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ノルデスチ+ジャズ ジョヴィーノ・サントス・ネト

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Jovino Santos Neto  ALMA DO NORDESTE.jpg

うわー、いいもん教えてもらっちゃいました。
ネット・ショピングで、「こちらもいかがですか」式のレコメンドも、
たまには素直に聞いてみるもんですね。大当たりの作品を見つけちゃいました。

ジョヴィーノ・サントス・ネト。
ぜんぜん知らない人だったんですが、サンプルを聴いて、ビビッときましたね。
なんでも、77年から92年までエルメート・パスコアル・グループで、
ピアノを中心とした鍵盤系の専属プレイヤーだった人とのこと。
エルメートのグループを脱退してからは、シアトルに渡って、
アメリカでブラジリアン・ジャズのリーダー作を多く発表してきた人なんだそう。
全然知りませんでしたあ。

08年の本作は、母国に帰ってカルロス・マルタ、ガブリエル・グロッシほか、
若手インスト系のトップ・プレイヤーとともに制作したプロジェクト作。
ジャケット画ですぐわかるとおり、ノルデスチにスポットをあてた企画アルバムで、
アコーディオン、ピファノ、ザブンバ、トリアングロといった北東部の伝統音楽に
欠かせない楽器をたっぷりフィーチャーして、
フォロー、バイオーン、ショッチなどを鮮やかにジャズ化しています。

もちろんそこに土臭さは、まるでないわけですけれど、
北東部リズムをしっかりと咀嚼したアレンジにのせ、
ジャズの語法を知る者にしかできない、洗練された演奏を聞かせてくれます。
う~ん、これはいいわ。ブラジル人ならではのブラジリアン・ジャズであります。

Jovino Santos Neto "ALMA DO NORDESTE" Adventre Music AM1041-2 (2008)

東アフリカのフランコ スーパー・ヴォルケイノ

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Mbaraka Mwinshehe & Orchestra Super Volcano.jpg

「東アフリカのフランコ」の異名をとったタンザニアのギタリスト/バンド・リーダー、
ンバラカ・ンウィンシェヘ率いるスーパー・ヴォルケイノの単独復刻が、
ついに実現しましたぁ! う~ん、待望のリイシューですねえ。
東アフリカの音源復刻といえば、ダグラス・パターソンか、
ウェルナー・グレブナーのどちらかの仕事と察しがつきますが、
今回はウェルナーのザンジバラ・シリーズからのリリースでありました。拍手喝采!

スーパー・ヴォルケイノは、
モロゴロ・ジャズ・バンドに在籍していたンバラカ・ンウィンシェヘが、
ケニヤのフィリップスから資金を借り、73年に立ち上げたバンドです。
79年にンバラカが不慮の交通事故で亡くなるまで、
タンザニア国内ばかりでなく、ケニヤ、ウガンダ、ザンビア、エチオピアなどの
東アフリカ一帯をツアーし、人気を博したバンドでした。

70年代は、ケニヤのフィリップスから数多くのシングル盤を出したほか、
モロゴロ・ジャズ・バンド時代の録音を含むンバラカ・ンウィンシェヘ名義の編集LPも、
3枚リリースされました。ンバラカ死後の80年代には、
Ukumbus (追憶)の名を冠した編集LPが、10枚以上リリースされています。
そうそう、余談ですけれど、ンバラカはモロゴロ時代にタンザニア代表として
大阪万博に来ていて、帰国して出したシングル“Expo 70” では、
「サヨナラ、オーサカ」「アリガトゴザイマス」「コニチハ」なんて歌っているんですよね。

モロゴロ・ジャズ・バンドの方は、15年前にドイツのディジムがCDリイシューしたものの、
スーパー・ヴォルケイノの復刻は、タンザニア(ケニヤ?)でCD化された
ンバラカ・ンウィンシェヘ名義のタマシャ盤があるだけ。
タマシャ盤は超入手困難で、とうとうぼくも手に入れることはできませんでした。

というわけで、まさしく待ちに待ったリイシューなんですが、
待たされただけのことはある、素晴らしい内容。
モロゴロ・ジャズ・バンド時代に比べ、
ひと回りパワー・アップした、オーケストラ・サウンドに耳奪われます。

モロゴロ時代のラテン色を脱したコンゴリーズ・ルンバあらためスワヒリ・ルンバに加え、
ジャイムズ・ブラウン影響大のソウルやファンクを取り入れた曲があるのが聴きもの。
引き締まったリズム・セクションにダイナミックなホーン・アンサンブルが加わり、
ガッツのあるサックスやトランペットのソロが堪能できますよ。

ドクトゥール・ニコに強く影響されたンバラカのギター・プレイも、
モロゴロ・ジャズ・バンド時代と変わらず活躍していて、
ラップ・スティールによるハワイアン・ギターも聞くことができます。
「スーパー火山」はダテではなく、名は体を表すですね。

Mbaraka Mwinshehe & Orchestra Super Volcano
"ZANZIBARA 9 : MASIKA - UN SOUFFLE FRAIS DE TANZANIE 1972-74" Buda Musique 860279

ビビり太鼓の迫力 マサンカ・サンカイ

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Masanka Sankayi  KUTUMBA NKUEYAMANGANA.jpg

