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奄美の俗謡うたい 盛島貴男

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盛島貴男 奄美竪琴.jpg

渋谷で宮崎県の神楽をたっぷり4時間味わったあとは、
下北沢に移動して、奄美の竪琴を聴く、週末の土曜日。
う~ん、なんて贅沢なダブル・ヘッダー。

奄美からやって来たのは、なんの前触れもなく、いきなりCDを出した御年65の盛島貴男。
里国隆の再来というべき、野趣あふれる歌声と竪琴は、
きれいに漂白された民謡ばかりの21世紀の日本に、
まだこんなディープな歌声を持った歌い手がいるのかという驚きを禁じえないもの。

レコーディング・スタジオではなく、自宅の工房で酒を飲みながら、
たった1日で録音したというのは、大正解でしたね。
リラックスした雰囲気がよく伝わってくる傑作です。

ライヴはCD以上の衝撃。とんでもない傑物ですよ、このオジさん。
50歳から歌い始めたとか、見よう見まねで竪琴を作ってきたとか、
とても真には受けられないプロフィール。どこまでほんとうなんだか。
寄席芸で長年鍛えてきたとしか思えない、喋りの巧さ。
歌漫談のような絶妙な語り口で、満員となった会場中のお客さんを一気に引き込んじゃいました。
超弩級な自由さが天然無為のスーダラ流儀を爆発させていて、圧倒されました。

CDでも「十九の春」や「製紙小唄」を歌っていましたけれど、
俗謡うたいというのが、この人の立ち位置のように思えましたね。
「黒の舟唄」「座頭市」「一番星ブルース」「リンゴ追分」が、堂に入ってましたからねえ。
ダミ声の浪曲師さながらのディープな歌声と、機微ありすぎの喋りに堪能した、
初の東京ライヴでありました。

盛島貴男 「奄美竪琴」 ウサトリーヌ UTCD0011  (2015)

不思議のハレパ ジョハネス・モーララ

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Johannes Mohlala  PHALABORWA KA MOSHATE.jpg   Johannes Mohlala  BANA BA KGWALE.jpg
Johannes Mohlala  MMATSHIDI.jpg   Johannes Mohlala (Bana Ba Kgwale)  MADI A MANABA.jpg

奄美の竪琴で思い出したのが、南アフリカのジョハネス・モーララ。
あれは、96・97年頃だったかなあ。
ちょうど里国隆の未発表録音CD『あがれゆぬはる加那』が出てまもない頃に、
ジョハネス・モーララの95年作“MADI A MANABA” を聴き、ぶったまげたんでした。

南アに、里国隆みたいなのがいる~!
びっくりして、そう大騒ぎしたくなるのも無理はない、ダミ声と金属弦の響き。
オートハープをかき鳴らし、グロウルやさまざまな声音を使い分けながら歌う
怪人パフォーマーぶりに、初めて聴いた時は、ただただボー然としてしまいました。
黒眼鏡をかけているところまで里と同じで、この人も盲人のようです。

ジョハネス・モーララは、東部ソトに暮らすペディ人。
19世紀の中頃、ドイツ人宣教師がこの地にオートハープを持ち込み、
ペディの人々はオートハープになじむようになります。
やがてペディの伝統音楽ハレパを、オートハープで演奏する試みが始まり、
40年代末にはチューニングを変えて、
5音音階の楽器に改良されたオートハープが誕生しました。

39年生まれのジョハネス・モーララは、幼い頃は親指ピアノのディペラを弾いて結婚式などで歌い、
17歳から本格的にハレパを演奏し始めたといいます。
オートハープを使われる前のハレパを知らないんですが、
ジョハネスに追唱しながら囃していく、
女性コーラスとのコール・アンド・レスポンスは、アフリカ音楽の典型ですね。
ところがここに、オートハープのミスマッチな響きが加わると、
なんとも不穏というか、奇妙なムードいっぱいの音楽に変貌するのでした。

民俗音楽にみられる、西洋化を受容した<面白音楽>の典型ですね。
「辺境」好きに「発見」されて、妙な騒がれ方をしたり、
持ち上げられやしないかと警戒してるんですが、
いまのところ、その界隈の人たちは、誰も気付いてないみたいです。

Johannes Mohlala "PHALABORWA KA MOSHATE" Motella CDGB32 (1977)
Johannes Mohlala "BANA BA KGWALE" Motella CDGB33 (1979)
Johannes Mohlala "MMATSHIDI" Motella CDGB32 (1983)
Johannes Mohlala (Bana Ba Kgwale) "MADI A MANABA" Gallo CDGMP40614 (1995)

マルセイユの空を駆けるライ レダ・タリアニ

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Reda Taliani  BLADI.jpg

ライ健在を伝える好盤が、今年は続きますねえ。
アルジェ郊外エル・ビアール出身、80年生まれのレダ・タリアニ。
若手というより、そろそろ中堅どころといったポジションでしょうか。
ぼくが聴くのは08年作の“EL DJAZAIR” 以来なんですけれど、
声に逞しさが増して、ハレド・スタイルのやさぐれたコブシ回しが板につきましたねえ。

フランスのラップ・グループ、113との共演曲が大当たりしたり、
人気コンピ“RAI N B FEVER 2” ではチュニジア系フランス人ラッパーと共演するなど、
現地での人気ぶりも上々だったようです。
幼いころからアラブ・アンダルース音楽を習っていたという、
しっかりとした基礎のある人なので、シャアビの説得力も十分、聴きごたえがあります。

