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無為の音楽 DJまほうつかい(西島大介)

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DJまほうつかい(西島大介) 「LAST SUMMER」.jpg   西島大介直筆ドローイング.jpg

どういう風の吹き回しか、魔が差した(?)のか、わかりませんが、
生まれて初めてアンビエントのコーナーでCDを買いました。

DJまほうつかいという、本職は漫画家である西島大介の作品。
この人の漫画を読んだことはないんですけれど、
どこかで見たことがあるようなイラストに目が留まって、手に取ってみたら、
西島氏の直筆ドローイングが入ってたんですね。
そのドローイングに惹かれて、聴いてみたくなったんでした。

試聴してみると、ピアノ・ソロのアルバムで、
冒頭の即興曲の無為な表情に引き込まれました。
メロディがあるような、ないような、モチーフをそのままフレーズにして紡がれる曲。
手探りで鍵盤を押さえていくような演奏は、幼児が初めて音の出る楽器に接して、
驚き楽しむ無邪気さと共通するところがあります。

こういう無為な音楽を成立させるのって、とても難しいと思うんですよ。
ピアノの上達とともに、こういう素朴な音列を弾いて楽しむことを、人は忘れがちだし、
達者な演奏家が、あえてこういう「ヘタウマ」な音楽をやると、
作為のいやらしさがどうしてもつきまといます。
上手く弾きたいとか、きれいに弾きたいとか、人を感動させたいとか、
そういった雑念を取り払って、音を出すことそのものに没入するのは、
そうたやすいことではありませんよね。

キース・ジャレットに代表される、ナルシシズムの塊みたいな自己陶酔型のピアノは
虫唾が走る性分なので、現代音楽だろうが、アンビエントだろうが、フリー・ジャズだろうが、
こういう音楽はほとんど受け付けられないんですけれど、
この人のピアノを抵抗なく聴けたのは、無為の音楽に徹していたからだと思います。

乾いた叙情の伝わる曲や、愛らしさやせつなさがまじりあった曲も、
しみじみとしていいですね。
全編、無為の音楽に透徹された演奏かといえば、
3曲目の後半や6曲目の一部に、自意識が立つような場面もないじゃないですけど、
ぼくは、この人の演奏、とても気に入りました。

DJまほうつかい(西島大介) 「LAST SUMMER」 ウェザー[ヘッズ] HEADS207 (2015)
西島大介直筆ドローイング

トンブクトゥ・ソウル・ディーバ ハイラ・アルビー

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Khaira Arby  Gossip.jpg   Khaira Arby  Timbuktu Tarab.jpg

待ってました! トンブクトゥのディーバ、ハイラ・アルビーの新作。

The Festival in The Desert.jpg初めてハイラ・アルビーを知ったのは、
04年の『砂漠のフェスティヴァル』のDVDでした。
といっても、ハイラが登場するのはステージではなく、
砂漠の人だまりの中で、
アクースティック・ギターを弾く男性を従えて歌う、
わずか1分にも満たないシーンなんですけれどもね。
その短いシーンながら、
グリオばりの朗々とした歌声を響かせ、
恰幅のいい身体を揺らしながら、
手拍子を叩き堂々と歌う姿に圧倒され、
ハイラ・アルビーの名前は、
即、脳裏に刻まれたのでした。

思えばあのDVDは、
メインで登場するティナリウェンやウム・サンガレより、
ハイラ・アルビーのようにチラッとしか出てこないシンガーやバンドの方が刺激的で、
シュペール・オンズの存在を知ったのも、『砂漠のフェスティヴァル』が初めてでしたね。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2014-02-26

さて、そんな強烈な印象を残したハイラ・アルビーですけれど、
その後調べてみると、トンブクトゥではティナリウェンを凌ぐ人気を誇る、
ソンガイ音楽のトップ・スターだということがわかりました。
グリオ出身かと思わせる素晴らしい歌声ですけれど、ハイラはグリオではなく、
ソンガイのほかトゥアレグとアラブのルーツを持つ人だったんですね。

当時すでに3枚の現地盤をリリースしていて、
そのうちの1枚“YA RASSOUL” はCDリリースされていることも判明したんですが、
マリ盤CDを日本で入手するのは不可能で、結局聴けずじまい。
それだけに、アメリカのクレモント・ミュージックから、
10年の世界デビュー盤“TIMBUKTU TARAB” が出た時はカンゲキしたものです。
(余談ですが、10年にCD番号なしで出た初版はすぐ廃盤となり、
13年にCLE005で再発されました)

本作はその世界デビュー盤に続くアルバムで、通算5作目にあたるアルバム。
前作同様、ロック感覚を吸収した若いメンバーたちによるバンド・サウンドが
キリッと引き締まっていて、ソウル・ディーバの歌いっぷりをいっそう輝かせています。
今回はデモ・バンドのホーン・セクションもゲスト参加し、さらにサウンドに厚みが増しました。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2012-09-12

マリのみでリリースされた過去2作の再発も計画中だそうで、期待が高まります。
アメリカ・ツアーも成功を収めていて、ぜひ日本にも呼んでもらいたいものですねえ。
アフリカのシンガーで今一番観たい人といえば、ハイラのほかにありません。

Khaira Arby "GOSSIP" Clermont Music CLE011 (2015)
Khaira Arby "TIMBUKTU TARAB" Clermont Music no number (2010)
[DVD] V.A. "THE FESTIVAL IN THE DESERT" Triban Union/Wrasse WRASS129 (2004)

乞来日 セルソ・フォンセカ

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Celso Fonseca  LIKE NICE.jpg

蕩けますねえ。
つぶやくように歌う、セルソ・フォンセカのセクシー・ヴォイス。
やっぱこの人は、ボサ・ノーヴァを歌うのが、一番魅力的。
09年のギター弾き語りアルバム“VOZ E VIOLÃO” も、どんだけ聴いたことか。
CDだけでは飽き足らず、収録曲の多いDVDもずいぶん観たもんです。
男のぼくが観てても、ゾクゾクするんだから、女性ファンはもうたまらんでしょう。

さて、そんなセルソのボサ・ノーヴァ・ヴォーカルを堪能できる新作は、
セルソの単独名義となっているものの、ロナルド・バストスとの共作曲が大半を占めていて、
01年の“JUVENTADE - SLOW MOTION BOSSA NOVA” の続編とも言うべき内容。
セルソ・フォンセカが爪弾くギターのバチーダに、
管弦楽オーケストラが絡むシルキーなサウンドは、
クラウス・オマーガンが指揮したオーケストレーションで知られるジョビンの名作
“THE COMPOSER OF DESAFINADO, PLAYS” “WAVE” と見事にオーヴァーラップします。

フェロモン出まくりだった“JUVENTADE - SLOW MOTION BOSSA NOVA” と比べると、
さすがに年月を経た感がありますね。
円熟味を増して、若いギラギラ感が削ぎ落ちたってところでしょうか。
甘美なメロディ揃いで、とろっとろだったあのアルバムに比べると、
本作は色彩感を抑えた、シブい味わいのアルバムとなっています。
あのアルバムが甘口すぎると感じていた人には、むしろ本作の方がなじみやすいはず。

来日を望んでいるファンは大勢いると思うんですが、ゲストで来たことはあるものの、
いまだ単独公演は実現せず。今度の新作を機に、そろそろどうですかね。

Celso Fonseca "LIKE NICE" Universal 060254732677 (2015)

