを持つフィリップ・ムケンガは、
ジャヴァンやフローラ・プリンなどのブラジル音楽に影響を受けたシンガー・ソングライター。
このアルバムに収録されているフィリップ作の“Minha Terra, Terra Minha” も、
ジャヴァンの曲といわれたら、素直に信じてしまいそうなほど、ジャヴァンの作風そっくりです。

本作はズーク色の強いアレンジで、
キゾンバらしいポップなサウンドをまとったアルバムに仕上げながら、
ブラジルのMPBに影響を受けた曲のほか、
かつてはアコーディオンとハーモニカで演奏されたレビータをモダンにアレンジした、
奴隷時代の物語を歌にした伝承曲などを聞かせます。

こうした「トラディショナル」とクレジットされたレパートリーが素晴らしく、
アンゴラ人好みの泣きのメロディをエレガントにアレンジした“Humbiumbi” など、
アンゴラのサウダージに溢れた、極上のメロウ・トラックに仕上がっていますよ。

女性好みともいえるこの一枚、MPBファンにもウケそうだし、
クラブでもカフェでもプレイできそうで、再評価してもいいアルバムなんじゃないでしょうか。
(だったら、『ポップ・アフリカ800』に載せとけよって話ですよね。申し訳ありません)
ただし、とっくに廃盤なので、これから見つけるのは難しいかもしれませんが、
ワールド・ミュージック・ブーム時代に輸入されて、よく売れ残ってたアルバムだったので、
中古で見つかれば500円以下で売ってそう。ワールドの見切り品なんかにあったりして。
見かけたら、即買いをオススメします。

Filipe Mukenga "KIANDA KI ANDA" Lusafrica 08680-2 (1994)

ミクスチャー・ポップとして進化したキゾンバ カリナ・サントス

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Karina Santos Pura Angolana.jpg

前回、20年以上も前のキゾンバの名作を取り上げましたけれど、
今聴いても古さを感じさせないのは、
パリでしっかりとプロデュースされた作品だったからで、
当時のアンゴラ国内でこれほどのプロダクションは、望むべくもありませんでした。

90年代にポルトガル盤でリリースされていたキゾンバのローカル・ポップは、
シンセをプリセットで鳴らす安直な使用や、稚拙な打ち込み使いなど、クオリティが低く、
いったい何枚のハズレ盤をつかまされたことか。もちろん全部処分しちゃいましたが。
そんなわけで、いつのまにかキゾンバをフォローする気も失せ、月日は流れていきました。

その後アンゴラのポップスといえば、リスボン郊外でアンゴラ移民が生み出した
アンダーグラウンドなクラブ・ミュージック、クドゥロが脚光を浴びたこともありましたね。
テクノ系のサウンドが大の苦手なぼくとしては、クドゥロの登場に、
正直な話、アンゴラのポップスはもうフォロー不要といった気分に陥りました。

ところが、年明けに70年代のアンゴラ音楽の復刻シリーズをまとめて入手した折、
最近のキゾンバもいくつかみつくろってオーダーしたところ、
プロダクションが見違えるほど向上していたのに、びっくり。
思えば、同じポルトガル語圏アフリカのカーボ・ヴェルデも、世紀が変わる前後あたりから、
アクースティックな音づくりがメインになって、ぐっとサウンドが向上したんだっけ。

いやあ、時代は変わったなあ。こういうサウンドが、聴きたかったんですよ~。
生音主体で、人力のドラムスが生み出すまろやかなリズムに、頬もゆるみます。
これまでアンゴラのポップスというと、男性シンガーが主で、
女性シンガーの影が薄かったんですけれど、
キュートな女性シンガーにも出会うことができました。

今回ご紹介するカリナ・サントスがそのひとり。
85年生まれで、06年にデビュー作をリリースし、12年の本作が2作目だそうです。
チャーミングな歌声も魅力ですが、注目はそのサウンド。
ひとことでいえば、キゾンバといって構わないと思いますが、
各曲ごとリズムやスタイルが異なり、バラエティ豊かな内容になっているんです。

センバにコンパのリズムをミックスして英語で歌う曲があるかと思えば、
キューバのサルサ・シンガーとデュエットした本格的なキューバン・サルサあり、
はたまたマラヴォワを思わせるヴァイオリン・セクションが伴奏につくキゾンバありと、
アレンジは実に多彩。

アコーディオンやカヴァキーニョを要所要所で効果的に使ってみたり、
ポルトガル・ギターをフィーチャーしたボレーロでは、
ゴージャスなストリング・アンサンブルも配され、
時間も予算もかけたプロダクションであることは明々白々。

90年代のキゾンバが、悪く言えば「できそこないのズーク」みたいなところがあったのに比べ、
進化した現在のキゾンバは、ビギン、コンパなどのフレンチ・カリブのリズムに、
サルサやメレンゲ、ルンバ・コンゴレーズを巧みにミックスしているのが特徴です。
1曲のなかで、センバとコンパとルンバ・コンゴレーズの要素が
ミクスチャーされているアレンジの進化は、
フレンチ・カリブのリズムの饗宴を聞かせるミジコペイにも通じるものを感じさせますね。
フレンチ・カリブ音楽ファンも狂喜することウケアイの、スウィートなキゾンバの傑作です。

Karina Santos "PURA ANGOLANA" Xicote Produções no number (2012)

ヴェテラン・センバ・シンガーの初ソロ作 アルトゥール・アドリアーノ

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Artur Adriano  N'GOLA YABILUNKA.jpg

ほとんどというより、皆無といっていいほど国外に流通していないアンゴラ盤CDですが、
ポルトガル経由でごくわずかばかり、手に入れるルートがあります。
個人商店でやっている、おそらくアンゴラ移民のお店だと思うんですけれど、
ぼくはそこにリクエストして、アンゴラへバック・オーダーしてもらっています。
おかげで、すごく時間がかかるうえ、さんざん待たされたあげく、
オーダーした10枚中2枚しか手に入らないなんてことも、しょっちゅう。
まさしくハード・トゥ・ファインドなのであります(泣)。