太鼓と木琴の鈍く重い響きが打ち鳴らされ、溢れ出る倍音。
ヘヴィーなノイズとともに身体が共鳴して、
奥底の芯をじーんと揺り動かされるような快感をおぼえます。
「これぞアフリカのパーカッション・ミュージック!」という魅力あふれる一枚と出会いました。

マサンカ・サンカイは、コンゴ民主共和国南部のカサイ州、
ルバ人の伝統音楽ムトゥアシを演奏するグループです。
フォルクロールと呼ばれる各民族の伝統音楽グループは星の数ほどありますが、
クラムド・ディスクの「コンゴトロニクス」という仕掛けによって、
広く世界の関心を集めることになりました。

Congotronics 2.jpg

実はこのマサンカ・サンカイも、
“CONGOTRONICS 2 : BUZZ’N’RUMBLE FROM THE URB’N’JUNGLE” の冒頭1曲目と
6曲目にフィーチャーされたグループなんですね。
彼ら単独のCDを初めて聴いたんですが、
クラムド・ディスク盤よりナチュラルで、もっとムキ出しの強烈なビートに圧倒されました。

マサンカ・サンカイは、ジャケット写真にも写るンブヤンバ(左)とカボンゴ(右)を中心に、
70年代から活動しているグループで、二人が弾くリケンベのほか、
木琴、ビビり太鼓、ガラス瓶のアンサンブルとなっています。
リケンベの音は、サワリ音の利いた木琴にかき消されてほとんど聞こえないんですが、
さらに強烈なのが、ビビり太鼓のディトゥンバ。

ディトゥンバは、西アフリカのジェンベのような乾いた高音とはまったく正反対の、
重く鈍い響きを特徴としています。
というのも、太鼓に張る羊皮をジェンベのように締め上げるのでなく、ゆるーく止めるんですね。
皮の中央には練り物を押し付け、ペースト状に丸く伸ばされます。
なんだかインドのタブラを思い出しますけれど、ブルキナ・ファソのモシ人の太鼓ベンドレでも、
太鼓の皮に練り物を塗ってチューニングする技法がありますね。

ディトゥンバは底に穴があいてないので、これだけでは音が出ないんですが、
横に開けられた小さな穴がビニールで覆われ、止めてあります。
これによって、ビーン、ビーンと強烈なバズ音がでるというわけです。
バラフォンの共鳴器であるヒョウタンの穴に、クモの巣を張るのと同じ理屈ですね。
ディトゥンバもその昔はクモの巣が張られていたそうです。

KANYOK AND LUBA, SOUTHERN BELGIAN CONGO.jpg

ビビり太鼓のディトゥンバと木琴マディンブの演奏というと、
忘れられないのが、ヒュー・トレイシーが50年代に残した名録音です。
ここにはルバ人だけでなく、隣接のカニョク人による演奏も収録されています。

演奏のことばかり書いちゃいましたけれど、
説経語りや説教師のような語りもの的なコール・アンド・レスポンスの歌も迫力満点で、
野性味溢れるアフリカ音楽の生命感を堪能できる名盤ですね。

Masanka Sankayi "KUTUMBA NKUEYAMANGANA" Boutique Troifoirien TFR0002
[CD+DVD]Masanka Sankayi, Kasai Allstars, Sobanza Mimanisa, Kisanzi Congo, Bolia We Ndenge, Basokin, Konono No.1
"CONGOTRONICS 2 : BUZZ’N’RUMBLE FROM THE URB’N’JUNGLE" Crammed Discs CRAW29 (2005)
Field Recordings by Hugh Tracey "KANYOK AND LUBA, SOUTHERN BELGIAN CONGO 1952 & 1957" Stichting Sharp Wood Productions SWP011/HT05

南ヴェトナム懐メロ集 ハー・ヴァン

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Ha Van.jpg

南ヴェトナム時代を思わせるノスタルジックなデザイン。
化粧箱仕様のCDボックスという、凝った意匠にも目が止まります。
箱をひっくり返すと、裏には、車を降りて街路を渡る、
サングラスと白の洋装できめた男女の写真が載っています。
どうやらこの写真は、主役の女性歌手ハー・ヴァンと
ゲストの男性歌手ダム・ヴィン・フンが扮しているようですが、
まるでヴェトナム戦争前の映画のワン・シーンのようですね。

このデザインから、60~70年代懐メロ集であることは明々白々。
1曲目のホアイ・アン(1929-2012)の名曲“Tấm Ảnh Không Hồn” から、
しとやかに歌うハー・ヴァンに引き込まれました。
見事な歌唱力なんですが、技巧をフルに発揮するのではなく、
あくまでもさりげなく、さりげなく歌うところがいいですねえ。
柔らかな節回しで、情感を込めすぎず、かといってあっさりしてもいない、
中庸に徹したところがこの人の良さでしょうか。

歌伴に徹したバックも、最初は凡庸に思えましたが、
繰り返し聴くうちに、印象がすっかり変わりました。
ロマンティックなメロディの良さと、ハー・ヴァンの歌を引き立てるために、
余計なサウンドで装飾せず、昔のままのアレンジにしているんじゃないのかな。
せいぜいトランペットやヴァイオリン、アコーディオンをフィーチャーして、
ノスタルジックな響きを少し加える程度で、
タイのルーククルンに通じる控えめな上品さに感じ入りました。
ヴェトナムふうタンゴやボレーロも、いい仕上がりじゃないですか。