お悔やみ ヴィクトル・デメ

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20100612_Victor Démé.jpg

ブルキナ・ファソのマンディンゴ人シンガー、ヴィクトル・デメが今月21日に亡くなられたそうです。
まだ53歳という若さで、病院に向かう途中で息を引き取ったとのこと。
マラリアが死因だったというのには驚かされました。
成人したアフリカ人はマラリアの免疫を持つので、
亡くなるようなことはないとばかり思っていたんですが、
マラリアで命を落とすのは小児とは限らないんですね。

ヴィクトル・デメは、46歳にしてデビュー作をようやく出した苦労人の歌手です。
アビジャンでプロとなり、アブドゥライ・ジャバテのシュペール・マンデにも参加しましたが、
ブルキナ・ファソ帰国後は、音楽で生計を立てることができず、
仕立て屋をしながら、細々と歌い続けてきたという人でした。

08年にリリースしたそのデビュー作は、ブルージーなナンバーを力の抜けた声で歌い、
苦節の日々が滲む、味わい深いアルバムでした。
4万枚のセールスをあげ大成功となったデビュー作は、
『ブルキナファソからの黄昏アフロ・ブルース』という秀逸なタイトルが付けられ、
日本でもリリースされました。

Victor Deme  2010.jpg

10年6月には、日本にも来てくれたんですよ。
気さくな人柄で、歌手というより、近所のおじさんのような親しさを感じさせる人でしたねえ。
ニコニコしていた笑顔が印象的だったなあ。
遅咲きだったからこそ、まだまだ活躍してほしい人でした。残念です。

Victor Démé "VICTOR DÉMÉ" Chapa Blues CPCD001 (2008)

アフリカン・モダン・フォーキー ブリック・バッシー

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Blick Bassy  AKÖ.jpg

カメルーンって、面白い才能を生み出す国だなあ。
ヤウンデ生まれのブリック・バッシーは、繊細な感性をうかがわせる、
モダン・フォーキーな歌を歌うシンガー・ソングライター。
ブリックが弾くギターに、チェロ兼バンジョーとトロンボーンの白人演奏家二人による
ユニークなトリオ編成。曲によってはサンプルやハーモニカも加わり、
品のいい室内楽ふうの演奏にのせ、ひ弱な歌い口で、とぼけた味の歌を聞かせます。

ノー・フォーマット!というレーベルらしい、いかにもヨーロッパ人好みの音楽といえますけれど、
ひ弱そうな音楽の根底に、おおらかなアフリカ性が横たわっているのが伝わってくるので、
アフリカン・ポップス・ファンにも十分アピールするものを持っている人です。
といっても、記号化されたアフリカン・サウンドはいっさい登場しないので、
リシャール・ボナにアフリカ性を感じ取ることのできるファン向けといえるかな。
じっさいブリックは、リシャール・ボナのセンシティヴさと共通する資質を感じさせますね。

ブリックは21人兄弟という大家族に生まれ、両親が建てた教会の合唱隊で5歳の時から歌い、
17歳の時に初めての自分のバンド、ザ・ジャズ・クルーを結成しています。
のちにマカズと改名するこのジャズ・フュージョン・グループで10年近く活動したのち、
パリに渡ってソロ活動を始め、05年にデビュー作を出して以降、本作が3作目とのこと。

面白いのが、デルタ・ブルースのスキップ・ジェイムズにインスパイアされて、
本作を制作したというエピソード。なんでまた、スキップ・ジェイムズ???
直接スキップ・ジェイムズの影響を感じさせる部分はありませんけれど、
ファルセットなどを交えながら、繊細な陰りを持つスキップ・ジェイムズの特異な音楽性に、
ブリックが共感したのも、わかるような、わからないような。
子供の頃の情景とダブるものを、スキップ・ジェイムズのブルースに感じているんだそうです。

ほかに影響を受けたミュージシャンに、ニーナ・シモン、マーヴィン・ゲイ、ビートルズに並んで、
カメルーンのギター弾きでマコッサを歌った第一人者のエボア・ロタンや、
アシコの王様ジャン・ビココ・アラディンを挙げているところは、やはりカメルーンの人ですね。
ちなみにブリックは、ジャン・ビココ・アラディンと同じバサ人で、
このアルバムでも全曲バサ語で歌っています。
母語で歌うことにこだわるのも、リシャール・ボナと共通していますね(ボナはドゥアラ語)。

Apple のiPhone 6 のCM で、ぼくもこのアルバムの存在を知ったクチですが、
わずか30分足らずの作品とはいえ、クオリティの高さに驚かされました。
朗らかな音楽の表情とユーモアあふれるステキな作品です。

Blick Bassy "AKÖ" No Format! NOF28 (2015)

ボサ・ノーヴァのフロウを発明したリズムの天才 タクシー・サウダージ

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Taxi Saudade BOSSA-MONK.jpg

「ボサ・ノーヴァを日本語で歌ったところで、しょせん借り物の歌謡曲にしかならない。
日本人が日本語でボサ・ノーヴァを歌えないのは、サンバのリズムがわかってないからだよ」
そんなことをしたり顔で言っていたぼくの後頭部を、
タクシー・サウダージのデビュー作は、思いっきり張り倒したのでした。
ここまで見事に、日本語をサンバのリズムに乗せて歌ってのけた人は、彼が初めてです。
サンバのニュアンスをしっかりと持ったその歌い口に、ぼくはすっかりまいってしまったのでした。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2014-07-22

衝撃的だったあのデビュー作から1年、早くも届いた2作目。
新作はボサ・ノーヴァばかりでなく、サンバやマルシャも取り入れ、
タクシー・サウダージのサンバ解釈がホンモノであることを、鮮やかに示しています。
でも今作のスゴさは、そんなところにあるんじゃないですね。
はっきりいって今作でのサンバは、アルバムにほんのアクセントをつけたにすぎません。

今回ぼくがブッとばされたのは、オープニングの<ボサ・ノーヴァ・ラップ>と、
シャンソンの大有名曲「枯葉」のカヴァーです。
<ボサ・ノーヴァ・ラップ>なぞと思わず口走ってしまいましたが、
冒頭のオリジナル曲「尊いこと」のヴォーカルは、
そうとしか表現しようのない、ユニークなヴォーカル・スタイルを聞かせてくれます。
ぼくはこの1曲で、タクシー・サウダージがリズムの天才であることを確信しましたね。

前作で彼は、日本語をボサ・ノーヴァのリズムにのせる類まれなるセンスを発揮しましたけれど、
新作ではそれをさらに深化させ、ラップにおけるフロウを、
ヒップホップでなくボサ・ノーヴァという土俵でやってのけているんですよ!
こんな斬新なリズムの挑戦をした人、誰ひとりもいません。よくまあ、考えついたなあ。
いや、おそらく、頭で考えたアイディアではないんでしょうね。
これほど自然体で表現できるのは、日本語の響きをリズムにのせていく天性のリズム感を、
身体の中にしっかりと持っているからこそなんでしょう。

さらに、その日本語をリズムにのせる勘の良さを証明してみせたのが、
あの超有名曲「枯葉」のカヴァー。
聴き慣れた「枯葉」の譜割りを変えて、彼独特のボサ・ノーヴァに仕上げているんですが、
このリズム・アレンジの新鮮さには、降参です。
「枯葉」のボサ・ノーヴァ・カヴァーなんて、とんでもなく凡庸になりそうなところを、
こんなふうに聞かせることができるのかというオドロキの仕上がりに、
タクシー・サウダージの天性のリズム・センスが如実に表れています。
ジョアン・ジルベルトの歌とギターのリズムのズレを研究し、体得したからこその芸当でしょうか。