そんな苦労をしつつ入手したアンゴラ盤の中で、
ひときわ光る作品を制作しているレーベルがあることに気付きました。
それが、前回記事のカリナ・サントスをリリースするシコーチという新興レーベルです。
キゾンバばかりでなく、70年代から活躍するヴェテラン歌手のアルバムも制作していて、
そのサウンド・プロダクションも、カリナ・サントスが好例だったように、ハイ・クオリティです。

今月号の『ミュージック・マガジン』にも、このレーベルの新作で、
フィエル・ディディという男性シンガーのアルバムを紹介したばかりなんですが、
こちらは別の1枚で、アルトゥール・アドリアーノを取り上げましょう。
アルトゥール・アドリアーノは、47年ルアンダのマルサル地区出身のヴェテラン・センバ・シンガー。
74年にキサンゲラに加入し、その後エストレーラ・ネグラ、ディヴアス・ド・リトモで歌手を務め、
05年にセンバ・ジ・オウロ(黄金センバ)賞を受賞しています。

70年代に残したシングル盤は、以前にも話題にしたアンゴラ国営ラジオの復刻シリーズ
“MEMÓRIAS” の一枚としてリリースされているみたいなんですが、ぼくは未入手。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2015-04-14
当時のアルトゥールのヒット曲“Belita” は、
フランス・ブダのアンゴラ・シリーズ“1972-1973” で聞くことができます。

そして、シコーチから11年になってリリースされた本作が、
アルトゥール・アドリアーノの初のフル・アルバム。
ノドを振り絞るようなパワフルな歌いぶりは、70年代と変わらず元気いっぱい。
少しがさついた粗い声も若い頃のままで、シャープなサウンドと快調なリズムにのせて、
センバやキラパンガを聞かせてくれます。
アルバム・ラストに、さきほどのブダ盤にも収録されていたのと同じ
“Belita” のオリジナル録音が再録されています。
アルトゥールにとって、やはりこの曲はトレードマーク的な代表曲なんでしょうね。

Artur Adriano "N’GOLA YABILUKA" Xicote Produções no number (2011)

ヘイシャン・ストリート・ストリング・バンド ブールピック

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Boulpik  KONPA LAKAY.jpg

派手なペイントを施したルンバ・ボックスを、真正面からどーんと写したジャケット。
バハマやジャマイカの観光地によくいる、流しのメント・バンドかと思ったら、
ハイチのトゥバドゥだそう。そういや、ちゃんと、そう書かれてますね。

ハイチではこの楽器、<ルンバ・ボックス>ではなく、
<マニバ>というんだそう。キューバの<マリンブラ>のクレオール訛りですかねえ。
ギターのことをマタモと呼ぶのも、トリオ・マタモロスが由来だというので、
キューバに出稼ぎしていたハイチ人労働者が、
マリンブラを持ち帰ったんじゃないのかしらん。

こうしたストリング・バンドはカリブ海一帯にありますけれど、
英語圏とスペイン語圏とフランス語圏とでは、それぞれ味わいが違います。
英語圏のメロディは、バハマやジャマイカのメントに代表されるとおり、
もろダイアトニックで、わかりやすさ100%。
悪く言えば、深みがないともいえるんですけれども、
キューバのソン成立前のトローバや、ハイチの田舎のメラングやトゥバドゥには、
さまざまな文化が混淆した痕跡がメロディにくっきりと残されていて、とても魅力的です。
洗練されたひとつのスタイルにまとまる以前の、
混沌とした音楽には、雑味とともに複雑な旨みが隠れているのを感じます。

そんなことを改めて思わされたのが、このブールピックという、
トゥバドゥ・リヴァイヴァル・ブームにのって04年に誕生したグループ。
普段はビーチやホテルで観光客相手に歌っているストリート・バンドのようですが、
そういったグループにありがちな、
ヒット・ソングの凡庸なカヴァーやオリジナリティの乏しさがなく、
フレッシュな魅力をたたえたサウンドを聞かせてくれます。

ヴォーカルがコクのあるノドをしていて、聴き惚れちゃいました。
身体を使って仕事をしてる人の声って感じが、いいじゃないですか。
芸人風情もあって、味があります。
レパートリーの多くはリーダーのフランケル・シフランが書いていて、
そのほか、クーペ・クルエやタブー・コンボのヴォーカリスト、
シューブーの曲などをカヴァーしています。

ストリング・バンドにありがちなレイド・バックしすぎなところもなく、
若いメンバーによる目の覚めるようなシャープな演奏が好ましいですね。
メンバーのバンジョー、マニバ、拍子木のほか、
ゲストにヴァイオリンやアコーディオンを招いたアレンジも効いていて、
きりっと引き締まったアルバムになっています。
かつてのトゥバドゥ・ブームでわんさか出たアルバムの中でも、最高の出来ですよ。

Boulpik "KONPA LAKAY" Lusafrica 662252 (2014)

お悔やみ ドゥドゥ・ンジャイ・ローズ

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Doudou Ndiaye Rose.jpg

アフリカ音楽の巨星がまた堕ちました。
セネガルの生んだ偉大なパーカッション・オーケストラ・リーダー、
ドゥドゥ・ンジャイ・ローズが、8月19日に85歳でお亡くなりになったそうです。

「アフリカ音楽・イコール・太鼓」のイメージは、良くも悪しくも一般的なものですが、
ドゥドゥ・ンジャイ・ローズのナマ演奏を聴いたことがある人なら、
その神がかり的なパーカッション・アンサンブルは、
芸術の域にまで磨き上げられていたことを知っているはずです。

80年代からたびたび来日して、多くのファンを日本に作ったばかりでなく、
ローズのオーケストラに魅せられた若者が、
ダカールへ修行に出かけたほどですからねえ。
太鼓サバールを習いに行った男たちも大勢いましたけれど、
サバール・ダンスに夢中になった女性たちも、
本場へ乗り込みダンス修行してきたものです。