久しぶりに聴く新作は、地中海のリオン湾をのぞむ
マルセイユの丘の上で、ポーズをきめるというジャケット。
ライのアルバムで、地中海の海と空の青が映える
オープンエアのシチュエーションというのは、珍しい気がしますね。
そんなジャケットが暗示するように、中身もレダの確かな歌唱力を生かした、
すがすがしい一枚に仕上がっています。

しっかりとしたプロダクションで、アコーディオンやトランペットを効果的に配しつつ、
シャアビではストリングス・オーケストラをフィーチャーするなど、
予算をかけたレコーディングとなっていて、チープさとは無縁。
非メジャーでもこういう作品が作れるようになったんですねえ。

Reda Taliani "BLADI" Dounia Production no number (2015)

レッガーダ・パーティー チッピー・エル・ベルカニ

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Chippie El Berkani  CHIYCHI CHIYCHI.jpg

ライ好調の余波でしょうか、レッガーダの良作にも出会うことができました。
チッピー・エル・ベルカニ、まだ若そうなお顔立ちですけど、
立派なオッサン声で、女声の華やかなウルレーションに囃されながら、
キレのいいコブシを聞かせてくれます。

レッガーダは一本調子なアルバムが多いので、
曲単位では良くても、CD1枚通して聴くとアキがくるのが多いんですけれど、
これはいいですよ。アゲアゲのアッパー・チューンだらけとはいえ、
ファンキーなギター・カッティングに導かれるトラックあり、
四つ打ちのリズム・トラックの上をヴァイオリンが舞ったりと、
それぞれアレンジやサウンドに工夫が凝らされていて、変化に富んでいます。

クレジットはありませんが、タイトル曲ほか数曲でデュエットしているのは、
チッピー同様の若手レッガーダ・シンガー、ラバー・マリウアリのようです。
チッピーより、少し線の細い声をしているかな。

レッガーダ・パーティーにはぴったりなダンス・トラックが詰まったアルバム。
ラストに置かれたタイトル・トラックのリミックスでは、
バングラ・ビートのパーカッション・サウンドを取り入れたりと、
ダンス・エンタテインメントに徹した姿勢はあっぱれです。

Chippie El Berkani "CHIYCHI CHIYCHI" AMD/Platinum 5425019297268 (2013)

ビート・センスの進化 エンパイア・オヴ・サウンド

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Empire of Sounds  OUT OF THE NORM.jpg

ロバート・グラスパーやザ・ルーツに反応できない
ヒップホップ・ジャズ鈍感者のワタクシには珍しく、
このグループはイッパツで気に入りました。
ジャズ新世代のカギを握る人力ドラムスのグルーヴが、キモチいいったらありません。

エンパイア・オヴ・サウンドは、フランス人ピアニスト兼作曲家と、
ノース・カロライナ出身のアメリカ人MCとが出会って誕生した6人組バンド。
門外漢のぼくが言うのも、おこがましいですけれど、
ヒップホップ・ジャズもすっかり成熟しましたよねえ。

ヒップホップのビートメイカーが、
サンプリング・ネタとしてしかジャズを聴いていない感だとか、
ヒップホップに手を出すヴェテラン・ジャズ・ミュージシャンの痛い感じが、
もうすっかりなくなりましたからねえ。
ヒップホップのマシンが鳴らしていたリズム・トラックを人間が再構築することで、
ジャズのビート・センスが確かな進化を遂げましたよね。

ドラムスに集中しているだけで、十分心地良いんですけれども、
フックの利いたキャッチーなメロディは満載だし、女性コーラスも交えたサウンドも
フュージョン好きの当方には申し分なく、いまだヘヴィー・ローテーション中の
ショウン・マーティンと連続で絶賛愛聴中でございます。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2015-08-30

Empire of Sound "OUT OF THE NORM" Empire of Sound emp73SO732 (2015)

フクルアディス・ナカティバブの最高作

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Fikeraddis Nekatibeb  MISEKIN  Flute.jpg   Fikreraddis Nekatibeb  MISIKIR  Nahom.jpg

新作が出るたびに、うまいなあ、とウナってしまう、フクルアディス・ナカティバブ。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2013-10-05
今回もまた充実していて、彼女の最高作なんじゃないかと思うんですけれど、
先に買ったエチオピア盤の1・2・11曲目が、
曲の最後で突然ブツッと終わる、ヒドい編集ミスの不良品。

なんじゃ、こりゃと、怒り心頭になってしまったんですが、
しばらく待ってリリースされたアメリカ盤は、ちゃんとフェイド・アウトされていました。
写真左がエチオピア盤、右がアメリカ盤です。
その後エチオピア盤もマスターを作り直したらしく(これも「リマスター」?)、
今回エル・スールに入荷したCDは再プレスされた正常盤なので、ご安心を。

ゴンダール出身のフクルアディスは、
年若くしてゴンダールの軍隊で働いていた時に歌手活動を始めたそうで、
将来は医者にと望んでいた両親の思いとは裏腹に
すぐに才能を発揮し、スター街道をひた走った歌手です。

同郷の先輩であるアスター・アウェケをリスペクトしているというフクルアディス、
なるほどアスターばりのシャープな歌声も聞かせますけれど、
振り幅の大きい表現力こそが、彼女の最大の武器。
今回もつぶやくように歌うところから一転、狂おしくハイ・トーンで歌い上げるなど、
縦横無尽にその高い歌唱力を披露しています。

今回も複数のアレンジャーを起用して、
マシンコをフィーチャーしたアムハラの伝統色の強いナンバーあり、
エレクトロなダンス・トラックでメリスマを炸裂させるエチオ・ポップありと、
アムハラ語、ティグレイ語、クナマ語などを使い分け、
バラエティ豊かなエチオピア歌謡で楽しませてくれます。

Fikeraddis Nekatibeb "MISEKIR" Flute no number (2015)
Fikreraddis Nekatibeb "MISIKIR" Nahom no number (2015)

謎の初アルバム テラフン・ゲセセ

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Tilahun Gessesse  NURILIGN HIYWETE.jpg

なんじゃあ、こりゃあ!
とんでもないリイシューCDが登場しましたよ。
エチオピア黄金時代の名歌手テラフン・ゲセセの63年の初アルバム!