タクシー・サウダージの真骨頂はリズムにあり、ですね。

Taxi Saudade 「BOSSA-MONK」 Ja Bossa Disc JBD001 (2015)

ロビのバラフォン S・K・カクラバ

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SK Kakraba  Songs Of Paapieye.jpg   Kakraba Lobi Xylophone Player From Ghana.jpg

なつかしいバラフォンの響きに、30年前へタイム・スリップするような感覚を覚えました。
S・K・カクラバとクレジットされた、ガーナ、ロビ人バラフォン奏者のソロ・アルバム。
その名前から察せられる通り、カクラバ・ロビの甥っ子だそうです。
といっても、今ではカクラバ・ロビを知らない人も多いかもしれませんね。

バラフォンの強烈なサウンドを、初めて日本人に教えたのがカクラバ・ロビでした。
初来日した83年暮れのソロ・コンサートは、いまでも忘れられません。
ピアニストの一柳慧と打楽器奏者の高田みどりが出演する、
現代音楽のコンサートという企画で招聘されたのでした。

会場の西武美術館は、スノッブな雰囲気が違和感ありありで、
アフリカの民俗音楽を<鑑賞する>、居心地の悪いものでしたけれど、
いざコンサートが始まってみると、バラフォンのサウンドに観客はドギモを抜かれ、
アフリカ音楽の凄みを思い知らされたのでした。

そのころぼくは、マンデのバラフォンを持っていたんですが、
こんなノイジーな音は出なかったんだよなあ。
マンデのバラフォンは、共鳴器のひょうたんがロビのよりは小ぶりで、
鍵盤もロビのは平べったいのに、マンデのは大ぶりのカツオ節ぐらいの太さがあり、
ノイズ成分の少ないコロコロとした音色の、木琴らしいサウンドをしていました。
参考までに、マンデのバラフォンは、亡くなったケレティギ・ジャバテのソロ作
“SANDIYA” のジャケットに写っているので、載せておきましょう。

Keletigui Diabate.jpg

当時カクラバ・ロビのソロ・アルバム“XYLOPHONE PLAYER FROM GHANA” や、
ロビ人の葬儀をフィールド録音したオコラ盤を聴いていたので、
自分が持っているマンデのバラフォンと音色が違うことを知っていたとはいえ、
じっさいに体験するバラフォンの響きには、ビックリでした。
びーーん、びーーんと鳴る、木琴とは思えないような金属的な響き。
鍵盤の下にぶら下がる、共鳴器のひょうたんに開けられた穴をふさぐクモの巣が、
ブーブー紙と同じ効果をもたらして、強烈なノイズを撒き散らします。

Neba Solo  KÉNÉDOUGOU FOLY.jpg   Neba Solo  KENE BALAFONS.jpg

カクラバ・ロビを聴いてからというもの、シビれるような倍音の出るバラフォンに憧れ、
どうしてももう1台バラフォンが欲しくなり、その後ロビではなく、
ネバ・ソロが弾くのと同じ、セヌフォのバラフォンを手に入れました。
カクラバ・ロビが演奏するバラフォン(コギリ)より鍵盤の数が多く、大型のものです。
これまた参考まで、ネバ・ソロのジャケットをのせておきましょう。
振り返ると、就職して結婚するまでの20代の間って、
ボーナスをもらうたびに、アフリカの楽器や仮面に散財してたなあ。

その後カクラバ・ロビは、ちょくちょく日本にやって来るようになり、
こちらも何度か観るうち、さすがに新味も薄れた感はありましたけれど、
マレットの反対側で鍵盤をグリッサンドするテクニックなど、
カクラバ・ロビ直伝のプレイを聞かせるS・K・カクラバのアルバムには、頬がゆるみました。

Burkina Faso  Xylophone De Funeralle.jpg

ロビの人たちがバラフォンを演奏するのは、葬儀が主ですけれど、
本作にも伝統的なロビの葬儀の曲が多く演奏されています。
ロビの葬儀でのバラフォン演奏といえば、LP時代にオコラ盤を愛聴したものですけれど、
CD時代になってオコラが再度フィールド録音した
“PAYS LOBI - XYLOPHONE DE FUNERAILLES” は、音も良く臨場感に溢れ、
S・K・カクラバを気に入った人にはオススメです。

そういえば、カクラバ・ロビの息子のテンソ・カクラバが、
日本に住んでいたはずなんだけど、今はどうしているんだろう。

SK Kakraba "SONGS OF PAAPIEYE" Awesome Tapes From Africa ATFA018 (2015)
[LP] Kakraba Lobi "XYLOPHONE PLAYER FROM GHANA" Tangent TGS130 (1978)
Kélétigui Diabaté "SANDIYA" Contre-Jour CJ012 (2004)
Neba Solo "KÉNÉDOUGOU FOLY" Mali K7 no number (2000)
Neba Solo "KENE BALAFONS" Cobalt 09295-2 (2000)
Palé Tioionté, Hien Bihoulèté, Kambiré Tiaporté and Da Gboro Alé "BURKINA FASO : PAYS LOBI - XYLOPHONE DE FUNERAILLES" Ocora C560148 (1999)

謎のアパラ・シンガー アインラ・アデゲイターズ

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Ayinla Adegators.jpg

去年CD化されて快哉をあげたファタイ・オロウォンヨのレコード会社オゴ・オルワキタンから、
アインラ・アデゲイターズというもう一人別のアパラ・シンガーが、2タイトルCD化されていました。
この人の名前はナイジェリアの文献の中にあったので知っていましたけれど、
レコードを持っていなかったので、聴くのは今回のCDが初めてです。

そのうちの1枚、“KADARA L’OWO” は全編ゆったりとしたテンポで、
ハルナ・イショラのアパラを思わせます。
リード・トーキング・ドラムは良く歌っているものの、アンサンブルは少人数で、アレンジが単調。
テンポが遅いせいもあって、ややかったるく、通して聴くと退屈な感は否めません。

二流のシンガーだな、こりゃと、期待せずにもう一枚の“YOKO YOKO” を聴いてびっくり。
まるで別人。ぐっとテンポをあげて、怒涛の勢いで疾走するアパラが全面展開!
こちらにはトラップドラムも入っていて、パーカッション・アンサンブの厚みが増しています。
なんだよ、どっちがこの人の本領なんだよと、戸惑ってしまうほど違います。

アインラ・アデゲイターズは少し枯れた声で、
こなれた歌い口とコブシ回しは、聴く者をぐいぐい引き付ける魅力があります。
ハルナ・イショラともアインラ・オモウラとも違う、ちょっとリガリ・ムカイバにも似た魅力がありますね。
声がばらばらのお囃子がまたいいんだなあ。この不揃いの粗っぽさに味があるんです。
後半、勢いを増してヒートアップしていくところなど、息つかせぬ迫力。
いやあ、すごいなあ、これぞアパラの魅力ですよ。

ナイジェリア盤CDゆえの音質の悪さに辟易しますが、このビート感は80年代録音と想像します。
どういう人なのかとネット検索してみたんですが、この人のバイオを見つけることができませんでした。
そう古い人ではないはずなんですが、ジャケットのボケボケの写真はどーゆーことでしょうか。
こんな写真しかないのかよと、アキれてものも言えません。
まるで戦前ブルース・マンのボー・ウェイビル・ジャクソンやヘンリー・トーマスみたいな、
あってないがごときの写真。まったく顔の表情は読み取ることができません。
謎のアパラ・シンガーですね。