あれから20年、セネガルのヴィデオ・クリップで、
日本人女性がセネガルの民族衣装を着て、
ンバラ・シンガーのバックで踊っているのを目撃するとは、想像だにしませんでしたよ。

話を元に戻して、ぼくがドゥドゥ・ンジャイ・ローズを
<アフリカ音楽の巨星>と呼ぶのをためらわないのは、
彼が民族音楽を超えた音楽家だったからです。
グリオの家系に生まれ、幼い頃から太鼓を叩いていたとはいえ、
セネガル独立前から、ジョセフィン・ベイカーと共演するような開かれた芸歴を持ち、
独立後の60年代にはセネガル国立舞踏団の団長を務めたローズは、
ただの<太鼓のグリオ>に止まっているわけがありませんでした。

その後ローズは、セネガル各地のリズムを総合化する取組みに力を入れ、
サバールのアンサンブルをオーケストラ化していきました。
ローズが生涯かけてクリエイトしたパーカッション・オーケストラは、
こうしてコンテンポラリー・アートの領域にまで高められていったのです。

それはいわば、伝統音楽であっても、民族音楽ではけっしてありませんでした。
その意味で、ローズもタンザニアのフクウェ・ザウォーセと同じく、
民族音楽から出発して、伝統音楽を芸術の域に高めた偉人の一人だったといえます。

ポリリズミカルに舞う切れ味たっぷりのシャープなビートに、
ダイナミックに躍動する多彩なリズムは、
宇宙のリズムと身体の鼓動を共振させるアフリカの美意識を、
ものの見事に体現していました。

ローズのナマ演奏を体験してしまうと、
CDではライヴの迫力にとても及ばず、もどかしい思いをさせられるんですけれど、
ローズのゆいいつの名盤と呼べるのが、97年に日本で制作された2枚組です。

それまでのアンコール盤やリアル・ワールド盤では捉えきれていなかった、
臨場感たっぷりの名演が、ギュー詰めになっています。
日本人がローズの魅力をきちんと理解していたということは、誇りですね。
といっても、今ではこの2枚組はもう廃盤でしょう。ぜひ復活してもらいたいものです。

Doudou Ndiaye Rose 「LAC ROSE」 クレプスキュール・オ・ジャポン CAC0039/40 (1997)

お悔やみ マリエム・ハッサン

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Mariem Hassan con Leyoad.jpg

この夏は訃報があまりに多すぎます。
西サハラの女性歌手マリエム・ハッサンが8月22日、
アルジェリア、ティンドゥフの難民キャンプでこの世を去りました。

天命なら、それも仕方がないのかもしれません。
でも祖国を取り戻す闘いの途上で、ガンという病魔に侵され、
命尽きたマリエム・ハッサンの死を、ぼくは天命などと思いたくはありません。

悔しいです。ただ悔しいです。
これほど悔しく思うのは、ぼくがマリエムと同じ1958年生まれだからでしょうね。
ぼくはずっと、なぜマリエムの歌にこれほど心ゆさぶられるのか、
その理由がよくわからないままに聴いてきました。

マリエムがわずか17歳で政情不安な故郷を後にし、
四半世紀以上も難民キャンプで暮らしてきた歌手であることは、
彼女のCDを聴く前から知っていました。
そんな予備知識がある時ほど、その音楽に余談を持って接しないよう、
常日頃から気を付けているつもりなのに、
マリエムの激情のこもった歌には、一聴でヤられてしまったんです。

豊かな暮らしを享受してきた、はるか遠い東洋の国に住む人間が、
こうした歌に感動したなどと、簡単に言う資格があるのかという疑問は、
マリエムの歌を聴くたびまとわり続け、ぼくの脳裏から離れることはありませんでした。
それは、ぼくとマリエムが同い年であるがゆえ、
同時代に生きているという事実を意識せずにはおれなかったからです。

マリエムが歌う曲の歌詞など、ぼくは何ひとつわかっていません。
政治的メッセージが、彼女の歌に果てしない深みと力を与えてきたことは、
まぎれもない事実でしょうが、ぼくにはそれ以上に、子守唄で聞かせる
母性的な優しさに満ちた歌と語りが忘れられないのです。

もしマリエムが祖国に帰れる日がやってきたら、
平和な暮らしの中で、もっともっと幅広い歌を歌えた人だったはずです。
しかしそれも、もうかなわなくなってしまった。
それがどうにも悔しくてなりません。
バカヤローと叫びたい気持ちでいっぱいです。

Mariem Hassan con Leyoad "CANTOS DE LAS MUJERES SAHARUIS" Nubenegra INN1114-2 (2002)

オラン流ライを歌うモロッコ人シンガー シェブ・アマール

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Cheb Amar  MIMOUNA.jpg

マジッド・ハッジ・ブラヒムのヘヴィ・ロテ、止まりません。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2015-07-17
オラン・スタイルのポップ・ライが、キラッキラしていた80年代末サウンドを、
これでもかというほど詰め込んだこのアルバム、
聴けば聴くほどにトリコになってしまうのでした。

すっかり<バック・トゥ・ポップ・ライ>になってしまった今日この頃、
タイミングよくもう1枚、王道スタイルのライを楽しめる1枚と出会うことができました。
それがこのシェブ・アマール。
94年にオラン最大のレーベル、ヴォア・デュ・マグレブからデビューした、
モロッコ、ウジダ出身のライ・シンガーです。

アルジェリア国境近くのモロッコ最東端のウジダは、
オランとともにライ揺籃の地で、シェブ・アマールも12歳の頃から、
シェブ・ハレドやシェバ・ファデラのレパートリーを、
結婚式で歌ってきたのだそうです。

アルジェリアでデビューしたのち、モロッコに戻ってレッガーダを歌い、
00年にはパリへ渡り、シェブ・アブドゥやシェブ・ビラールなどとともに活動して、
マグレブ全域から中東での人気を勝ち得た中堅シンガーの一人です。