ハー・ヴァンは、北中部タイン・ホアの出身でありながら、
北部の民謡が好きになれず、
南のアクセントで歌われるセンチメンタルな歌謡が大好きだったとのこと。
歌手では、南ヴェトナム出身の大ヴェテラン、
フーン・ランの声にとても影響されたと話しています。

ヴェトナムは南に下るほど、情が深く、性格も穏やかで優しい人が多いと言われますが、
音楽にもそんな傾向があるのかもしれませんね。
3年をかけて制作したというデビュー作、デビューの気負いをまったく感じさせない、
大人の歌謡曲アルバムといえます。

Hà Vân "TIẾNG HÁT HÀ VÂN" Tiếng Hát Việt no number (2015)

蘇る70年代ソマリ・ポップ

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Light & Sound Of Mogadishu.jpg

アフリカン・ポップスの遺産で、埋もれたままになっている筆頭株の国といえば、
なんといってもスーダンですけれど、その次がソマリアでしょうねえ。
フランシス・ファルセトがエチオピア音楽を掘り起こしたように、
誰かこの2か国を手掛けてくれないものかと、長年思い続けてきましたが、
ようやくその兆しがみえてきましたよ。

やってくれたのは、フィンランド人コレクターのフレドリック・ラヴィック。
2年前リリースされたイギリス、サウンドウェイ盤
“KENYA SPECIAL” のコンパイラーに、名を連ねていたお一人です。
フレドリックが新たに立ち上げたレーベル、アフロ・7から、
社会主義政権下の70年代のソマリアで、モガディシュの電気製品販売店の店主が設立した
民営レーベル、ライト&サウンドの復刻編集盤が、レーベル第1弾としてリリースされました。

ライト&サウンドは、国営ラジオ局しかなかった時代に、
自前の録音スタジオを所有していた画期的なレーベルでした。
どのくらいの数のシングル盤がリリースされたのか、そのカタログの全貌は不明ですが、
レバノンやケニヤで各シングル150枚程度がプレスされ、販売されていたようです。

今回リイシューされた音源は、すでに7年前、音楽研究者のマシュー・ラヴォワが、
ネット上へアップロードしていたものなんですね。
その後、正規にディスク化すべく、今はデンマーク、オーフスに暮らす
レーベル・オーナーのアリ・ハギ・ダヒールと交渉を進めていたのだと思われますけれど、
ディスク化するまで、なんと7年もかかるとはねえ。
フランシス・ファルセトも、エチオピアのアムハ・レコーズとのライセンス交渉に10年かけて、
ようやくエチオピーク・シリーズの始動にこぎつけたことを考えると、
権利関係をクリアしながらリイシューを進めるというのは、本当に大変な仕事ですねえ。

さて、そんなすでに耳慣れた音源ですけれど、あらためて聴いても、
アフロ・ファンクから伝統色の強いナンバーまで、
70年代のソマリ・ポップスのア・ラ・カルトといった充実した内容になっています。

まず冒頭4曲収録されているのが、
アル=クルバ・ホテルのナイトクラブや、モガディシュのナイトクラブ、
ジャジーラやジュバで活動していたシャレロ・バンド。
リーダーでベーシストのアフメド・ナージは、
長年在籍していたラジオ・モガディシュ・オーケストラの音楽性に飽き足らず、
サンタナやドアーズ、ジェイムズ・ブラウンといった当時の洋楽に影響された
新しい音楽をやるべく、70年代はじめにシャレロ・バンドの前身、ジェミニを結成しました。

どさくさな垢抜けないビート感が、いかにもB級なムードを漂わせますけれど、
人気女性歌手ファアドゥモ・カアシムをフィーチャーしたソマリ演歌では、
キャバレーのハコバン・ムードを濃厚に醸し出すオルガンがなんともいい味わいとなっています。

ソマリ語で「花」を意味するマグールは、
ラジオ・モガディシュ専属オーケストラから頭角を現し、大スターとなった女性歌手。
小気味よく弾かれるカバーン(ソマリア版ウード)とボンゴを伴奏に
伝統的なソマリ歌謡を聞かせ、ストリングス・セクションの加わる曲では、
スーダンのマンボみたいなムードを振りまきます。
1曲だけ収録されたアフメド・ラブシャとヒボ・ヌーラの男女デュオも、
スーダン歌謡そっくりですね。

ネット上の公開から7年もかかってしまった、ライト&サウンドの復刻編集盤ですけれど、
一方、ラジオ・モガディシュに眠る、
3万5千リールという膨大な録音のデジタル化も現在進められています。
公的機関によるこうしたアーカイヴ化プロジェクトは、
ギネア、ガーナ、タンザニアでも進められているんですが、
一般のリスナーがその成果を享受できるようになるのは、いつのことやら。

気長に待ちますが、こちらの命尽きる前に、よろしくお願いしたいものです。

Sharero Band, Ahmed Rabsha, Hibbo Nuura, Magool "LIGHT & SOUND OF MOGADISHU" Afro7 AFR7CD01