Ayinla Adegators & His Apala Reformance’s "YOKO YOKO" Ogo Oluwakitan no number

パン・ウェスト・アフリカン・グルーヴ ブールンバル

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Boolumbal FUUTA BLUES.jpg

6年前に出ていたブールンバルというグループのデビューCD、
ぜんぜん気付かなくて今頃聴いたんですが、なかなか面白い音楽性を持っています。
モーリタニア人歌手でギタリストのマリック・ジャと、フランス人ギタリストで
プロデューサーのニコラス・リーバウトがパリで結成したグループなんですが、
ひとことでいえば、マンデ・ポップを核としたパン・ウェスト・アフリカン・ポップ。
マンデ・ポップやンバラにヨーロッパの要素がほどよくブレンドされ、
その妙味にこのグループならではの個性があります。

マリックの出身がモーリタニアといっても、ムーア音楽の要素は皆無です。
ニコラス作の1曲を除いて全曲マリックの作で、
モーリタニアの詩人アブドゥル・アジズ・バが書いたプール語の歌詞を歌っているので、
ライナーには書かれていませんが、マリックもプール人なのかもしれません。

マリックはモーリタニア南部セネガル川沿いの都市カエディの出身。
対岸はセネガルという国境沿いのこの都市は、セネガルとの往来が盛んで、
マリックも95年にセネガルでカセットをリリースしたのち、ママドゥ・コンテと西アフリカをツアーし、
02年にモーリタニアを離れパリへ移住したのだそうです。

パリでアフリカ音楽に傾倒していたニコラス・リーバウトと出会い、
マリックの広いレパートリーと向き合いながら、
じっくりと4年間をかけて完成させたのがこのデビュー作だと、ライナーには書かれています。
なるほどそれだけの時間をかけただけのことはある、練れたアレンジと演奏が聞きもので、
アフリカ人ミュージシャンが生み出すグルーヴに、白人ミュージシャンのプレイがよく溶け込んで、
理想的なコラボレーションを聞かせます。

グループ・メンバーを眺めると、アフリカ人メンバーは、ウセイマン・ジョウフ(ジェンベ、サバール)、
バオ・シソコ(コラ)、フォデ・サッコ(ンゴニ)、ムサ・ジャバテ(バラフォン)など、
セネガルやマリのグリオ出身者とおぼしき名前が並んでいるのに気付きます。

さらにゲストとして、マリからはンゴニの若手のホープ、マカン・トゥンカラ、
ギネアからはママディ・ケイタのグループに在籍するモハメド・シソコ(バラフォン)に、
セクーバ・バンビーノ・ジャバテのグループのババ・ガレ・カンテ(プールの笛)、
セネガルからは、ファルー・ジェンやシェイク・ローなどのバックを務めるママネ・チャム(タマ)に、
バーバ・マールのバック・コーラスのアワ・カナラという、マンデ・オール・スターズが勢揃い。

一方、白人ミュージシャンのほうは、ベース、ギター、ドラムス、ゲンブリ、パーカッションの
ニコラスが控えめなプレイに徹しているのに対し、
アコーディオン、シンセ、ヴァイオリンのメンバーがソロ・プレイで聴きどころを作っています。
マリックのギターとヴァイオリンだけで女性コーラスと歌った“Neene-am” もいい仕上がりなら、
アクースティック・スウィングに仕上げた“Continent Noir” は、
ミュゼットふうのアコーディオンが絶妙。
シャッフルの“Nguru Gool” なんて、途中に出てくるエレピ・ソロが、
フェラ・クティかマイルズ・デイヴィスかという感じで、ワクワクもの。

マンデ・ポップにンバラやイェラをミックスしたパン・ウェスト・アフリカン・サウンドに、
ソロ・パートでジャズやブルースのセンスを取り入れたブールンバルのデビュー作、
アフリカらしさを損わず、過剰な化粧もせずにモダンに聞かせるその手腕は、
90年代のパリのワールド・ミュージック・ブームの時代と比べて、
アフリカ側・ヨーロッパ側双方とも相互理解が進んだのを実感します。

Boolumbal "FUUTA BLUES" Playa Sound PS66413 (2009)

ビギン・ジャズ・ピアニストの逸材 ロナルド・チュール

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Ronald Tulle  RAISING.jpg

いぇ~い! 胸をすくとは、まさにこのこと。
イキのいいビギン・ジャズに、全身総毛だっちゃいましたよ。
ゴキゲンなピアニストの名はロナルド・チュール。

64年マルチニークのフォール=ド=フランスに生まれ、80年にフランスのルーアンに音楽留学し、
87年の帰郷後、多くのズーク・シンガーに曲を提供するほか、
ディレクター、アレンジャーとして活躍してきた人だそうです。
活動歴を見ると、カッサヴ、マラヴォワ、ユジューヌ・モナ、ラルフ・タマール、エリック・ヴィルガル、
ジャン・フィリップ・マルテリー、ジェルトルード・セイナン、ラ・ペルフェクタなどなど、書ききれません。

裏方の仕事が長かったようですが、05年にデビュー作“FWI”をリリースし、
09年の“LES NOTES DE L’AME”を経て、本作が3作目にあたるんですね。
豊富なキャリアを裏打ちするように、ブレイクを効果的に使った曲作りはうまいし、
饒舌な指さばきや上原ひろみみたいな曲芸ぶりも、
嫌味になる一歩手前で止めていて、聞かせどころのツボがよくわかっているという感じ。
キレのあるピアノ・タッチと豪快なリズム感が実に爽快で、
ブリッジが4ビートになるカリプソの8曲目“Doud'” が、本作のハイライトかな。

ぼくのごひいきビギン・ジャズ・ピアニスト、マリオ・カノンジュの4つ年下で、ほぼ同世代。
遅咲きのソロ・アクトというところでしょうか。
本作はベーシストが4人参加していて、曲ごとに交替。
3人はエレクトリックだけど、ゆいいつアクースティックを弾くアレックス・ベルナールは、
マリオ・カノンジュとも一緒にやっていたヴェテランですね。
ドラマーはトーマス・ベロンとギヨーム・ベルナールの二人。
ギターとフェンダー・ローズの二人が、それぞれ1曲ずつ客演しています。

エルヴェ・セルカルなど若手の活躍も目立つ、フレンチ・カリビアン・ジャズ・シーン。
まだまだ知られざる逸材がいることを実感させられた1枚です。

Ronald Tulle "RAISING" Cysta Management CM007-02 (2014)

グアドループのカドリーユ楽団 ナルシス・ブカール

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Narcisse Boucard  LE DÉLIRE DE NARCISSE.jpg   Narcisse Boucard  QUADRILLE TRADITION.jpg

ロナルド・チュールと一緒に届いたのが、
グアドループのアコーディオン弾き、ナルシス・ブカールのアルバム。
この人の99年のデブス盤を持っていたので、おや、ひさしぶりと思ったんでした。

デブス盤は伝統的なカドリーユ・アルバムでしたけれど、
ギターやスティールパン、キーボード、バンジョーを効果的に使っていて、
30分程度という小品ながら、なかなか聞かせるアルバムに仕上がっているんですよ。
カドリーユのような伝統音楽は、なかなかCDにならないので、
新作が出るというのは珍しいですね。自主制作かもしれませんが。

グランド=テール島南部の町ココワイエに生まれた
ナルシス・ブカールは、子供の頃から音楽好きで、
ギターを覚えて、わずか5歳で地元の楽団に加わっていたんだとか。
お兄さんがアコーディオンを弾いていた影響で、
その後アコーディオン奏者になったんだそうです。