さすがにマジッド・ハッジ・ブラヒムのような、オールド・スクールな歌ものではないにせよ、
オラン直系の泣き節を聞かせてくれるところが嬉しいじゃないですか。
近年のライでお約束のうっとーしいロボ声も、
数曲でごく控えめに使っている程度なので、これなら許せますよ。
ダンサブルな曲もレッガーダ調ではなく、祝祭のパーティ感覚で、
「アラウィ」と呼ばれるスタイルと聞きます。

この09年作のあとはまだ出ていないようですが、新作も期待したいですね。

Cheb Amar "MIMOUNA" Maghreb Music EMMCD200902 (2009)

サーフ・ロック・ギターとプンタ・ロック アウレリオ・マルティネス

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20150825_Aurelio Martinez.jpg

スキヤキで来日したホンジュラスのアウレリオ・マルティネス、
予想外といっちゃあ申し訳ないけれど、すごく良かったです。
温かみのあるヴォーカルはCD以上にいい声だったし、
ナイジェリア、ヨルバ直系のダンスを披露したのにも、意表を突かれました。
おぉ、ガリフーナのルーツは、ヨルバだったのかあと、目ウロコでしたよ。
これまでガリフーナ音楽というと、亡きアンディ・パラシオの印象があまりに強く、
アウレリオは影が薄かっただけに、すっかり見直してしまいました。

アンディ・パラシオは、ガリフーナの伝統に回帰したストーンツリーの諸作で、
従来の中途半端なミクスチャー音楽に過ぎなかったプンタ・ロックを、
いきいきとした中米アフロ・カリビアン音楽として現代に蘇らせましたけれど、
アウレリオはアンディとはまた別のアプローチで、
プンタ・ロックをもっとポップに前進させられる人なんじゃないでしょうか。

そう強く感じさせたのが、バンドのリード・ギタリストの存在。
時代錯誤といえる、60年代ライクなサーフ・ロック・ギターは痛快でした。
最初はシャレか?とも思いましたけど、この人のスタイルなんですねえ。
一聴ミス・マッチなギターが、アウレリオの音楽をよりヴィヴィッドに響かせていて、
楽しくなっちゃいました。ライヴだといっそう盛り上がりますよ。

Aurelio @ Sukiyaki Tokyo 2015.jpg

なんでレコーディングでは、このギターを使わなかったのかなあ。
“LĀNDINI” で弾いている、グアヨ・セデーニョと同一人物なのかどうかは
確かめられなかったんですけど、もしプロデューサーのイヴァン・ドゥランが
サーフ・ロック・ギターをイヤがって弾かせないようにしたのだとしたら、問題だなあ。

あくまで憶測なので、もしもだったらの話ですが、マジメな伝統回帰のアプローチのせいで、
こういうポップ・センスを敬遠するようだったら、困りもの。
これがぼくの見当違いなら、ごめんなさい&前言撤回なんですけれど、次回作はぜひ、
このサーフ・ギターとガリフーナ・ドラムを生かしたプロデュースを期待したいものです。

ガリフーナ音楽に特有の、深い哀愁のこもったメロディを、
サーフ・ギターで歓喜の祝祭へと転化するエネルギーは、
プンタ・ロックを新たな地平へと進化させる可能性を感じさせます。

Aurelio "LĀNDINI" Real World CDRW205 (2014)

21世紀初のフュージョン傑作 ショウン・マーティン

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Shaun Martin.jpg

これはよくできたフュージョン・アルバムですねえ。
フュージョンを聴いてカンゲキしたのって、すごいひさしぶり。21世紀に入って初、かも。
スナーキー・パピーのキーボーディスト、ショウン・マーティンのデビュー作です。
試聴機でチラ聞きした印象がすこぶる良く、家でじっくり聴き直してみたら、
たいへんな力作で、ウナってしまいました。

曲・アレンジとも、じっくり練りこんであって、
プロデュースの手腕が作品の成否を握るフュージョンにあって、
本作はまさに理想的な作りとなっています。
タイトルが示すとおり、シャウンはこのデビュー作を完成させるのに、
7年間をかけていて、なるほどそれだけの時間をかけただけの成果が、
しっかりと音楽に刻み込まれていますね。

アルバム冒頭、フェイド・インするグラスパーぽいクールなヒップホップ・ジャズの
アーバンなムードに浸っていると、いきなりセカンド・ラインもゴギゲンな
ニュー・オーリンズ・ファンクになだれこむという変わりように、持っていかれます。
すっかりアッパーな気分になって、いい感じに発汗していると、
今度は一転、美しいピアノの響きにクール・ダウンする曲へと移っていく趣向。

この冒頭3曲の流れは、何度聴いても、あっぱれというほかありません。
デイヴ・グルーシンの“MOUNTAIN DANCE” を
思い起こさずにはおれないM3“The Yellow Jacket” に続いて、
トランペットをフィーチャーしたM4“Lotus” はティル・ブレナーを思わすほか、
ジョー・サンプルの“RAINBOW SEEKER” に近い手触りもあったりして、
フュージョン名作を次々と連想させます。

これ以降の3曲はゲスト・ヴォーカルをフィーチャーした歌もので、
ゴージャスなストリングス・オーケストラを配した、
ミュージカル調のM5“Have Your Chance At Love”、
クリスタル・ジョンソンの名作“THE DAY BEFORE HEAVEN” を思わす
M6“Love Don't Let Me Down” のクールなヒップホップR&Bと、
曲ごと手を変え品を変えのアレンジとプロダクションが鮮やかです。

そしてM8“The Torrent” は、ピアノ・トリオによる60年代ふうモード・ジャズ。
ネルソン・マンデーラが死去した時にジョハネスバーグを訪れた時の思い出を曲にした
M10“Madiba” は、21世紀のジャズらしいコンテンポラリー・ジャズ。
マイりました。ショウン・マーティンの才能に降参です。

Shaun Martin "7 SUMMERS" Ropeadope/Shunwun Music no number (2015)

ニュー・オーリンズのハネるリズム リー・ドーシー

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Lee Dorsey  YES WE CAN.jpg

“Yes We Can” と聞いて、オバーマ大統領ではなく、
リー・ドーシーを思い浮かべる皆さん、朗報です。
リー・ドーシーの70年の最高傑作“YES WE CAN” がようやくまともにCD化されました。