伝統ソマリ・ポップの名盤 ワーベリ

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Waaberi New Dawn.jpg

黄金時代のソマリ音楽のLPやEPは、いっこうに復刻されず、
CD時代になっても、ソマリ音楽が世界から注目されることはありませんでした。
ソマリ・ポップは、アフリカ音楽ファンにすら、長い間知られぬ存在だったのです。

内戦によってカナダや北欧諸国へ逃れたソマリア人移民社会の間で、
ほそぼそと自主制作CDが制作されていたものの、それを知る人は皆無でした。
そうした知られざるソマリ・ポップを日本で初めて紹介したのが、
手前味噌ながら、6年前の拙著『ポップ・アフリカ700』でしたけれど、
反応を示した人は、残念ながらいませんでしたね。

ゆいいつ、刊行時に作ったサンプラーに、
マハメード・K・クーシンの“Caashaqa Ma Baran” を収録したところ、
ピーター・バラカンさんがとても気に入られ、ほかにも何人かから熱い反響をいただいたので、
音源を聴くチャンスさえあれば、ファンは増えるものと確信はしたんですけれどもね。

その後、ソマリ移民コミュニティではMP3が主流になってしまい、
増補改訂した『ポップ・アフリカ800』でも、ソマリアの項は『700』と同じ6枚を選んでいますが、
いずれのベスト50選にも選んだのが、リアル・ワールドからリリースされたワーベリです。
伝統ソマリ・ポップのカラーミを味わうには、これ以上ないといってもいいほどの名盤で、
ミュージック・マガジン増刊『定盤1000』にも選びました。

本作は、世界に紹介された初のソマリ・ポップでありながら、
めちゃくちゃ不遇な扱いを受けてきたんですよね。
当時日本盤も出なかったし、廃盤になったあと、再発のセレクションからも漏れてしまいました。
だいたいこのCDを名盤として挙げるのなんて、ぼくくらいなもので、
どのガイドブックでも、無視され続けたアルバムなのです。

その理由は、明々白々。
ワーベリの歌手、マリアム・マルサルのソロ作“THE JOURNEY” が、
同じリアル・ワールドから出ていて、そちらが人気盤だったからなんですね。
でも、いかにも欧米人好みのワールド・フュージョンに仕上げたこの作品を、
ソマリ・ポップの代表作にあげるなんて、ジョーダンじゃないぜ、というのが、ぼくの見方。

だいたい、リアル・ワールドって、自社のカタログの価値がわかってませんよね。
ぼくばかりでなく、広く名盤として評価されるフクウェ・ザウォーセの“CHIBITE”、
S・E・ロジーの“DEAD MEN DON'T SMOKE MARIJUANA”、
ファラフィーナの“FASO DENOU” を廃盤のままにしておきながら、
アユブ・オガダの“EN MANA KUOYO” のような、
伝統を大学でお勉強した学生レポートみたいなアルバムをわざわざ再発するなんて、
ピント外れもいいところ。

アフリカ以外をみたって、巨匠ヌスラットのカタログでは、
マイケル・ブルックとの共演盤を再発して、
リアル・ワールド最高作の“SHAHBAAZ” は廃盤。アホちゃうか !?

日頃のリアル・ワールドへのウップンが思わず爆発しちゃいましたが、
話を戻して、マリアム・マルサルの本来の持ち味である、伝統ソマリ音楽を演じたワーベリは、
整ったスタジオでレコーディングされた、カラーミの優良盤でした。

300人を超すソマリア国立歌舞団の元メンバーから選抜されたソマリアを代表するワーベリは、
60年代から活動を始め、数多くの海外公演も経験しています。
おそらくソマリアの伝統楽器カバーンと思われる4コースの弦楽器
(クレジットにはウードと表記)とボンゴがスピード感いっぱいに疾走するソマリ歌謡は、
初めてソマリ・ポップを聴く人を夢中にすることウケアイです。

前回話題にあげた、ライト&サウンドの復刻編集盤に収録されたマグールと
人気を二分した女性歌手、マリアム・マルサルの本領が味わえる名作。
いつか再評価されることを願うばかりです。

Waaberi "NEW DAWN" Real World CDRW66 (1997)

白いボラ・デ・ニエベ ビセンテ・ガリード

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Vicente Garrido  50 AÑOS CON LA MÚSICA.jpg

素晴らしいピアノの弾き語りに、身体の力が抜けました。
この味わい深さは、そうそうあるもんじゃありません。格別です。
メキシコで「モダン・ボレーロの父」と呼ばれた作曲家のビセンテ・ガリード。
95年にリリースされたピアノ弾き語りアルバムを手に入れたんですが、
一聴で、魂を持っていかれました。

職業歌手ではない、作者だからこそ醸し出せる、滋味溢れる歌の数々。
24年生まれというのだから、録音当時70歳過ぎのはずですけれど、
青年のような初々しさが残る歌の表情は、どうでしょう。
モダン・ボレーロというより、フィーリンといって構わないんじゃないでしょうか。