新作ライナーには、60年に撮影された3人の少年の白黒写真が載っていて、
アコーディオンを抱えた幼いナルシスが、二人の甥っ子と一緒に並んで写っています。
甥っ子二人は、一人は竹製打楽器のシヤックを、もう一人はギターを持っています。
その新作は、カドリーユを中心としながら、ビギンやコンパもやっていて楽しい限り。
田舎のカドリーユ楽団といった風情ながら、カクシ味に打ち込みをさりげなく使っていて、
ポップスとして制作している姿勢は、プロの仕事ですね。

伝統音楽のレコーディングは、きちんとプロデュースしないと、
アマチュアみたいなシマリのないものになりかねないところがあるので、
ポップに親しみやすく作られた本作は、その意味でも成功した秀作といえます。

Narcisse Boucard "LE DÉLIRE DE NARCISSE" no label NB001 (2015)
Narcisse Boucard "QUADRILLE TRADITION" Debs 2502-2 (1999)

ミャンマーに天才少女歌手現る メーテッタースウェ

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May Thet Htar Swe  SANDA KAINAYI NIN DUTIYA SHWE NINSI.jpg   May Thet Htar Swe  KAUNG CHIN MINGALAR.jpg

ソーサーダトンのCDを、在日ミャンマー人ショップで見つけて、かれこれ十数年。
伝統歌謡をみずみずしく歌う東南アジアの若手女性歌手といえば、
当時マレイシアのシティ・ヌールハリザがすでに有名でしたけれど、
そのシティに劣らぬ高い歌唱力と、バツグンの表現力に惚れ込み、
以来、ソーサーダトン、ソーサーダトンと、事あるごとに吹聴し続けてきました。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2010-03-27
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2013-02-17

その甲斐あってか、日本のCDショップには売っていない
ミャンマー盤CDにもかかわらず、ディスク・ガイド『定盤1000』にも選ばれ、
応援団としては満足至極であります。
とはいえ、まだまだ一部の音楽ファンが知るのみのミャンマー音楽ですけれど、
昨年は日本人がミャンマーで現地録音したアルバムが登場するなど、
少しづつミャンマーの伝統音楽に触れる機会が増えてきた気がします。

そんな旬になりつつあるミャンマーの伝統音楽なんですが、
ソーサーダトンを初めて聴いた時の衝撃が蘇る、スゴイ新人が登場しました。
それがこの、メーテッタースウェ。まだ中学生という、13歳の少女です。
YouTube にはもっと幼い頃の映像もたくさん上がっていて、
大人顔負けの歌いぶりにビックリさせられます。

メーテッタースウェは7歳でデビューし、毎年恒例の全国伝統音楽コンクールで、
何度も金賞を受賞するという、早熟の天才少女歌手です。
13年1月12日、ヤンゴンの人民公園で開かれたマーマーエー
帰国初のソロ・コンサートにもゲストとして招かれ、歌っています。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2015-09-09

さらに今年4月には、ヤンゴンの国立劇場で行われた
科学技術省が後援する世界知的所有権の日記念イヴェントで、
ミャンマー伝統音楽への貢献を讃えた賞を授与されています。
この時はメーテッタースウェとともに、93歳の最古参の作曲家ボコレーティンアウンも
賞を授与され、老若男女のダブル受賞が話題となったそうです。

これはなんとしても、メーテッタースウェのCDを聴かなきゃねえ!
というわけで、日本の大学を卒業した元留学生で、現在は仕事でミャンマーと日本を
行き来しているミャンマーの知人に連絡をとり、CDを買ってきてもらったのでした。
彼が買ってきてくれたのは、今年1月にリリースされた
“SANDA KAINAYI NIN DUTIYA SHWE NINSI” と、
8月にリリースされたばかりの“KAUNG CHIN MINGALAR” の2枚。

“SANDA KAINAYI NIN DUTIYA SHWE NINSI” は、
伝統歌謡と西洋ポップス折衷スタイルのミャンマータンズィン。
いかにもミャンマーらしい健全歌謡調のポップ・ナンバーが多いんですけれど、
沖縄音階そのものの6曲目など、ものすごくユニークな曲も聞けます。

一方、“KAUNG CHIN MINGALAR” の方は、仏教歌謡と思われる本格的な古典歌謡。
伴奏がサイン・ワインではなく、サウン(竪琴)とフネー(チャルメラ)や
パルウェー(縦笛)を中心にした、小編成の室内楽サウンド。
サイン・ワインのにぎやかなサウンドではなく、音数の少ないこうした編成は、
歌い手にとってはゴマカシの効かないものといえますが、
古典歌謡独特のこぶしを鮮やかに駆使した、
とびっきりフレッシュな歌声はまばゆいばかりで、感動します。
これが13歳の歌声とは!

May Thet Htar Swe "SANDA KAINAYI NIN DUTIYA SHWE NINSI" Rai no number (2015)
May Thet Htar Swe "KAUNG CHIN MINGALAR" Rai no number (2015)

蘇る60年代のマンゲイラのサンバ

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MANGUEIRA - SAMBAS DE TERREIRO E OUTROS SAMBAS.jpg

苦節15年! ついに手に入れたどーーーーーーっ!!

もう涙・涙・涙であります。あ~~、うれしーーーーーっ!!!
はしゃぎまくって、部屋んなか、ぐるぐる駆け回りたい気分です。
『レコード・コレクターズ』誌恒例の「私の収穫2015」に、けってぇ~い!
と言いたいところなんですけど、まだリリース後15年のCDなのは、
ちょっと基準外ぽい感じなので、こちらで発表することにしました。

そのCDは、リオ・デ・ジャネイロ市の文化保存部局肝入りの
サンバ・メモリー・プロジェクトによって、00年に制作されたCDブック。
これがとんでもない逸品だというのは、サンバの名作詞家にしてプロデューサーの
エルミニオ・ベロ・ジ・カルヴァーリョが、60年代にカセット・テープに残していた
マンゲイラのサンビスタたちの未発表録音を、25曲も一挙蔵出ししたからなんですね。

しかも、そのラインナップがスゴいんです。
カルトーラが13曲、ネルソン・カヴァキーニョが3曲、パデイリーニョが3曲、
カルロス・カシャーサ、ネルソン・サルジェントとエルミニオの3人が歌う2曲、
あと、カルロス・カシャーサ、プレト・リコ、クレメンチーナ、メニニーニャが各1曲ずつ!!!
これすべて未発表という、サンバ・ファンなら眩暈じゃすまない、気絶ものの内容ですよ。

どうもこの録音は、スタジオで正式に録ったものではなく、自宅で演奏した録音や、
友人たちのパーティのような場所で録音したとおぼしきもので、
だからこそのリラックスしたサンビスタたちのなまなましい演唱が記録されていて、
口はもう、あんぐり開きっぱなしです。
なかでも、若々しいカルトーラやネルソン・カヴァキーニョの弾き語りが
たっぷり聞けるとあっては、もうたまりません。失禁寸前です。

若き日のカルトーラが当時の名クルーナー、フランシスコ・アルヴィスに作曲した
33年の曲“Divina Dama” を、カルトーラ自身が歌うヴァージョンなんて、初めて聴きました。
しかもこの曲、ジャコー・ド・バンドリンがギターを弾いているんですよ!
ほかにもジャコーがギター伴奏している曲が6曲もあって、
これにはびっくりさせられました。
バンドリンの天才ジャコー・ド・バンドリンのギター演奏というのも珍品なら、
カルトーラと一緒に録音を残していたなんて、
これまでそんな記事を読んだことすらありませんでしたから。