63年? 初アルバム? 
エチオピア音楽事情に詳しい人なら、ほんとかよ、それ、と疑いますよね。
エチオピアで初の商業用レコードが出たのは、69年のこと。
アムハ・エシェテが立ち上げたアムハ・レコードから出た、
アレマイユ・エシェテの45回転盤が第1号だったんですから。

60年代のエチオピアは、情報省の統制下で、出版などが厳しく制限されていた時代でした。
外国資本のフィリップスですら、まだレコードは輸入販売のみで制作はしておらず、
まだ20代で向こう見ずな若者だったアムハ・エシェテが
インディペンデントでレコード会社を興すなど、無謀そのもののことでした。
じっさいアムハはそのせいで投獄も経験していて、
フィリップスはアムハの後から恐る恐るという感じで、
翌70年からシングル盤制作をスタートさせたのでした。

アムハ・レコードなど商業録音が始まる以前のエチオピアのレコードは、
国家管理のもとでSPなどが制作され、60年代に少量のシングル盤はあったようですが、
詳細はわかっていません。少なくとも63年が本当なら、民間の録音というのはあり得ず、
国営ラジオ局のラジオ・エチオピアで録音されたものくらいしか想像がつきません。

ましてや、63年で初アルバムなど、ますます信じがたく、
これまでディスコグラフィで知られているテラフン・ゲセセのLPは、
75年のアムハ盤AELP110 の1枚だけのはずでした。

ところがCDを聴いてみると、確かにLPとして制作されたとしか思えない録音なんですね、これが。
バンド演奏ではなく、マンドリンのみを伴奏にテラフンが8曲歌っていて、
最後の1曲はマンドリン・ソロとなっています。
63年といえば、テラフンがインペリアル・ボディガード・オーケストラのトップ・シンガーとして
活躍していた時代です。このマンドリン奏者は、当時テラフンに多くの曲を書いていた作曲家で、
インペリアル・ボディガード・オーケストラのメンバーでもあったアイェレ・マモで間違いないでしょう。

ちなみに、アイェレ・マモは今も健在で、
近年はアディス・アクースティック・プロジェクトで活躍しています(写真中央下)。

Addis Acoustic Project.jpg

拙著『ポップ・アフリカ800』のアディス・アクースティック・プロジェクトを紹介したページで、
アイェレ・マノと誤記してしまったのは、痛恨の極みでした。
おわびしてここに訂正させていただきます。

テラフンの歌声も、63年なら23歳という若さ。
それもナットクのいく若々しいソウルフルな歌声を聞かせています。
このCDを制作したのは、ぼくが今年のエチオピアン・ポップの最高作と持ち上げた、
エリザベス・テショムをリリースしたエヴァンガディ・プロダクション。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2015-10-17
う~ん、このレーベル、目が離せなくなりそうですねえ。

それにしても、いったいこの音源、どこから掘り起こしてきたんでしょうか。
盤起こしでなく、ちゃんとマスターから取ってきたような音質の良さですよ。
商業録音が始まる前の60年代音源が、まだどこかに残されているんだろうなあ。
そういえば、ゲタチュウ・メクリヤのエチオピーク・シリーズ第14集で、
50年代後半のハイレ・セラシエ皇帝劇場オーケストラ時代の録音が
1曲だけ復刻されたこともありましたよねえ。

フランシス・ファルセトが編集した写真集“ABYSSINIE SWING” で音を想像するばかりだった、
ハイレ・セラシエ皇帝劇場オーケストラ、トップ・セラウィット・オーケストラ、
ポリス・オーケストラの録音だって、きっとラジオ・エチアピアあたりの倉庫に、
眠ったままになってるんじゃないんでしょうか。
そんなことを想像し始めると、夜も眠れなくなりそうです。

Tilahun Gessesse "NURILIGN HIYWETE" Evangadi Productions no number
Addis Acoustic Project "TEWESTA : REMEMBRANCE" World Village 468091 (2011)

ヒップホップ世代のノーヴォ・センバ エディ・トゥッサ

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Eddy Tussa IZENU MU TALE.jpg   Eddy Tussa GRANDES MUNDOS.jpg

また一人、ヒップホップからセンバに転向したアンゴラの若手を見つけました。
その人の名は、エディ・トゥッサ。
前に書いたプート・ポルトゲース同じセンバ新世代で、
10年にデビュー作を、12年にセカンドをリリースしたところも二人は一緒で、
良きライヴァル関係にあるといえそうですね。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2015-10-23

エディは93年に結成したワレント・Bというラップ・グループでシンガーを務めていて、
YouTubeで見ると、クドゥロではなく、フツーのヒップホップをやっていたようです。
ソロ転向後の第1作では、ヒップホップのヒの字もない、生音主体のセンバをやっていて、
吹き抜けるアコーディオンの響きや、ディカンザが刻む快活なリズムが耳残りする、
ヌケのよいサウンドが快感です。

ルンバ・コンゴレーズの影響を受けたエレクトリック・ギターの音色もまろやかで、
エッジの立った音がいっさい出てこない、ふくよかなこのサウンドを、
二十代の若者が作り出しているんだから嬉しくなります。
グラン・カレ時代のルンバを思わずトラックや、77年の虐殺で命を落とした伝説のシンガー、
ダヴィッド・ゼーのカヴァーで聞かせる奔放な歌い口は、アルバムのハイライトといえます。
カヴァキーニョがリズムを刻み、クラリネットがソロを取るセンチメンタルなモルナも歌っていて、
すっかりトリコになってしまいました。