じっさいこの弾き語りアルバムは、キューバのエグレム・スタジオで録音され、
音楽監督はなんとあのマルタ・バルデースだそうです。
ご存じフィーリンを代表する、あの女性歌手ですよ。
いやあ、こんなアルバムがあるなんて、ぜんぜん知らなかったなあ。
流通事情の悪いメキシコ盤ゆえでしょうか、もったいないですねえ。

ホセー・アントニオ・メンデス、ビルヒニア・ロペス、ナット・キング・コール、ルイス・ミゲルといった、
数多くの名作を残してきた歌手たちが歌ったビセンテの代表曲の数々が、
今作られたばかりかのような、みずみずしさで歌われているんです。
ヴェテランの手練れがみじんもなく、音楽に向かうピュアな姿勢に胸打たれます。
これ、すごいことですよ。

親しみやすさと優雅さと格調高さが絶妙なバランスを保つ
デリケイトなビセンテの歌い口が、たまりません。
「白いボラ・デ・ニエベ」、そんなイメージが脳裏から離れなくなりました。

Vicente Garrido, Arturo Xavier González.jpg

もう1枚、メキシコのチェロのマエストロで、ビセンテと1歳違いという、
23年生まれのアルトゥーロ・シャビエル・ゴンサーレスとのデュオ作も買ったんですが、
こちらは演奏のみのビセンテの名曲集。いつの録音かわからないんですが、
アルトゥーロ・シャビエル・ゴンサーレスは81年に亡くなっているので、70年代録音でしょうか。
これも優雅で素晴らしく、弾き語り集に続けて愛聴しています。

Vicente Garrido "50 AÑOS CON LA MÚSICA" Editiones Pentagrama PCD242 (1995)
Vicente Garrido, Arturo Xavier González "VICENTE GARRIDO - ARTURO XAVIER GONZÁLEZ" Editiones Pentagrama APCD507

1995年10月20日ヘルシンキにて マイケル・ブレッカー

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UMO Jazz Orchestra with Michael Brecker.jpg

自慢することじゃありませんけど、
マイケル・ブレッカーのソロ・アルバムは、1枚も手元に残っていません。
ブレッカー・ブラザーズ・バンドの時代から、ずっと聴いてきた人なんですけれども、ねえ。
その昔、買ってはがっかりして売り、その後も買っては売りを繰り返し、
いつの頃からか、もうリーダー作は持ってなくていいやと諦めちゃいました。

87年に遅すぎる初リーダー作が出た時は、
期待が大きすぎて、落胆も激しかったもんです。
EWI(ウインド・シンセサイザー)を吹いてたのも、いけなかったよなあ。
ぼくはあの楽器が大嫌いなんですよ。
この世から無くなって欲しいとさえ思ってますからね、いや、ホントに。

一時代を築いたサックス奏者でありながら、
ソロ・アルバムはパッとしなかった人でしたよねえ。
まるで機械が吹いてんじゃないかと思わせるメカニカルなプレイは、
すげぇーというオドロキ半分、反発半分であったことも確かなんですが、
そんな批判さえネジ伏せてしまう超弩級のプレイは、有無を言わせぬ迫力がありました。

ブレッカー・ブラザーズ・バンドやステップスでの活躍、
ジョニ・ミッチェルの『シャドウズ・アンド・ライト』をはじめ、
サイドメンとして数限りない名演は、70~80年代に集中していました。
90年代後半に、保守的なアクースティック・ジャズをやり始めた頃は、
マイケル・ブレッカーの存在理由を感じられず、
ぼくにとってはもう過去の人になっていたんですが、
そんな頃に録音されていた未発表ライヴに、心躍らされました。

それが本作、95年10月20日、ヘルシンキのロイヤル・コットン・クラブで収録された、
フィンランドの名門ビッグ・バンド、ウモ・ジャズ・オーケストラとの共演ライヴです。
80年代をホウフツとさせるパワフルなプレイに、
これ、これ、これですよと、思わず膝を打っちゃいました。

ホレス・シルヴァーからヴィンス・メンドーサに至る新旧ハードバップに、
マイケル自作のファンクやバラードという色とりどりのレパートリーを、
マイケル・ブレッカー印のシーツ・オヴ・サウンドで、たっぷりと料理してくれています。
いやあ、生前にこういうリーダー・アルバムを残して欲しかったよなあ。

ハイライトは、マイケルをアイドルとしていた24歳の若きメンバー、マヌエル・ドゥンケルが、
憧れのマイケルとソロ・バトルを繰り広げた“Ginare”。
マイケル本人を前に、マイケルのテクニックを駆使して、負けじと対抗しています。
あれ?今のソロはどっちだ?とわからなくなるほどマイケルそっくりで、
スリリングなソロ・リレーは聴きごたえたっぷりです。

マイケル・ブレッカーとビッグバンドの相性の良さもバツグンの本作、
フィンランド国営放送YLEのアーカイヴ・ソースを採用し、録音も申し分のない傑作ライヴです。

UMO Jazz Orchestra with Michael Brecker "LIVE IN HELSINKI 1995" Random Act RAR1018CD

1200回目のクリスマス・イヴ

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19960714_山内雄喜.jpg   19960714_山内雄喜(Back).jpg

気がついてみると、もう1200回目の記事になるんですね。
エントリ数を意識していなかったので、1000回目も知らぬまに過ぎてしまいましたが、
57回目の誕生日を明日に控えたクリスマス・イヴに、
ブログのアニヴァーサリーを迎えられるのは、ちょっと嬉しい気持ちがします。