ディスク1の25曲目までが、エルミニオの秘蔵カセットからの音源で、
25曲目の途中から、この企画のために新たに録音された曲に移ります。
ディスク1の最後31曲目までとディスク2の26曲は、パウローンがアレンジを務め、
ネルソン・サルジェントはじめ、シャンゴー・ダ・マンゲイラ、タンチーニョなど、
現在のマンゲイラの重鎮たちが歌っています。

そしてディスク2の最後は、60年代録音のカルトーラの“Alegria” で締めくくられ、
ジャコー・ド・バンドリンのギター伴奏によるカルトーラの歌に、
ペドロ・アモリンのバンドリンとゼー・ダ・ヴェーシャのトロンボーン、コーラスを
オーヴァー・ダブした、粋な演出となっています。

58ページのCDブックには、37年当時のニテロイの写真から始まり、
CDに収録されたサンビスタたちのバイオグラフィが、
貴重な写真とともに掲載されています。

これほどの逸品が、カルトーラやネルソン・カヴァキーニョのファンにすら
知られていないのは、一般に販売されたCDではないからなんですね。
リオ市の記念事業だかなんだかで作され、頒布されたものなので、
中古市場に流れてくるのを探すしかなかったんですよ。
ブラジルでは、財団やら銀行やらが制作するレコードというのがかなりあって、
入手するのはホントに苦労させられます。
(参考)http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2009-08-15

執念で手に入れた激レア・サンバ・アルバム、特上の逸品でありました。
どんなスゴイ音源なのか知りたい方は、こちらをどうぞ。
http://www.sambaderaiz.net/v-a-mangueira-sambas-de-terreiro-e-outros-sambas-1999/

Cartola, Nélson Cavaquinho, Padeirinho, Carlos Cachaça, Zé Ramos, Nelson Sargento and others
"MANGUEIRA - SAMBAS DE TERREIRO E OUTROS SAMBAS"
Arquivo Geral da Cidade do Rio de Janeiro CRILSM99CD (2000)

72年全盛期のライヴ アルバート・キング

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Albert King  LIVE AT THE FABULOUS FORUM 1972.jpg

70年代ロックのライヴ録音が続々とCD化される傾向は、ここ数年ずっと続いていますけれど、
とうとうブルースにまで、その波が押し寄せているようですね。
アルバート・コリンズやジョニー・シャインズあたりなら、平然と無視もできますが、
アルバート・キングやオーティス・ラッシュとなると、心中穏やかではおれません。
試聴機でヘッドフォンを装着してみれば、陥落は必至なのでした。

でもねえ、大手の輸入CDショップが、
西新宿あたりのブート屋みたいなことになっているのは、いかがなものなんでしょうか。
1000円盤と廉価ボックスとブートレグが売り場でデカイ顔をしてるのって、
いよいよフィジカル滅亡の日も間近かという予感を、十二分に漂わせます。
CDメーカーの断末魔を見るようなこの状況、暗澹たる気分にもなってきますねえ。

そんなフィジカル派には、お先真っ暗な今日この頃でありますが、
話を戻して、アルバート・キングの72年ライヴ、美味しゅうございました。
アルバートの絶頂期のライヴは、バックはドナルド・キンゼイのギターに、
ホーン・セクションも加えた編成でばっちり、音質も上々であります。
アルバートにしては珍しくギターが歪んでいて、個人的には好みであります。

実は、ワタクシ、それほどアルバート・キングのファンではないんですよ。
歌もギターもなめらかすぎ、整いすぎて、
もう少しアクというか、エグ味が欲しくなってしまうんですよねえ。
艶やかなチョーキングが、ロック・ファンにアピールしたんでしょうけれど、
う~ん、上手すぎるというか、カッコよすぎるというか。
B・B・キングも同じで、ぼくには気持ちが入り込みにくいブルース・マンなのであります。

というわけで、何十年ぶりに聴くアルバートなんですが、
男の色気たっぷりの力のこもったヴォーカルに、強力な指使いの太いギターは、
やっぱり有無を言わせず、聞かせるものがあります。
分かりやすくて、何が悪い。素直にカッコいいと、認めましょう。

Albert King "LIVE AT THE FABULOUS FORUM 1972" Rockbeat ROCCD3324

ベスト・エチオピアン・ポップ・オヴ・2015 エリザベス・テショム

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Elisabet Teshome.jpg

エチオピア経済の急成長にともなって、
エチオピアン・ポップスの舞台が、国外の移民コミュニティから、
完全に現地に返り咲いたのを実感するここ数年。
そんな数年来の好調を結実した最高作が、ついに登場しましたよ。
今年のエチオピアン・ポップスのベスト作であることはもちろんのこと、
ここ数年で考えたって、これほどの傑作はなかったでしょう。すごいぞ、これ。

エリザベス・テショムという女性歌手、若そうに見えますが、
確か90年代半ばからカセットを出している人。
寡作な歌手で、CDはぼくも初めて見ました。
表紙に“VOL-1” とありますが、もしかしてこれが初CDでしょうかね。
もうひとつ、表紙に“OLDIES” と書かれているんですが、
なんと本作、往年の名歌手ベズネシュ・ベケレのカヴァー・アルバムなんです!

うひゃー!と、ここで驚いてくれなきゃ、エチオピア音楽ファンとはいえません。
アスター・アウェケに始まり、エチオピアの女性歌手たちが
こぞって模範とした、伝説の歌手であります。
思えば、エチオピア音楽の黄金時代の曲をカヴァーするのは、非エチオピア人バンドばかり。
当のエチオピアからオールディーズ・ナンバーを歌う人が現れないと思っていたら、
いきなりベズネシュ・ベケレのカヴァーで真っ向勝負とは、
それでこそエチオピア人魂と、かけ声のひとつもかけたくなるというもの。

しかも、その出来栄えがバツグンなんだから、何をかいわんやです。
ベズネシュ・ベケレの濃厚なこぶし回しやシャープな歌声に、
どこまで迫れるのかと聴く前は心配したものの、一聴でそんな不安は消し飛びました。
いやあ、堂々たる歌いっぷりです。ベズネシュに負けず劣らずの歌声の強さを持ち、
ベズネシュになかったふくよかな味わいまであるんだから、恐れ入るほかありません。

そして、プロダクションの気合の入り方も、並じゃない。
全編で分厚いホーン・セクションが大活躍。
これほど贅沢に生のホーンズを使ったプロダクションは、快挙ですよ。 
90年代以降のエチオピア音楽では、ホーンズをシンセで代用するのがデフォルトになり、
もう往年の贅沢なビッグ・バンド・スタイルのサウンドは聴けないと諦めてていただけに、
もう泣き濡れて、ハンカチが2枚目であります。

アレンジはノスタルジック狙いではなく、あくまでも現代的に衣替え。
アバガス・キブレワーク・シオタのようなフュージョン・サウンドではなく、
グルーヴィなビートを強調しながら、鍵盤楽器類でモダンなコード使いを加味して、
往年の名曲をリフレッシュメントさせることに成功しています。
メスフィン・タマレという若いプロデューサー、素晴らしい仕事をしてくれました。