さらにセカンドでは、キューバのソンをミックスしたセンバにも挑戦。
トレスをフィーチャーし、ソンのリズムを取り入れながら、オルガンをカクシ味にして
ルンバ調のギターを絡ませるというサウンドが実にこなれていて、感服しました。
さらに、ホーン・セクションをフィーチャーしたサルサ・トラックまであるんですが、
これが途中から、するりとコンパのリズムにスイッチするという趣向となっていて、
ミジコペイばりのカッコよさに、もう降参です。

さらに、なんか聞き覚えのあるメロディが始まったと思ったら、
マルチーニョ・ダ・ヴィラがアフロ回帰した傑作サンバの77年作“PRESENTE” に収録されていた、
ボンガ作曲の“Muadiakime” をカヴァーしてるじゃありませんか。
♪ウェレ・レ・レ・レ・レ・レ・レ・レ・レ・レ・レ・レ・レ・レ、ア~ァ♪ というハミングに、
もう懐かしさイッパイとなってしまいました。

ヒップホップで育った世代が、こんなに芳醇なサウンドを生み出すなんて。
少し土臭さのある歌い口も、イマドキすごい貴重じゃないですかねえ。
半世紀前のアフリカ音楽が持っていた、まろやかな質感を取り返したアンゴラの若手たちに、
祝杯を上げたくなりますよ。

それにしても、これほど活況を呈しているアンゴラ音楽がまったく流通していないなんて、
なんたることですか。ディストリビューターの皆様方の奮起を、ぜひお願いしたいですね。

Eddy Tussa "IZENU MU TALE" LS Produções no number (2010)
Eddy Tussa "GRANDES MUNDOS" LS & Republicano ETCD02 (2012)

イージー・リスニング・ヒップホップ サウンド・プロヴァイダーズ

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Sound Providers.jpg

エンパイア・オヴ・サウンドがすっかりお気に入りとなり、
ヒップホップをもう少し聴きたくなってしまいました。
ヒップホップ門外漢としてはかなりな珍事で、どうした自分?
といったって、その方面はわずかばかりしか持ってないんですが、
十年ぶりくらいに棚から取り出したのが、サウンド・プロヴァイダーズ。
サン・ディエゴ出身のデュオ・ユニットであります。

ジャジー・ヒップホップっていうんですか?
ジャズ名盤からサンプリングしたトラックが満載で、
耳馴染みのあるフレーズがループされるのは、なかなかに快感なんですよねえ。
たとえば、M3はミルト・ジャクソンの「オパス・デ・ファンク」、
M5はジョー・パスの「ペイント・イット・ブラック」、M6はエロール・ガーナーの「ミスティ」、
M15はカル・ジェイダーの「パシフィック・ヴァイブレーションズ」ですよね。
なんだかブラインドフォールド・テストみたいで、最初聴いた時は盛り上がっちゃいましたよ。
大ヒットしたUS3 よりも、このアルバムの方が好みだったなあ。

偶然知ったこのアルバムのおかげで、こういうヒップホップならイケるわってんで、
若い店員さんに、ほかにこんなのない?とオススメを聞いたりしてたんですけど、
結局気に入ったのは、この1枚だけだったんですよねえ。
我ながら、ヒップホップのストライク・ゾーン狭すぎであります。

サウンド・プロヴァイダーズのように、生バンドがやるヒップホップだと、
演奏のスリルも楽しめますけれど、
ビートメイカーが作るサンプルのトラックでは、サウンドのセンスが良くて、
心地良く聴けるかどうかが、キモ。
要するに、イージー・リスニング向きかどうかってことなんですけど、
ヒップホップをBGMにするってのは、邪道なんですかね。

Sound Providers "AN EVENING WITH THE SOUND PROVIDERS" Quarternote/ABB QTR006-2/ABB1047-2 (2004)

たゆたうUKソウル ドーニク

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DORNIK  474397-1.jpg

いやあ、今年は大豊作だなあ。
大当たりの新作CDが続出して、次々と愛聴盤は入れ替わるし、
長年探し続けてきたレコードも網にかかるしで、嬉しい悲鳴の連続。

おかげでこのブログも話題に事欠かず、
ストックの記事がいつも5本ぐらい用意されてるんですれど、
最近ではそれが10本ぐらい溜まるようになってしまいました。
いっそ日刊にしちゃいたいくらいですよ。

急ぎでない記事は、つい後回しにしがちになるので、
書いてから半年もたって、ようやくアップされる不幸(?)な記事もあったりして。
それどころか、うっかりすると書かずじまいになってしまうヘビロテ盤もあって、
今回のドーニクもそうなりかねないところを、ようやく気付いた次第。

というわけで、ここ2か月以上、毎朝家の玄関を出た瞬間、
胸ポケットのiPod のボタンを押してスタートする、ドーニクのデビュー作。
ロンドンから登場したシンガー/プロデューサーです。
いいよねえ、この上質のアーバン・メロウぶり。
軽くウィスパリングするヴォーカルに、浮遊感漂うサウンドが折り重なって生み出される、
シルキーでスムースなサウンド・スケープ。

生楽器とエレクトロな音響のバランスが絶妙で、
華美になりすぎない、インディ的なプロダクションが好ましいですね。
アンビエントR&Bよりはポップでカジュアルな手触りがあり、
軽やかなライト・ファンクなサウンド・テイストは、
なるほどマイケル・ジャクソンを思わせるところもあり。
ロンドンの蜃気楼にゆらめく、淡くゆるやかなメロウネスにトロけます。