いまや名盤中の名盤で知られる“YES WE CAN” はぼくにとって、
ニュー・オーリンズR&Bに初めてイカれた、忘れがたきアルバムであります。
あれは高校2年生でしたねえ。リー・ドーシーを知っていたわけではなく、
アラン・トゥーサンがプロデュースしたレコードというので、買った記憶があります。
当時、アラン・トゥーサンがプロデュースしたザ・バンドの“CAHOOTS” に夢中だったもんで。

ぜんぜん知らない人のレコードをはじめて聴く時は、ドキドキするものですけれど、
ベースのイントロに始まり、ペケペケと珍妙な音を鳴らすギターにのせて歌われる
“Yes We Can [Part 1]” のキャッチーなメロディに、もう即ノックアウトでしたね。

童謡みたいな愛らしいメロディを、ユーモラスなアレンジで聞かせるユニークさは、
うきうきするニュー・オーリンズ独特のハネるリズムとあいまって、
なんともいえないトボけた味わいを醸し出しながら、
ホーン・アレンジは本格的という、奥行きの深いサウンドにマイりました。
ひょうひょうとしたリーのヴォーカルとコーラスのかけあいがまた楽しいのなんのって。

数々のノヴェルティな曲の合間に、哀愁漂う曲がさりげなく差し挟まれているところは、
喜劇役者がふとのぞかせる素顔のようで、ドキリとさせられます。
まだケツの青い高校生にとって、こういう音楽を作れる「大人の」音楽家に、憧れたもんです。
ダン・ヒックスやボビー・チャールズに共通する韜晦味を、リー・ドーシーに感じていたんですね。

クレジットこそないけれど、ミーターズによる軽妙なファンク・サウンドもサイコーで、
フックの利いたシンコペーションが、キモチいいったらありゃしない。
ニュー・オーリンズのハネるリズムの快感を、これほど味わえるアルバムもありません。

その名盤も、アメリカ、ポリドールが93年にCD化した時は、
未発表曲含め9曲追加してくれたのはいいんですが、曲順をバラバラに編集し、
LPを聴き慣れた者には憤懣やるかたないシロモノとなっていたのでした。
そのうえ、B面最後の“Would You?” が未収録という訳の分からない編集は、
正直、欠陥CDと言わざるを得ませんでした。

のちに77年作の“NIGHT PEOPLE” と2イン1にしたCDも出ましたけれど、
今回フィーヴァー・ドリームがリイシューしたCDは、オリジナルLPの曲順のあとに、
LP未収録の同セッション7曲を追加していて、これなら大満足であります。

Lee Dorsey "YES WE CAN" Fever Dream FDCD7510 (1970)

秋の夜長のフィーリン アイデー・ミラネース

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Haydée Milanés  CANTA A MARTA VALDÉS.jpg

厳しい夏が過ぎ、秋めいてくると聴きたくなるフィーリンですが、
今年は新たなアイテムが加わりました。
それが、アイデー・ミラネースの5作目にあたる新作。
ヌエバ・トローバの大物、パブロ・ミラネースの娘さんですね。
魅力のないお父上とは違って、アイデーはジャズやMPBの影響を受け、
現代っ子らしいセンスを持った歌い手さんとウワサに聞きます。

まだこの人のアルバムは持っていなかったんですが、
フィーリン第二世代を代表する女性作曲家
マルタ・バルデースのソングブックという今回の企画に、
初めて手を伸ばしたところ、うわぁ、スゴクいいじゃないですか。

マルタ・バルデースの代表曲である「パラブラス」「ジョラ」「パラブラス」などを、
ジャジーなサウンドをバックに、フェミニンな歌い口で歌っています。
マルタ・バルデースの醸し出す気品とは別ものの、
キュートな色香が漂うアイデーのフィーリンもまたいいですねえ。

ギターのアルペジオに導かれて歌い出すアイデーに、
自身が弾くピアノ、エンリケ・プラのドラムス、ホルヘ・レジェスのベースといった
ヴェテラン勢が音を重ねていき、トランペット・セクションが要所で脇を固めます。
多重録音のハーモニーで聞かせる曲は、まるでクアルテート・エン・シーみたいだし、
ミルタ・バティスタのアルパをフィーチャーした曲も粋な仕上がりで、
1曲1曲趣向を凝らしたアレンジが鮮やかです。

アルバム全編通して、余計な音を重ねない、引きの美学に徹したプロダクションで、
申し分のない仕上がりとなっています。
アイデーの気取らない素直な唱法も好ましく、
フィーリンという繊細なモダンさを表現するのに向いた資質の持ち主といえます。

マルタ・バルデースのフィーリンを歌うには、まだ若すぎるんじゃないの?
な~んて聴く前は思ってたんですが、どうしてどうして。
しっとりとしていて、いい味わいです。
マルタ本人が登場して、デュエットする1曲もお楽しみ。
秋の夜長にぴったりの1枚です。

Haydée Milanés "CANTA A MARTA VALDÉS" Bis Music CD982 (2014)

ミャンマーの木琴パッタラー チョー・ミョ・ナイン

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Kyaw Myo Naing.jpg

木琴のころころとした音色が好きです。
アフリカのバラフォンやインドネシアのジェゴグのような、
倍音たっぷり、強烈なノイズを巻き起こすド迫力の木琴も大好きですけれど、
マリンバをもっと素朴にしたような木琴の響きは、
どこかトイ・ピアノに通じる愛らしさがあります。

そんな木琴ファンの心をくすぐるアルバムと出会いました。
それがこのミャンマーの木琴、パッタラーの演奏集。
セイン・ムーターなどの諸作で知られるミャンマーの古典音楽専門レーベル、
イースタン・カントリー・プロダクションからリリースされたアルバムです。