Bezunesh Bekele  Yichenkegnal -  Aiwetagnim Kefu.jpg

個人的に嬉しかったのは、ベズネシュのシングル盤でぼくが一番好きな
“Yichenkegnal / Aiwetagnim Kefu” を、7・8曲目と連続でカヴァーしていたこと。
未CD化曲のため、知られざる曲だと思いますが、
望郷の念にかられる雄大なバラードの“Yichenkegnal” なんて、いい曲なんですよ。
オリジナルのメロディの良さを損なわず、モダンなサウンドに仕上げていて、サイコーです。
ベズネシュが歌っていた曲のメロディの良さを再認識するとともに、
ベズネシュを知らない人にとっても、
エチオピアン・ポップスならではの味わいを、存分に愉しめる一枚となっています。

Elisabet Teshome "KALE KIDAN TERESTO" Evangadi Productions no number (2015)
[EP] Bezunesh Bekele "Yichenkegnal / Aiwetagnim Kefu" Philips PH226 (1972)

やるせないセンバ エルヴィオ

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Helvio  MUXIMA UAMIÊ.jpg   Hélvio  LUA DELA.jpg

アンゴラ、いいぞ、アンゴラ。

世の中のトレンドとはまるで無関係に、今年はずっとアンゴラのポップスに夢中になっています。
だって、欧米のメディアに一度ものったことのない初耳の歌手で、
魅力的な人がいっぱいいるんだもん。

むしろこれまで欧米を通じて紹介されてきたワルデマール・バストスだとか、
マリオ・ルイ・シルヴァの魅力のなさを思うと、欧米人って耳が無いというか、
センスが悪いとしか言いようがありません。
これじゃ世の中の人が、アンゴラのポップスに注目するわけがありませんって。
いい音楽は、自分の耳を頼りに探し続けなきゃ、見つかりませんね、やっぱ。
手に入りやすいCDばっかり聴いてたって、いい音楽には巡り合えません。

で、ここのところ、すっかりマイっているのが、エルヴィオという男性シンガー。
苦み走った声で、やるせないセンバを歌う人で、これがねぇ、胸にグッとくるんですよ。
めちゃくちゃ泣ける曲が、ずらっと並んでいるんですけれど、
作曲者を見ると、アンゴラを代表するソングライターのパウロ・フローレスに加え、
シロ・ベルチーニといった人の曲を多く取り上げています。
これが、ホントにいい曲ばっかりなんですよぉ。

エルヴィオが歌うアフリカン・サウダージとしか言いようのない独特の哀感は、
カーボ・ヴェルデやブラジルなど、旧ポルトガル植民地に共通する味わいがありますね。
物悲しいのに優雅さがあって、去りゆく夏の寂寥感のような郷愁が胸に迫ります。
さらにそうしたメロウネス溢れるメロディを、アクースティック主体のサウンド・プロダクションに
洗練されたアレンジで、鮮やかに彩りながら聞かせてくれるんだから、たまりません。

主役のエルヴィオについて調べてみると、アンゴラ西部の州都で港町のベンゲラ出身の人。
95年からヒップホップやズーク・ラヴのスタイルで音楽活動を始め、
当初はラップゾンバと呼ばれる、キゾンバとラップをミックスしたスタイルをやっていたそうなんですが、
04年のソロ・デビュー作ではがらりと意匠を変え、生音主体のコンテンポラリー・サウンドで、
アダルト・テイストのセンバを歌いました。

セカンドの07年作でも、哀愁漂うアコーディオンに美しいフルートなども絡ませるなど、
デビュー作の路線を踏襲し、哀愁味たっぷりのセンバを聞かせてくれます。
この2作以降のアルバム・リリースが不明なんですが、
もしこの2作で消えてしまったのなら、あまりに惜しい才能ですね。
カーボ・ヴェルデのモルナが好きなファンや、
ブラジル音楽ファンなどにぜひ聞かせたい、名作2枚です。

Hélvio "MUXIMA UAMIÊ" Maxi Music MM024.04 (2004)
Hélvio "LUA DELA" Maxi Music NM048 (2007)

平和を取り戻したアンゴラで再始動するキゾンバ ダニー・L、ドン・キカス

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Danny L  NAÇÃO ANGOLANA.jpg   Don Kikas  REGRESSO À BASE.jpg

四半世紀を越す長きに渡った内戦が02年にようやく終結し、
アンゴラに平和が戻ったことで、アンゴラのポップスも本格的に再始動したんですね。
10年以上の前の出来事を、何をいまさらなんですが、
いかんせん情報がまったく伝わってこなかったので、
ようやく今になり、それを実感させるCDを入手して、
あらためてキゾンバの復活を認識させられました。

入手したのは、ダニー・Lとドン・キカスという、二人のキゾンバ・シンガーの旧作。
ダニー・Lことダニエル・ド・ナシメントは、ルアンダ生まれでポルトガルへ渡ったシンガー。
05年にCDデビューし、故国への思いをストレートに示した
アルバム・タイトルの06年の本作が3作目。
その後11年にアンゴラへ帰国し、
現在は歌手のほか、俳優としても活躍しているそうです。

一方、アンゴラ中部西岸の町スンベで74年に生まれ、
ポルトガルのディスコから歌手のキャリアをスタートさせた
ドン・キカスの6作目“REGRESSO À BASE” は、
そのタイトルが意味するとおり、16年に及んだ移民生活を経て、
アンゴラへ帰国した自身の体験を歌ったアルバムとなっています。

2作とも共通するのは、バラエティ豊かな音楽性。
キゾンバは、もともとセンバにズークをミックスしたものですけれど、
90年代のキゾンバのようなエレクトロ過多なものとはなっていません。
ヒップホップを通過したセンスを下地としながらも、
クドゥロのようなドープさをまとわず、コンテンポラリーなポップ・センスで、
さまざまな音楽をミックスしているところに、妙味があります。

アコーディオンをフィーチャーしたセンバや、
アンゴラ音楽のアイデンティティであるディカンザ(ギロ)を配したメレンゲ、
さらには、ダニー・Lはザイコ・ランガ=ランガのゼケテ・ゼケテをやっていたり、
ドン・キカスはバングラ・ビートまでやっているのだから、その多彩さに驚かされます。

リズム・セクションはすべて人力だし、
ピアノやアクースティック・ギターを生かした生音使いも、好感が持てます。
ズークがオーガニックなサウンドに変化したように、
適度にスキマのある、ヌケのいいキゾンバが楽しめますよ。

そして、ズークとの一番の違いは、なんといってもメロディのセンス。
センバから受け継いだ泣きのメロディは、アンゴラらしさを象徴するもの。
哀愁味とロマンティックな味わいをたたえるメロディは、
アンゴラ人のメロウネスを表しているといえます。

Danny L "NAÇÃO ANGOLANA" Vidisco 11.80.8594 (2006)
Don Kikas "REGRESSO À BASE" AMG/Vidisco 11.80.9303 (2011)

センバへ回帰するキゾンバ プート・ポルトゲース

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Puto Português  GERAÇÃO DO SEMBA.jpg   Puto Português  RITMO E MELODIA.jpg

ダニー・Lとドン・キカスを聴いて、キゾンバの再始動を実感したわけですが、
キゾンバ新世代の痛快な新人の登場に、うひゃー、と思わず声をあげちゃいました。
それが87年ルアンダ生まれのプート・ポルトゲースこと、リノ・セルケイラ・フィアリョ。

10年のデビュー作から飛び出すハツラツとしたヴォーカルに、目の覚める思いがしました。
ゲストの女性シンガーとの掛け合いもクールにきめ、
スタイリッシュな気取りも、若者らしくっていいじゃないですか。