こういう押しつけがましくない上品さは、
シャーデー以来の流れを汲む、UKソウルの美点に思えます。

Dornik "DORNIK" PMR 474397-1 (2015)

ミネソタのソウル・サヴァイヴァー ウィリー・ウォーカー

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Wee Willie Walker  IF NOTHING EVER CHANGES.jpg   Willie Walker  RIGHT WHERE I BELONG.jpg

おぅ! ウィリー・ウォーカーの新緑!
奇跡の復帰作と話題になった04年作の“RIGHT WHERE I BELONG” も
素晴らしいアルバムでしたけれど、今作はそれを上回る仕上がりですよ。
今年のベスト・ソウル・アルバム、疑いなしでしょう。ジャケットもいいねぇ。

レトロ・ソウルなんかじゃないんだよね。ウィリーが歌うソウルって。
60年代にゴールドワックスやチェスに録音を残した、
当時そのままのサザン・ソウルを歌い続けているといった感触が、リアルに伝わってくるんですよ。
ソウルが彼の身体の中で、過去のものになっていないんだ。
ソウル・スピリットそのものが、生き続けてるっていうか。

ゴスペルで鍛えられた声がいかに衰えないか、その証明にもなっていますよ。
塩辛いヴォーカルを振り絞るようにシャウトしても、力みはまったくありません。
力まかせどころか、実に丁寧に歌っていて、その深みあるフレージングに胸を突かれます。
ビートルズの「ヘルプ」が、こんなに立派なゴスペルに生まれ変わるんですからねえ。
泣かせますよ、いや、ほんとに。

吹っ切れてるウィリーのヴォーカルにも堪能させられますけれど、
ヴィンテージなサウンドを熟知したメンバーがはじき出すバックのサウンドが、また見事。
サウンドがぜんぜん様式美になってないんですよね。そこがレトロ・ソウルにならないキモ。
メンバーたちのプレイがイキイキとしていて、歌と演奏が有機的に絡み合っています。
黒人シンガーを守り立てる白人バンドという構図も、
アトランティック、スタックスから続くソウルの伝統がちゃんと息づいているじゃないですか。

あぁ、生のウィリー、観たいねぇ。プロモーターさん、日本に呼んで~。

Wee Willie Walker "IF NOTHING EVER CHANGES" Little Village Foundation LVF1004 (2015)
Willie Walker and The Butanes "RIGHT WHERE I BELONG" One On One CDONO761955 (2004)

あでやかなレー ジョムクワン・カンヤー

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Jomkwan Kulya  JOMKWAN NGARN BUAD.jpg

7月にジプシー・シーサコーンを取り上げましたけれど、
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2015-07-09
またも女性歌手によるレーの新作が届きました。
タイでもマイナーな仏教歌謡レーの新作が続くなんて、珍しいですね。

今回は、中堅どころの実力派モーラム/ルークトゥン歌手のジョムクワン・カンヤー。
デビュー当初はグラミーに所属していたようですけれど、
その後ノッポンやいろいろなレーベルから作品を出しています。
歌唱力バツグンな人ので、その実力を示す意味でも、レーはうってつけですね。

ジプシー・シーサコーンの新作はルークトゥン色の強いサウンドで、
デビュー作のようなレーらしさが味わえませんでしたけれど、
ジョムクワンの新作のサウンドは、ルークトゥンに寄りすぎず、
かといってオーセンティックなレーの単調さに陥ることもなく、
歌謡性と宗教色のバランスがとれたアルバムに仕上がっています。

ポップ・モーラム調のオープニングこそ、ひと昔前のシンセ使いというセンスの古さに
がっくりきましたけれど、2曲目以降はがらりと様子が変わります。
オルガンとサックスをフィーチャーし、寄せては返す波のような
ゆったりとしたリズムにのせて、レーお約束の「ふんが、ふんが」フレーズも交えつつ、
見事なこぶし回しでレーを歌っています。

さらに、ラナート(木琴)、クルイ(縦笛)、チン(小シンバル)といった
伝統楽器のみの伴奏で歌う曲あり、ピーパート編成に
サックスやミュート・トランペットが加わる曲あり、
タポーン(両面太鼓)とトランペットをフィーチャーする曲あり、
ホーン・セクションが活躍する曲ありと、
全12曲すべて異なるプロダクションで楽しませてくれるのだから嬉しくなります。

ジョムクワンも伴奏により節回しを変えながら歌っていて、
伝統的な唱法から叙情味溢れるスローなルークトゥンまで、幅広い表現を披露していて、
そのあでやかな歌いっぷりには、思わずため息がこぼれます。

また、このアルバムには、全曲のヴィデオが収録されたVCDも付いているんですが、
黄衣をまとった僧侶や、仏教寺院の僧堂や本堂の色彩豊かな壁画などのほか、
出家の儀式らしき断髪のシーンなども登場します。
ほかにも、ドラマ仕立ての内容で、出産にまつわるシーンがいくつか出てきたり、
赤ん坊の育児をテーマにしているのは、仏教とどういう関係があるんだろう。
意味不明のシーンも多いんですが、仏教がタイの日常生活に深く根付いていることだけは、
よく伝わってきますね。

さらに、一番注目されるのは、ブラスバンドが街をパレードするシーンで、
まるでマルディ・グラみたいじゃないですか。
街の人たちも普段着のまま、タイ独特の手をくねらせる踊りを舞いながら、
楽しそうに練り歩いていきます。
知識の乏しさゆえ興味尽きぬレーの奥深き世界が、垣間見れます。

[CD+VCD] Jomkwan Kulya "JOMKWAN NGARN BUAD" LT Promotion no number (2015)