軽い気持ちでうっかり始めてしまった、1回目の2009年6月2日。
それから一日おきの更新を1度も休むことなく、6年半続けてきたこと自体は、
なんでも始めると長続きする性分なので、さしたる感慨もないんですが、
3.11で驚天動地となった本業のかたわら、
このブログを続けてこれたことについては、いろいろと思うところもあります。

それは、自分が心から愛する音楽を「書く」という行為が、
自分と向き合う大事な作業となっているのを、あらためて確認できたことです。
ブログを始める前までは、非公開の日記こそが自分と向き合う作業だと思っていましたけれど、
読み手を強く意識したブログの方が、自分自身と深く対話していることに気づいたんですね。

日記は、感情のおもむくままに書き散らすだけの、ハキダメみたいなところがあって、
決して人に見せることのない安心感が、オノレの醜悪を露骨に示してもいて、
後で読むと、恥ずかしいを通り越して、自己嫌悪に陥ることもあるんですよねえ。
でも、日記にはセルフ・カウンセリングみたいな役目もあるから、
これはこれで、自分にとっては大切なものなんですけれども。

「ディスク・ハンティング」というレコードの購入記録も、
備忘録として、もう四半世紀以上書き続けているんですが、
こちらも日記と同じで、放言を炸裂させてるものだから、
とても人さまにお見せできるようなシロモノじゃありません。
その昔、ごく親しい友人だけに、メルマガとして公開していた時期もありましたが、
ブログを始めたのを機に、日記同様非公開に戻して、
思いの丈(毒?)を吐き出したい時は、こちらに書くようにしています。

日記52年、ディスク・ハンティング26年、ブログ6年、フェイスブック4年。
新旧付き合いの長さはそれぞれですけれど、うまいこと棲み分けされているようで、
忙しかろうが、時間がなかろうが、これからも続いていくみたいです。
書くことは、ぼくにとって生きること、そのものになっています。

1200回目は、山内雄喜さんの『ハワイアン・クリスマス』をBGMに書きました。
このブログが、お読みいただいているみなさんの音楽生活に役立ちますよう。
今日も読みに来ていただいて、ありがとうございます。

山内雄喜 「HAWAIIAN CHRISTMAS」 リスペクト RES3 (1995)

タイ仏教歌謡のアイドル・デュオ ウタイラット・クースワン&ジャンジラーラッチクルー

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Utairat Kerdsuwan & Janjira Rachkru.jpg

まだ10代にも見える女の子二人が歌うのは、
ルークトゥンでもなければモーラムでもなく、なんと仏教歌謡のレーですよ!
ついにレーにも、アイドルの波がやってきたってことか。
ルックスこそアイドルみたいですけど、歌唱力は驚くべき高さですからね。

ミャンマーのメーテッタースウェといい、最近東南アジアに仏教歌謡がきてますねえ。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2015-10-11
タイのレーもここのところ、ジプシー・シーサコーン、ジョムクワン・カンヤーと、
立て続けに女性歌手の良作が続いていたし。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2015-07-09
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2015-11-20

で、この新人デュオのアルバムなんですが、
ぼくもようやくこの音楽の聴きどころが、ようやくわかってきたみたい。
というのも、これが5年前だったら、「単調な繰り返しばかりで退屈!」なんて、
一刀両断してた気がするんですよね。

ワン・コードのメロディはすごい単調だし、プロダクションも低予算ルークトゥン仕様。
曲の始まりにシンセがピーヒャラとやすっぽい音色を鳴らすほかは、
ピンがうねうねと反復フレーズをひたすら繰り返すのみ。
なので、二人の歌の掛け合い以外、聴きどころはまるでないわけなんですけれど、
二人のコブシ回しが絶妙すぎて、ぜんぜん退屈しないんですよ。
あ、でも、レーをまったく聴いたことがない人には、おすすめしませんけどね。

これがワイポットあたりのヴェテランだったら、歌唱が円熟しているあまりに、
このプロダクションでは退屈しちゃうと思うんですよね。
やっぱり、若いって、それだけで素晴らしい才能なんだよなあ。
一所懸命に歌う姿に、聴き手の背も伸びるというか、それだけで十分惹きつけられます。

Utairat Kerdsuwan & Janjira Rachkru "SOMBAT THAI" NVK Group NVKCD214 (2015)

サハラに沈むジャズ・ハウス サン・ジェルマン

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St Germain  ST GERMAIN.jpg

フレンチ・タッチ/ジャズ・ハウスのプロデューサー、
サン・ジェルマンことルドウィック・ナヴァーレの新作。
00年の大ヒット作“TOURIST” 以降、すごいごぶさた~と思ったら、
じっさいあれ以来の作なんだって。15年ぶりになるわけか。
クラブ・ミュージックのコーナーなんて、普段チェックもしないくせに、
こういう自分向きの作品とは、ちゃんと出会えるという不思議さ。
長くレコードと付き合っていると、相手から呼ばれるのを感じます。