そしてまたこのデビュー作、サウンド・プロダクションがゴージャス。
分厚いホーン・セクションを贅沢にフィーチャーして、キレのあるソリを炸裂させるほか、
ヌケのいいサウンドに、アコーディオンが疾風のように駆け抜け、
ギター・ソロも短いながら、要所要所で聴かせどころを作っています。
ルンバ・コンゴレーズのセベン・パートを取り入れるなど
パーカッシヴなビートを強調したサウンドが、痛快至極ですよ。

聴き終えてみると、ズークらしいサウンドは、ラスト・トラックしかありません。
これならキゾンバというより、なるほどタイトルどおりセンバ色が強く、
<センバ新世代>を標榜するのも、ダテじゃないですねえ。
先日のダニー・Lやドン・キカスも、「センバ」の付く曲があったように、
キゾンバ新世代は、センバ回帰がトレンドになっているようですね。

なんとこのプート・ポルトゲースくん、ソロ・デビュー以前は、
ナコベータという相棒と、クドゥロのアルバムを2枚も出していたんですよ。
しかも10年の2作目は、“KUDURO IS LIFE” なんてタイトルだったんだから、笑っちゃいます。
舌の根も乾かぬうちに、『センバ新世代』を名乗ってソロ・デビューとは、
変わり身早すぎっ!つーか、いい根性してますねえ。

でも、出来栄えサイコーなんだから、文句はありません。結果がすべてであります。
さらに2作目は、アコーディオンと弦・管セクションをフィーチャーしたマラヴォワふうビギンあり、
サルサ・タッチのピアノをフィーチャーしたコンパあり、
重厚なチェロの響きも加わった流麗なストリングスに、
ジャジーなギター・ソロをフィーチャーした、アダルト・テイストなボレーロありと、
ミジコペイさながらのフレンチ・カリブのサウンドも取り入れ、
さらにバラエティ豊かな仕上がりとなっています。

いやあ、アンゴラ、すごいことになっちゃってますよ。

Puto Português "GERAÇÃO DO SEMBA" MR Produções no number (2010)
Puto Português "RITMO E MELODIA" PP Music/LS Republicano no number (2013)

タン・ケイチャンの歌 鄧寄塵

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鄧寄塵  鄧寄塵之歌.jpg

えぇ? 正規盤CDがあったの?
以前エル・スール・レコーズの自主制作CD-Rシリーズではじめて知った、
香港のコメディアン歌手、鄧寄塵(タン・ケイチャン)のダイアモンド盤。
香港ユニヴァーサルの復黑版シリーズで、
05年に紙ジャケCDが出ていたとは、知りませんでした。

原田さん、きっとこのCDの存在を知らずに、あのCD-Rを作ったんだろうなあ。
香港ユニヴァーサルのCDには、℗1965 とクレジットされていますが、
お店のサイトには「1960年代前半の重要アルバム」と書かれていますからね。
ダイアモンド盤LPには発売年の記載がないから、正確な年がわからなかったんでしょう。

で、あらためてなんですが、このレコード、痛快ですねえ。
「日曜はダメよ」「南太平洋」「セヴン・ロンリー・デイズ」「スピーディ・ゴンザレス」といった
当時の欧米のヒット曲、いわゆる「世界名曲」を広東語で歌っているんですね。
香港のエノケンともいうべきユーモラスな歌い口がいいムードで、
クスリとさせるおふざけが過ぎないお笑い芸に、味があります。

そんなタン・ケイチャンの歌を盛り立てる、
ファビュラス・エコーズのバックがまたサイコーなんですね。
中華ムードをふりかけて洋楽カヴァーをするコミック・バンドといった持ち味は、
スリランカ人、スコットランド人、フィリピン人による多国籍混成バンドならでは。
しっかりとした実力と、幅広い音楽性を持ったメンバーがいたからこそといえます。

なんせファビュラス・エコーズは、当時の香港チャートでビートルズを押さえて、
32週連続1位を記録したという超人気バンド。数々のヒットを生んで、アメリカにも進出。
エド・サリヴァン・ショーにも出演し、ラス・ベガスのショーで大勢の観光客を沸かせました。
アメリカで成功すると、68年にソサエティ・オヴ・セヴンとバンド名を変え、
拠点をハワイに移し、ラス・ベガスのショー・ビジネス界に深く根を下ろしたんですね。
ワイキキのショーでソサエティ・オヴ・セヴンを見た日本人が、
「ビジーフォーみたいだった」と言ってたっけ。

ファビュラス・エコーズの話が長くなってしまいましたけれど、
そんなエンターテインメントの世界から世界名曲を歌った『タン・ケイチャンの歌』は、
経済発展の著しかった60年代の香港が生み出した、
世界に開かれた華人ポップの記念碑的作品だったといえます。

鄧寄塵 「鄧寄塵之歌」 Diamond/Universal 983224-6 (1965)

椎葉民謡の明るさ

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現地録音による椎葉の民謡.jpg

渋谷の國學院大學へ、宮崎県椎葉村の尾前神楽の公演を観に行ってきました。
公演に先立ち、宮崎県の神楽の概要や椎葉神楽の特色や演目に関する講演も行われ、
秋の土曜の午後にたっぷり4時間半、贅沢な時間を過ごさせてもらいました。

宮崎県の椎葉といえば、音楽学者の小島美子さんが録音された
『現地録音による椎葉の民謡』で、とてもなじみのある村です。
2枚組CD全62曲すべて無伴奏歌という地味な内容なんですが、
これほどピュアな美しさに溢れた日本民謡は、めったに聞けるもんじゃありません。
日本の民謡CDでは一二を争う、ぼくの最愛顧盤です。

民謡というと、一般にレコードに残されているのは、プロの歌手が歌ったものばかりで、
現地の普通の人が歌ったこういう本物の民謡は、なかなか聞けないんですよね。
職業的な洗練をまとわない歌は、過度な技巧とも無縁で、
聴く者の胸をすうっとすり抜けていくような爽やかさを残します。

このCDでとても感じ入ったのが、椎葉の民謡の「明るさ」と「おおらかさ」です。
椎葉の民謡は、東北や北海道の民謡と表情が違っていて、そこにとても惹かれます。
小島美子さんもCDの解説で、「西日本の民謡のもつ明るさもある」と書かれていて、
その秘密は、東日本の民謡には少ない律音階にあると指摘されています。

CDの解説には触れられていませんでしたが、
椎葉村は明治41年に柳田國男が訪れ、
翌年に狩猟伝承をまとめた『後狩詞記(のちのかりことばのき)』の出版によって、
民俗学発祥の地といわれた村だということも、だいぶ後になって知りました。

公演では、神楽曲の勇壮な舞と御神屋からの神歌や唱教を楽しめましたが、
面白かったのが、客座から神楽せり歌が飛び交うこと。
4人のお年寄りたちが歌うんですけれど、実に味がありましたねえ。
奉納者たちをせきたてたり、からかったりと、
ユーモアたっぷりな言葉かけが、とても楽しかったです。

弓の舞や矢の舞など、ほとんど連続スクワットのような踊りは相当にキツそうで、
二十代の若い男子がへとへとになってました。
神様もさぞ愉しんだことでしょう。

黒木タマヨ,黒木福一,中瀬守,蔵座輝美,甲斐光義,那須弥伊蔵,那須義男,椎葉成記,椎葉サダ子 ほか
「現地録音による椎葉の民謡」 財団法人ビクター伝統文化振興財団 VZCG8064~5 (1999)
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