トゥクロールのグリオ名門一家に生まれて アイダ・サンブ

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Aida Samb  Sarabaa 2012.jpg

わーい、またセネガルのウォント・リストから1枚、買い付けてもらえましたよ。

ここ数年セネガル盤がネット・ショップで買えなくなって、
手元のウォント・リストがどんどん溜まる一方だったんですけれど、
今年の春、とあるフランス在住の日本人女性が買い付けてくださって、
十数枚近く手に入れることができたんでした。
リストの残りは、引き続きエル・スールの原田さんに探索をお願いしていたんですが、
今回入手できたのは、ンバラの新人女性歌手アイダ・サンブのデビュー作です。

アイダ・サンブは、88年に名門ガウロの家系に生まれた、まだ二十代半ばの若手有望株。
「ガウロ」とは、フラニ系のトゥクロール人のグリオを指します。
セネガルの人間国宝の名グリオ、サンバ・ジャバレ・サンブのお孫さんなんですね。
06年にユネスコのリヴィング・ヒューマン・トレジャー(人間文化財)にも認定された
偉大な祖父を持つアイダは、生まれながら持つ才能を幼い頃から発揮し、
わずか8歳で学校の劇団合唱隊の指揮者となったというエピソードが伝えられています。

16歳でユッスー・ンドゥールのレーベル、ジョロリと4年契約を結び、
この間にユッスーはじめ、バーバ・マール、キネ・ラム、
パペ・ジョウフ、アブ・チュバロほかそうそうたるスターたちとともに共演し、
グラミーで絶賛されたイギリスのドキュメンタリー映画“1 Giant Leap” にも起用されました。

華々しい活躍を経て、12年に満を持して出したデビュー作は、
期待にたがわぬ内容となっています。
複雑なブレイクをキメまくるサバールを中心としたパーカッション・アンサンブルと、
弦楽器のハラムを効果的に交えた生音中心のサウンドにのせて、
ハツラツと歌う生一本の喉がまばゆいですねえ。
力まかせに歌い過ぎているキライがなくはないですけれど、
デビュー作なんだもん、いいじゃないですか。
円熟するのは、まだまだこれから。楽しみですねえ。

12年コラ・アワードの女性伝統音楽家部門を受賞した本デビュー作は、
祖父サンバ・ジャバレ・サンブに捧げられたアルバムでした。
タイトルにもなっている“SARABAA” は、サンバの69年の代表曲です。
サンバのソロ・アルバムはカセットしかなく、セネガル国外ではまったく知られていませんが、
09年にフランスでドキュメンタリーが制作されていて、DVD化されています。

Youssou Ndour  FÀTTELIKU.jpg

そういえば、ユッスー・ンドゥールの最新作のミニ・アルバム“FÀTTELIKU” でも、
サンバ・ジャバレ・サンブの“Kontaan Naa Xaleyi” が冒頭で歌われていましたね。
あのミニ・アルバムは、サンバのほか、ラロ・ケバ・ドラメ、ンジャガ・ンバイという、
セネガルを代表する3人の名グリオの曲とウォロフ民謡1曲を歌った、
伝統レパートリーのアルバムとなっていました。

話があちこちに飛んじゃいましたけど、
サンバ・ジャバレ・サンブも、孫の活躍には目を細めていることでしょう。

Aida Samb "SARABAA" Prince Arts no number (2012)
Youssou Ndour "FÀTTELIKU" no label no number (2015)

男前のチャルガ グロリア

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Gloria  PYTEKI.jpg

ひさしぶりに聴いたチャルガのトップ・スター・シンガー、グロリア姐さん。
あいかわらず絶好調ですねえ。この13年作が新作と思って買ったら、
後になって、この次のアルバムが今年出ていることを知りました。

グロリアの本名はガリーナ・パネヴァ・イヴァノヴァ。
ドナウ河の真珠と言われるブルガリア北部国境の港町ルセの出身で、
ルセの対岸にはルーマニアの都市ジュルジュがあります。

エメラルド・グリーンの瞳に、金髪もまばゆいブルガリアきっての美人シンガー、
それで歌唱力も抜群の実力派なんだから、鬼に金棒みたいな人であります。
それにしても、いつ聴いてもこの人の歌はスケールが大きくて、感心させられます。

ハスキーで野性的な歌いぶりも魅力なら、
どんなにパワフルに歌っても、熱唱型にならないところがグロリアの良さ。
キレがあるから、歌が暑苦しくならないんでうしょねえ。
男前な歌いっぷりで、胸をすくスカッとした気分を、毎回味あわせてくれます。

ロマ音楽ならではの即興フレーズを奏でるヴァイオリン、クラリネット、アコーディオンと
くんずほぐれつを繰り返すアレンジにも、ドキドキ、ハラハラさせられっぱなしです。
変拍子あり、つっかかるような独特のバルカン・ビートありの、
チャルガの快作です。

Gloria "PYTEKI" Payner Music PNR2013091525-995 (2013)

躍動感溢れるチャルガ ロクサナ

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Roxana  ZA VSEKI IMA ANGEL.jpg

どっひゃー、すんげえー。ハンパない、この吹っ切れっぷり。
美少女アイドルふうなジャケットからは、とても想像つかないヘヴィーなサウンドが飛び出します。
立て続けのチャルガで恐縮でありますが、いや~、いいなあ、このわかりやすさ。
バルカン・ブラスぶりぶり、ロックなドラムスがどがすか、ギターはぎゅわん、ぎゅわん、
歌謡ポップ・フォークここに極まれり、って感じですねえ。