ライナーには、砂に埋もれるルドウィック・ナヴァーレの3Dマスクが。
砂からかろうじて見せる顔の輪郭がアフリカ大陸を表すように、
新作はアフリカの音楽家たちと共演したアルバムとなっています。
クラブ・ミュージックとアフリカ音楽の関係でいうと、ディープ・ハウスの連中が作る、
「アフロ」だとか「トライバル」を冠したデタラメなまがいモノに、
ずいぶんウンザリさせられてきたものですけれど、
ナヴァーレはアフリカ音楽に理解があるようですね。

砂まみれのナヴァーレの顔がサハラ砂漠を暗示するように、
トゥアレグ、ソンガイ、プールなど、
近年注目を浴びる非マンデ系のマリ音楽にフォーカスを当てています。
1曲目からンゴニ、バラフォン、コラに絡むブルージーな歌に、
「ディープ・ハウス・ミーツ・デザート・ブルース」かと思いきや、
ライトニン・ホプキンスの“You Caused My Heart To Weep” をサンプルしていると知り、仰天。
ナヴァーレ、やるなあ。このアイディアには、ウナらされました。

在フランスのマリ人ミュージシャンばかりでなく、
ズマナ・テレタ(ソク)、アダマ・クリバリ(カマレ・ンゴニ)といった、
当代マリの一流ミュージシャンを起用しているところも嬉しいし、
声がだいぶ荒れてしまったとはいえ、ナハワ・ドゥンビアの歌には、グッときましたね。
こうしたマリのミュージシャンたちの人選を、コーディネーターの手を借りることなく、
ナヴァーレ自身がやったのだとしたら、相当なマリ音楽通といえますよ。

浮遊するハウス・ビートや、洗練されたクロスオーヴァー・サウンドは、
従来からのナヴァーレのジャズ・ハウスの作法にのっとったもの。
クールなサウンドに沈む砂漠のブルースは、冬のパリの冷気を伝えます。

St Germain "ST GERMAIN" Primary Socoety/Parlophone/Warner Music France 0825646122011 (2015)

マイ・ベスト・アルバム 2015

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Mizikopeyi  LIVE.jpg   Ronald Tulle  RAISING.jpg
20150731_Mad-Kab-At-AshGate.jpg   Shaun Martin.jpg
Sherwood Fleming Dynaflow.jpg   Elisabet Teshome.jpg
Faada Freddy  GOSPEL JOURNEY.jpg   Seu Jorge Musicas Para Churrasco 2.jpg
Lệ Quyên KHÚC TÌNH XƯA 3  ĐÊM TÂM SỰ.jpg   May Thet Htar Swe  KAUNG CHIN MINGALAR.jpg

[DVD] Mizikopéyi “LIVE” Association 3.M. 3M-11201421
Ronald Tulle “RAISING” Cysta Management CM007-02
Mad-Kab-At-AshGate 「FUNNY BLUE」 アカオ AR001
Shaun Martin “7 SUMMERS” Ropeadope/Shunwun Music no number
Sherwood Fleming “BLUES BLUES BLUES” Dynaflow DF0002
Elisabet Teshome “KALE KIDAN TERESTO” Evangadi Productions no number
Faada Freddy “GOSPEL JOURNEY” Think Zik! 849.A022.022
Seu Jorge “MUSICAS PARA CHURRASCO Ⅱ” Cafuné 060254702365
Lệ Quyên “KHÚC TÌNH XƯA 3 : ĐÊM TÂM SỰ” Viettan Studio no number
May Thet Htar Swe “KAUNG CHIN MINGALAR” Rai no number

新作、リイシュー、収穫と、三拍子揃って大豊作の一年でした。
定年を迎え、大きな責任から解き放たれ、
すがすがしく毎日を過ごせるようになったおかげか、
音楽をますます愉しめるようになった年の瀬です。

作曲と即興の対話 ヘンリー・スレッギル・ゾーイド

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Henry Threadgill Zooid  IN FOR A PENNY, IN FOR A POUND.jpg

あけましておめでとうございます。

年明け早々フリー・ジャズっていうのも、妙な取り合わせでしょうか。
ヘンリー・スレッギルの新作が出ていたことにずっと気付かず、
暮れぎりぎりに聴きながら、年間ベストに潜り込ませるのもためらわれ、
年明け第1弾とさせていただきました。

この新作2枚組、いつもと変わらぬスレッギル節が詰まっているんですけれど、
これまでになくわかりやすく、完成度の高いグループ・コレクティヴに感じ入りました。
スレッギルの複雑なコンポジションを演奏するには、
長年一緒に演奏してきたメンバー同志の、あうんの呼吸が必要なわけで、
11年の前作“TOMORROW SUNNY / THE REVELRY, Spp” から、
ベースの武石務が抜けただけの今回のメンバーは、鉄板ですね。

変則的なリズム構成のうえに、怪しげな音を配列したスレッギルのコンポジションを
よく理解したメンツが奏でる即興演奏は、
いわゆるジャズの語彙から離れていて、フリー・ジャズと呼ぶ必要すら感じないものです。
音楽を最高度に自由な境地で演奏しているという意味では、
素直に、「フリー・ミュージック」と呼べばいいと思いますね。