ジャケット写真で主役のチョー・ミョ・ナインがパッタラーを演奏していますが、
鍵盤が竹ではなく金属製なのは、どういうわけなんでしょう。
英文タイトルにも「シロフォン」とあるとおり、 
演奏されているのは鉄琴ではなく、竹の木琴パッタラーです。

木琴、太鼓、笛、小シンバルの4人という小編成による室内楽的な演奏は、
スンダのガムラン・ドゥグンにも通じる、静謐で穏やかな音色を響かせ、
場の空気を清めてくれます。
ミャンマー独特の音階に調律されたパッタラーが、
自在に伸び縮みするリズムに乗せて演奏されると、
十二平均律と均等拍に慣れた者には、あまりに異質で、眩暈がしてきますね。

でも、フレーズの終わりにテンポが遅くなるところは、
序破急の感覚を持つ日本人には馴染みも感じられます。
こういう<緩急をつける>リズム感は、
東アジアの水田稲作農耕から生まれたものなんじゃないかと想像します。

木琴の形状は、タイのラナートと同じ舟形の共鳴箱をしていて、
楽器編成もタイ古典音楽のピーパートとまったく同じという、
どちらもクメール宮廷音楽の流れを汲むものでありながら、
タイとはまったく雰囲気が異なるのが、面白いんですよ。

違いは、やはりメロディでしょうか。
タイの古典音楽を聴いてると、退屈で眠くなっちゃうことが多いんですけれど、
ミャンマーの古典音楽は、メロディに沿って拍の長さまで変わる、
謎めくフレーズがしょっちゅう現れるものだから、退屈してる間がありません。
ガムラン・ドゥグンほどクールだったり、神秘的なところはなく、
素朴な温かみが伝わってくる演奏に、ミャンマーの良さを感じます。

読書の秋に、BGMの良き相棒となってくれそうな1枚、
ぼんやりしたい時などにも、格好のアルバムですね。

Kyaw Myo Naing "MYANMAR XYLOPHONE TUNES" Eastern Country Production no number

マーマーエー物語【前編】

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Mar Mar Aye  THE PLEASANT MORNING SONGS.jpg

ミャンマーのレーベル、イースタン・カントリー・プロダクションのカタログは、
器楽演奏ばかりかと思っていたら、ミャンマー伝統歌謡の大御所
マーマーエーのアルバムがあったのは意外でした。
今日びミャンマー国内でこれほどしっかりと制作された古典歌謡は、
めったにリリースされないので、貴重な1枚です。
最近またエル・スールに入荷したようなので、
ミャンマーの伝統歌謡好きの人にはオススメします。

あらためて、マーマーエーこと本名エーミンの経歴を振り返ると、
まだミャンマーがイギリス支配下だった1942年7月26日、
フネー(ダブル・リードの笛)奏者の父ウー・エーと、歌手の母タン・ニッのもと、
南部イラワディ川下流大デルタの町ミャウンミャに生まれます。
母親の芸名がミャウンミャ・タンだったのは、
町を代表する歌手だったことを想像させます。

マーマーエーは8歳から歌い始め、13歳の時に歌った
“Thet Tan Paw Hmar Kasar-mae” が大ヒットとなり、一躍有名になります。
無声映画の時代から映画の挿入歌を歌い始め、
80年代までにミャンマー映画の8割近くを歌い、
彼女が残した録音は、6000曲以上に上るといいます。

歌手としてだけでなく、映画にも3作出演し、自伝的小説を2冊著しています。
さらに歌手として名声を得たのちは、後進の育成のために、
マーマーエー財団、歌手養成アカデミー、音楽出版社を設立し、
レコーディング・スタジオの運営にも携わりました。

ビルマ国営放送(BBS)で16年間要職を務め、国立音楽協会の一員となるなど、
名実ともにミャンマー音楽界の大物になったマーマーエーでしたが、
89年、大きな転機が訪れます。

ソウ・マウン率いる軍事クーデターによって体制維持を図った軍部は、
マーマーエーのアルバムをすべて発売禁止処分とし、
歌も放送禁止にして、マーマーエーの名をマスコミの場から抹殺したのです。
アウンサンスーチーが自宅軟禁されたのと時同じくして、
軍部は芸能者たちにも、容赦ない圧力をかけたのでした。
こうして多くの歌手同様、マーマーエーも98年にアメリカへ亡命します。

インディアナのフォート・ウェインに落ち着いたマーマーエーは、
ミャンマーの民主化運動に関わり、
民主化運動のキャンペーン・ソングなども歌うようになります。
08年には、サイクロン災害救援の募金活動をするなど、
軍事政権下で救援の手が届かない人々のために尽力しました。

少し長くなってきました。続きは次回にしましょう。

Mar Mar Aye "THE PLEASANT MORNING SONGS" Eastern Country Production no number

マーマーエー物語【後編】

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Mar Mar Aye Flyer.jpg

マーマーエーがアメリカに亡命していた2003年、
在日ミャンマー人社会の招きにより、初来日が実現しました。

当時、ミャンマー人の雑貨店によく通っていたぼくは、
マーマーエーの古いカセットのジャケットと同じ絵をあしらったチラシが、
店内に貼ってあるのに、おや?と気付きました。
イラストのほかは、びっしりとビルマ文字が書かれているだけで、
なんのチラシだかわからず、店の親父さんに訊ねてみると、
なんとマーマーエーのコンサートの告知だというじゃありませんか。

チケットも売っているというので、喜び勇んで購入すると、
これまたビルマ文字ばかりで、日時・場所すらわからず。
「9月21日 上野・水上音楽堂」だと教えてもらいました。
在日外国人コミュニティのコンサート情報というのは、
アクセスのない一般の日本人にはまったく伝わってこないので、
事前にコンサートの情報をキャッチできたのはラッキーでした。

Mar Mar Aye ticket.jpg

この時だって、マーマーエーの絵に目がとまらなければ、
店の人に訊ねることもなかっただろうし、
そもそも絵がなかったら、気付きようもなかったでしょうからね。
事後に歌手の来日情報を知って地団太を踏む、なんてことが何度もあったので、
この時ばかりは、すごく嬉しかったです。