EDMなんかはまったく受け付けらんないくせに、
チャルガの打ち込みは、ぜんぜんウルさく感じないんだよなあ、なんでだろ。
こういう、わざとちょいダサにしたようなロック歌謡って、好きなんですよねえ。
たとえば、80年代のロマ・イラマに代表されるロック風のダンドゥットとか、
最近ではインリー・シーチュムポンのデビュー作みたいなサウンド。いいですよねえ。

ダンサブルに徹したプロダクションに、
アゲアゲ効果抜群の♪ヘイ・ヘイ♪と煽るコーラス隊をバックに、
はすっぱな感じのロクサナのヴォーカルが、キレよく炸裂します。
女の甘えを感じさせない、あっけらかんとした歌いっぷりが気に入りましたよ。
メロディはキャッチーだし、ヒップホップとバルカン・ブラスの同居もごくごく自然。
大衆音楽路線まっしぐら、お客さんを楽しませてナンボの、
エンタメに徹したプロフェッショナルな姿勢が胸をすきます。

曲ごと、手を変え品を変えのプロダクション・アレンジも緻密だし、
予算をかけたレコーディングになっていますね。
ばりぶりソロを取るクラリネットやサックスも聴きものだし、
躍動感いっぱいのチャルガ、見事です。
息つかせず一気に駆け抜ける46分、う~ん、爽快ですねえ。

Roxana "ZA VSEKI IMA ANGEL" Payner Music PNR2014031560-1032 (2014)

黒いたてがみのライオン アブドゥ・キアル

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Abdu Kiar  TIKUR ANBESSA  Ehiopia.jpg   Abdu Kiar  TIKUR ANBESSA  US.jpg

のっけからコブシを気持ちよく回しながら、ハレバレとした歌声で
エチオピアン・レゲエを歌うアブドゥ・キアルの新作。

これまでレゲエやってる人というイメージが強くて関心がなかったんですけれど、
新作を聴くと、たしかにレゲエも数曲やっているとはいえ、
レパートリーの中心は、5音音階のアムハラ民謡調の曲なども含む、
コンテンポラリーなエチオピアン・ポップとなっていました。

マシンコやクラールをフィーチャーした伝統色の強いナンバーから、
サックスやシンセをフィーチャーしたロック調、
ライト・タッチのパーティ・ミュージックふうなレゲトン調と、
エチオピアン・ポップ幕の内な仕上がりで、爽快なヴォーカルがよく映えます。
ミックスとマスタリングを手がけたアシェベル・マモが、いい仕事をしましたね。

スキンヘッドに顎鬚が印象的なアブドゥ・キアルは、76年アディス・アベバ生まれ。
09年に3作目をリリースしたあと、情報工学の学業に専念し、
学位を無事取得して、歌手にカムバックしたんだそうです。
4作目になる本作は、エチオピア抵抗史のシンボルとされている
「黒いたてがみのライオン」を意味するタイトルとなっています。

左がエチオピア盤、右がアメリカ盤、お好みでどうぞ。

Abdu Kiar "TIKUR ANBESSA" Adika no number (2015)
Abdu Kiar "TIKUR ANBESSA" AM Music Production no number (2015)

カーボ・ヴェルデの乾いた情感 ルーラ

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Lura  HERANÇA.jpg

すっかり島の娘になりましたねえ。
リズボン生まれのルーラですけれど、
前作でカーボ・ヴェルデ人としての立ち位置を明確にして、
アフロ・ズークのポップ・シンガーというイメージを完全に払拭しました。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2010-10-01

「遺産」と題した新作は、前作の路線を踏襲した作品となっています。
柔らかな生音のテクスチャで覆われたまろやかなサウンドで、
カーボ・ヴェルデのさまざまなリズムを響かせています。
今回は、フナナーに印象的な曲が多いかな。
前作が作品としては素晴らしくても、あまりに地味な作りだったので、
今回はさまざまなゲストを呼んで、注目を集めようとしているみたいです。

嬉しかったのが、リシャール・ボナの参加。
ふんわりした手触りのサウンドが持ち味のボナとの相性は、ばっちりですね。
曲も二人の共作で、心あたたまる作品に仕上がりました。
一方、「遺産」というタイトル曲での、ナナ・ヴァスコンセロスとの共演は疑問。
ゴングとパーカッションとヴォイスを多重録音した、
いつものナナらしい実験的なサウンド・メイキングをバックに歌ったものなんですが、
こういう観念的なスピリチュアルふうのトラックで、「遺産」と呼ぶのはいただけないなあ。

せっかくカーボ・ヴェルデのさまざまなリズムやスタイルを取り上げているのに、
アフリカ性もクレオール性も表現しておらず、
妙におどろおどろしい抽象的なサウンドを「遺産」と称しては、まずいんじゃない?
ポップさのないこの1曲だけが、アルバムの中で浮いて聞こえるので、
いっそう違和感を覚えてしまいます。

ほか、レーベル・メイトの新人、エリーダ・アルメイダのデビュー作から、
“Nhu Santiagu” をデュエットしたのは、ルサフリカ側からのリクエストだったのかな。
エリーダの声が好きでないのと、力んで歌う箇所があったりして、
デビュー作同様、ぼくはあまりこの人、買えずです。

というわけで、ボナ以外のゲストの起用は成果を感じませんでしたけれど、
ルーラの情感を抑えたクールな歌いぶりは、今回も染み入ります。
3曲目の“Di Undi Kim Bem” のような哀感に富んだメロディを、
あえて感情を込めず、そっけなく歌うところにグッときますねえ。
諦観を胸の奥底へ静かに沈みこませるような歌。
これこそカーボ・ヴェルデのソダーデでしょう。

Lura "HERANÇA" Lusafrica 762352 (2015)

マラヴォワ初代リーダーのソロ作 マノ・セゼール

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Mano Césaire.jpg

ええっ、マノ・セゼールのリーダー作 !?
ソロ・アルバムって、これまでにあったっけか?
覚えないなあ。ひょっとして、これが初ソロ作品かも。
新作カタログに載っていて驚かされた、
69年マラヴォワ結成当初のリーダーでヴァイオリニストの、マノ・セゼールのアルバムです。

ラスト1曲をのぞき、全曲インスト。
ヴァイオリン2台、チェロ、ピアノ、ベース、パーカッションの6人編成。
もう一人のヴァイオリニストのノナ・ローレンス嬢はマノの教え子さんだそうで、
ベースはヴェテランのアレックス・ベルナールが務めています。

ドラムレスの弦楽中心の編成もあって、
シンフォニックな響きのビギンやマズルカ、ヴァルスは、
クラシカルな雰囲気がいっそう濃厚になっています。
なんだか、紳士淑女が集う優雅なボールルームをイメージさせるようですね。

もともとマノ・セゼールは、クラシックの演奏家だったんですもんねえ。
キューバのダンソーンに通じる、上品で優雅な演奏は、
マラヴォワの黄金時代をホウフツとさせます。

そしてラスト1曲は、ラルフ・タマールがゲスト参加。
ちょっと残念だったのは、曲調のせいか、少し元気なく聞こえたこと。
声も少し太く重くなっていて、持ち前のダンディーな色艶が感じられませんでした。
ラルフ・タマールのゲストを楽しみにしていたので、これは少しばかり期待外れでしたが、
往年のマラヴォワを思わすステキな1枚です。

Mano Césaire "CHIMEN NOU" no label no number (2015)

田舎のビギン ギイ・ヴァドリュー&オタンティック

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O’Tantik  GUY VADELEUX.jpg

カリの『ラシーヌ』を愛するファンには、たまらないアルバムですね。
クラリネットやトロンボーンの伸びやかな演奏とともに、
バンジョーのコロコロとした響きが、田舎のビギンといったムードをまき散らします。

お懐かしや、ギイ・ヴァドリュー。
70年代から活躍するマルチニークのトロンボーン奏者です。
ハイチのコンパがフレンチ・カリブを席巻していた70年代に、
カダンスで対抗しようとしていたマルチニークで、
すっかり流行遅れとなっていた古いビギンのスタイルを堅持していた頑固者(?)です。

ズークが吹き荒れた90年代には、さすがのギイもシンセを導入して、
エレクトリック色の強いアルバムを作っていましたけれど、
レパートリーはあいかわらずビギンやマズルカで、ズークには手を出さなかったもんなあ。

その後、まったくギイの名前を見なくなっていましたけれど、
きっと地元では演奏活動を続けていたんでしょうね。
今回のアルバムは、オタンティックというグループ名義による新作となっています。
レーベル名から察するに自主製作ぽく、ディスクもCD-Rなんですが、
内容はこれまでぼくが聴いたことのあるギイのアルバムの中では、最高作ですね。

アレクサンドル・ステリオ、レオナ・ガブリエル、アルフォンソなど、
古典ビギンの名曲集となっていて、
ギイのトロンボーンとクラリネットの二管に、ピアノ・トリオの編成で演奏しています。
ギイがバンジョーを弾きながら歌う曲もあって、
これがカリの『ラシーヌ』を思わせるわけなんですが、
なかなかに味わいのある歌を聞かせてくれます。

地元マルチニークでは、アンティーユの華やかな民俗衣装をまとった女性たちを
ステージに迎えたコンサートなども行われているようで、う~ん、観てみたい。
民音あたりが呼ばないかな。

O’Tantik "LE GROUP O’TANTIK - GUY VADELEUX" GV Production GV013 (2014)

サンパウロ・ジャズの才人 ギリェルミ・リベイロ

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ブラジルのハーモニカ奏者ガブリエル・グロッシとのコンビで、
ぼくにはとてもなじみのあるピアニスト、ギリェルミ・リベイロの新作。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2014-11-05
エレガントで整ったピアノは、実に端正でお行儀がよく、
う~ん、これまたノーヴォス・コンポジトーレス一派というか、
イマドキのジャズかな、なんて思いながら聴き進めていくと、
どうしてどうして、スケールの大きな演奏にぐいぐい惹きつけられてしまいました。

曲作りのうまさは、ガブリエル・グロッシとの近作ですでに証明済。
感心したのは、メランコリックな曲をこじんまりとさせず、
雄大な演奏空間へと一段引き上げていくグループの結束力です。
ギリェルミ・リベイロのピアノに、ギター、ベース、ドラムス、パーカッション、
サックスというセクステート編成なんですが、ブラジル勢と体温の違う、
アメリカ人サックス奏者を一人加えたのが大正解。

ブラジル勢だけでは、整合感ありすぎになっていたであろう演奏を、
アメリカ人サックス奏者の肉感的なプレイが、グループに熱量を加えたことは確かですね。
一方、ギリェルミがメロトロン、ワーリッツァー、ミニモーグといった
60年代のヴィンテージなマシンを加えているところに、
サウンド・メイキングのセンスの良さを感じさせます。

ゆいいつのカヴァー曲、バーデン・パウエルの“Canto De Ossana” の
重厚な解釈も聴きものでしたけれど、ラストの60年代新主流派のセンスで暴走するところは、
おおっと身を乗り出しちゃいました。
繊細さとダイナミズムを合わせ持つ演奏力で、
卓越したアレンジと作曲能力をフルに発揮した快作です。

Guilherme Ribeiro "TEMPO" Sound Finger GR001 (2015)
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