さて、当日は、5時間にも及ぶ長丁場のプログラムで、
素人のカラオケのど自慢に始まる、ミャンマー演芸祭といった趣。
あいにくの雨模様で、そのうえ季節外れの寒さに震えた午後でした。
上野の水上音楽堂には屋根があるんですが、冷えた堅いベンチの上で、
マーマーエーのステージが始まるのをじっと待つのは、なかなかの苦行でしたよ。

20030921_Mar Mar Aye.jpg

カラオケ大会では、客席のマーマーエーが審査員を務めてコメントもするんですが、
間延びした進行で空き時間も多く、その間にマーマーエーにサインをいただきました。
声をかけるのに、一瞬臆してしまうような大物感を醸し出していて、
さすが大御所といったオーラを放つ人でしたが、ぼくの差し出した仏教歌謡集のCDに、
さっと早業で小さくサインを入れたのが印象的でした。
あとにもさきにも、こんなに小さくサインした人って、マーマーエー一人だけだなあ。

長いカラオケ大会がようやく終わり、ステージの準備が整うと、
サウン(竪琴)2台を伴奏に歌う女性歌手の前座が始まります。
そして、待ちに待ったマーマーエーが、いよいよステージに登場。
サンダヤー・トゥンエーヌエのキーボードのほか、ヴァイオリンなど
在日ミャンマー人演奏家を伴奏に、伝統歌謡をたっぷりと歌ってくれました。

Mar Mar Aye  2013.jpg

ちょうど同じ年の2月、ポップスから伝統歌謡まで幅広く歌うメースウィが来日して、
生のミャンマー伝統歌謡を経験したばかりだったんですけれど、
マーマーエーの歌は、格が違いましたね。
マーマーエーはこの後07年1月にも再来日したそうですが、
事前に情報をキャッチできず、見逃してしまいました。
もっともこの再来日時は風邪をひいていて、歌声はいまひとつだったとも聞きましたが。

さて、話は変わり、その後軍政に終止符を打ったミャンマーは、
それまでの政治的抑圧を緩め、マーマーエーも12年に帰国を赦されました。
現在はヤンゴンでコンサートを開くなど、祖国での音楽活動を再開していますが、
まだ一時帰国をしながらの活動となっています。
アメリカで心臓バイパス手術を受けたマーマーエーは、
ミャンマーの医療施設では不安があることに加え、
高額の医療費をミャンマーで稼ぐこともできないとして、
本格的な祖国復帰は、いまだ実現していないのでした。

2003年9月21日 上野・水上音楽堂 マーマーエー・コンサート告知チラシ
2003年9月21日 上野・水上音楽堂 マーマーエー・コンサート・チケット
Mar Mar Aye "NA CHE SHI SUU" no label no number

ブラジルのダンス音楽絵巻 アミルトン・ジ・オランダ

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Hamilton De Holanda & O Baile Do Almeidinha.jpg

これまでになくポップに仕上がった、アミルトン・ジ・オランダの新作。
う~ん、こういうのを待ってたんですよぉ。

ここのところアミルトンは、精力的にレコーディングをしていて、
次々と作品を制作していますよねえ。
その仕上がりは、芸術志向に振れることもあれば、
今回のようにエンタテインメントに振れることもありと、
かなり振幅のあるアルバムづくりをしています。

天才的な技巧と表現力を兼ね備えたアミルトンゆえ、
それをフルに発揮するも良し、リラックスして弾くも良しなんですが、
過度にアーティスティックな演奏は似合わないと思っているので、
アンドレ・メマーリのような共演者は、持ち味が違うと感じてしまいます。

その意味で、ダンサブルなポップなナンバーを、ガフィエイラ・スタイルで演奏した
今回のアルバムは願ってもない企画で、アミルトンのキャリアの中でも、
大衆性と娯楽性に富んだ最右翼の作品に位置づけられると思います。

今回の編成は、ベース、ドラムスのリズム・セクションに、
サックス、フルート、トランペット、トロンボーンの管楽器を加えたアンサンブル。
ショーロやサンバばかりでなく、ショッチやフレーヴォなどの北東部リズムも取り入れ、
ブラジルのダンス音楽絵巻をたっぷりと見せてくれますよ。

ベースは、先日記事にしたばかりの、
ヤマンドゥ・コスタとのデュオ作で共演していたグート・ヴィルチ。
ドラムスはシャンジ・フィゲイレドで、ほかにもトランペットのアキレス・モラエス、
サックスのエドゥアルド・ネヴィスなど、
ブラジリアン・ジャズで活躍する精鋭が揃っています。

レパートリーはアミルトンの自作曲がほとんどですが、グート・ヴィルチの曲が2曲、
アミルトンとグートの共作が2曲あり、どれもメロディアスでポップな曲ばかり。
「踊れる」楽曲をテーマにしたとのことですが、
本当に踊るには、キメのブレイクが多すぎるかも。
レストランでライヴを楽しむようなダンス気分を味わえる一枚です。

Hamilton De Holanda & O Baile Do Almeidinha "HAMILTON DE HOLANDA & O BAILE DO ALMEIDINHA " Brasilianos BPR015 (2015)

秋刀魚とムラーユ ジャミラー・アブ・バカル

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Jamilah Abu Bakar  BAYUN TARI PANGLIMA.jpg

マレイシアの伝統家屋の室内で、伝統衣装を身にまとった女性がたたずむジャケット。
昔のマレイのカンポン(村)の暮らしのイメージを、
グラフィック化したジャケットは、中身が伝統歌謡であることを伝えてくれます。
ムラーユ歌謡を久しく聴いていなかっただけに、即飛びついちゃいましたよ。

誰のアルバムかと思えば、3年前、みずみずしい伝統クロンチョンを聞かせてくれた
新人女性歌手ジャミラー・アブ・バカルじゃないですか。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2012-03-06
いやー、こりゃ嬉しいですねえ。
ここのところマレイシアでは、このテの伝統歌謡がまったくといっていいくらい
リリースされなくなってしまったので、これは貴重な一作といえます。

今回はクロンチョンばかりでなく、シティ・ヌールハリザが
『東方のともしびコンサート』でも歌っていた“Jangan Ditanya” はじめ、
マレイシア伝統歌謡の名曲を交えながら歌ったポップ・ムラーユ・アルバム。
ジャミラーは柔らかにこぶしを回しながら、若さに似合わない落ち着いた歌声で、
しっとりと歌っているんですよ。いいですねえ。
他の歌手だったら、ここで声を張るだろうなというところでも、
けっして強く歌わず、抑えた歌いぶりに徹するところは、好感度高しです。

アコーディオン、ガンブース、ルバーナの響きをたっぷりと生かしたムラーユ、
リズム・セクションやシンセサイザーを取り入れつつ、チュック、チャックの音色が
耳残りするクロンチョンと、プロダクションも申し分ありません。
庶民の食卓には定番の秋刀魚が高騰して、いまや稀少な存在になりつつあるのと、
どこか似た境遇を感じる、マレイシアの庶民が愛した伝統歌謡の快作です。

Jamilah Abu Bakar "BAYUN TARI PANGLIMA" Warisan/PMP Entertainment WR1464/PMP6171 (2015)

アダルト・シャバービー アマール・マヘル

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Amal Maher  WELAD EL NAHARDAH.jpg

おぅ! 待ってました。エジプトの女性歌手アマール・マヘルの新作ですよ。
エジプトのシャバービーでは、イチ押しのシンガーであります。
かつてはアンガームびいきのワタクシでしたが、
10年のエレクトロ・シャバービー・アルバム“MAHADESH YEHASEBNI” に幻滅して、
今はアマール・マヘルに乗り換えさせていただいております、ハイ。

アマールがウム・クルスームに学んだ実力派シンガーであることは、以前書きましたが、
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2012-02-27
古典をしっかり身につけたコブシ使いの美しさは、若き日のアンガームを思わせ、
レバノンあたりのルックス重視なシャバービー・シンガーとは、
格の違う歌唱力を示していました。

惜しむらくは、これまで楽曲に恵まれず、
いまひとつその才能を爆発させられないでいるように思えたんですが、
前作“AARAF MENIEN” でようやくヒット曲にも恵まれ、
スター歌手としてひと回り大きく成長したのを感じさせました。

そして、4年のインターバルを経て、
じっくりと時間をかけて制作された新作は、前作をさらに凌ぐ出来栄え。
レバノンのシャーバビーのような、うるさい打ち込みは一切登場せず、
生音重視のデリケートなプロダクションは、
実力派シンガーの歌唱を浮き彫りにするのに、ふさわしい演出となっています。
思うに、ドガスカうるさいプロダクションって、
ヘタクソな歌をごまかすためにあるんじゃないかとも思えてきますね。

アマールもよく練られたアレンジに応えて、じっくりと歌を聞かせていて、
流麗な響きのストリングス・オーケストラが、
しっとりとした歌の味わいを、いっそう香ばしいものにしています。
内容が良いだけに、文句を言わせてもらいたいのが、ジャケットの人工的メイク。
美女が台無しなうえ、中身のデリケイトなプロダクションも台無しじゃないですか。
制作スタッフの神経を疑います(怒)。

Amal Maher "WELAD EL NAHARDAH" Mazzika MAZCD252 (2015)

ブラザヴィル伝説の名バンド ネグロ・バンド

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Negro Band LES MERVEILLES DU PASSE 1959-1970.jpg   Negro Band  1958-2013 Re-Edition Des Merveilles Du Passe.jpg

アフリカのヴィンテージ録音でリリースされるのは、欧米の研究者による編集盤ばかりで、
当のアフリカからは、まったく登場しなくなってしまいましたね。
ジュジュ、ハイライフ、アパラなどの古いレコードを
せっせとCD化しているナイジェリアが例外中の例外といえますけれど、
ほかの国では、若者が古臭い音楽を必要としていないし、
オールディーズを懐かしむ中高年層も存在しないってことなのかなあ。

そんなことに思いを巡らしたのは、
珍しくアフリカ人の手によるリイシュー盤が届いたからなんですね。
コンゴ共和国がフランスから独立した58年にブラザヴィルで結成された伝説のバンド、
ネグロ・バンドの60年代末録音集です。
これまでネグロ・バンドの録音は、60年代前半のシングルから10曲をCD化した
フェモカ盤が1枚ありましたが、貴重な内容ながら、音質には難がありました。

今回CD化したアニサ・ンガパイ・プロダクションというレーベルは、
ブラザヴィル出身のヴェテラン歌手で、
一昨年に亡くなったジャック・ルベロのCDも出しているので、
レーベルを主宰するアニサ・ンガパイという人、おそらくコンゴ(ブラザヴィル)人なんじゃないかな。

ネグロ・バンドは、クラリネット兼サックス奏者の
マックス・マセンゴが中心となって結成されたバンドで、
のちにオルケストル・バントゥーの母体となったロッカ・マンボとともに、
新興のレコード会社エセンゴの専属バンドとして活動し、
60年代前半に数多くのシングル盤を残しました。
68年にはパリのパテ・マルコーニでマラソン・セッションを行い、
69年に初のアルバム“A TOUT CASSER” をリリースしています。

今回CD化されたのは、この69年作に8曲を追加したもの。
このマラソン・セッションは、77年に2枚組LP(2C150-15971/2)として17曲がLP化されていて、
本CDでは2曲が入れ替わっています。
ラテン色の濃いサウンドを堪能できる、ネグロ・バンド黄金期を代表する最高の演奏集です。
日本未入荷なのが残念なんですけれど、グラン・カレあたりが好きな人なら、ゼッタイですよ。
関係各位の皆さま、ぜひ入れてください。

Negro Band "LES MERVEILLES DU PASSE 1959-1970" Anytha Ngapy Production NGAPY13005
Max Massengo & Le Negro-Band "1958-2013 RE-EDITION DES MERVEILLES DU PASSE" Femoca 1301
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