スレッギルだって、この境地に至るまで、長い道のりがありました。
前衛ジャズの典型ともいえる、演劇的な演奏だって、さんざんやってきたし、
そういう皮相のジャズの語法やグルーヴの快感を捨てて、
スレッギル流の集団即興の方法論を作り上げ、
メンバーとともにこの叙事詩のような音楽を磨き上げてきたといえるんじゃないでしょうか。
かつての名盤“TOO MUCH SUGAR FOR A DIME” のカッコよさも忘れられないんだけど、
ゾーイドになってからのスカスカのアンサンブルの方がより自由度を増していて、ぼくは好き。

高い技量を発揮していても、聴き手に緊張を強いることなく、
ユーモアや遊びゴコロも感じさせる自然発生的な旋律が踊る演奏は、
ぼくが大好きなブラジルのショーロと、相通ずるものがあります。
フリー・ジャズとショーロの両方を聴く人はあまりいないかもしれませんが、
ぼくがヘンリー・スレッギルが好きなのは、
ショーロと同じように聴けるからという理由が一番大きいんですよね。

和声より対旋律の動きを追う面白さは、ショーロの醍醐味でしょう。
スレッギルの方は和声との調和をわざと無視して、旋律を動かしていくからこそ、
より複数の旋律を積み上げる快楽があるといえます。
一聴、耳障りな音が、耳障りの良い旋律に転化するところは、
ショーロにないスレッギルの音楽の魅力です。

サックス、フルート、チューバ、トロンボーンの管楽器と
ギター、チェロの弦楽器がちょこまかと動き回る様子は、
半径30センチくらいのところを、いったりきたりする独楽鼠のよう。
自分の周りで遊びまわる、カワイイ小動物を眺めている気分というか、
お掃除ロボットのルンバを眺めているような楽しさを覚えます。

Henry Threadgill Zooid "IN FOR A PENNY, IN FOR A POUND" Pi Recordings PI58 (2015)

ベイ・エリアのジャズ・ギタリスト ジョン・ショット

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John Schott  ACTUAL TRIO.jpg

ギター・トリオのアルバムなんですけど、
レーベルがジョン・ゾーンのツァッディークと知って、
すんごいラディカルな演奏をする人なのかな?と身構えていたら、
拍子抜けするほど正統派なプレイに、ありゃりゃりゃりゃりゃ。

ジョン・ショットは、ベン・ゴールドバーグ、T・J・カーク、チャーリー・ハンターとの共演や、
トム・ウェイツほかジョン・ゾーンのプロジェクトに参加してきた、
ベイ・エリアのヴェテラン・ギタリストだそうです。
ツァッディークでの3作目にあたる本作は、
オークランドで4年間一緒に活動してきたアクチュアル・トリオの初録音とのこと。

ジム・ホールみたいなオーソドックスな曲の合間に、
風変わりなリズム構成を持つ“Egyptians” のような曲が入り込んでたりして、
なかなか気を抜けないのが、このアルバムの面白いところ。
ジョン・ショットのプレイも、ジム・ホールからジョン・アバークロンビー、
いろんな人のリックが聞こえてきますよ。
なめらかに弾けるくせに、
わざとひっかかるようなフィンガリングを聞かせるところもすごく面白い。

押し出しの強さはないものの、曲のモチーフに合わせた引き出しの多さが聴きどころ。
「ジェイムズ・ブラッド・ウルマーのために」というサブ・タイトルが付いた“Hemophilia” では、
ウルマーとは似ても似つかぬ繊細さで、ハーモロディクスを展開していますよ。

地味ながら、現代性を加味したギター・プレイに、繰り返し聴きたくなるスルメ盤です。

John Schott "ACTUAL TRIO" Tzadik TZ4011 (2015)

エレクトロ・ボッサに仕上げた古典サンバ コレチーヴォ・サンバ・ノワール

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Coletivo Samba Noir.jpg

カチア・Bとマルコス・スザーノがメンバーと聞いて、
へぇ~と思い、買ってきたものの、ロクに聴かずに放置したまんまだったCD。
暮れにCD整理をしていて聴き直したら、
そんなに悪くなかったので、あわてて処分候補棚から救出しました。

カチア・Bは、パリに渡ってクラブ・ジャズ系のミュージシャンと活動していた人で、
橋本徹のプロデュースで、J・ポップをボサ・アレンジにしたアルバムも確か出してましたね。
要するにオシャレ系のシンガーね、なんてずっとナメてたんだけど、
いつだったかブラジルで出したソロ・アルバムをチラ聞きしたら、
歌声が意外に良くって、好感度がぐーんとアップ。

そんな思いもあったので、マルコス・スザーノに加えて、
アート・リンゼイのグループで来日した7弦ギタリストのルイス・フィリーピ・ジ・リマや、
多くのセッションでひっぱりだこの鍵盤奏者ギリェルミ・ゲーがユニットを組み、
ノエール・ローザ、ルピシニオ・ロドリゲス、アンジェラ・マリア、アリ・バローゾ、
ドリヴァル・カイーミ、チト・マジなどのいにしえのサンバを、
エクスペリメンタルなサウンドで生まれ変わらせるという企画には期待を寄せたのでした。

ところがねえ、これのどこがエクスペリメンタル?
古臭いクラブ・サウンド丸出しのプロダクションに、思いっきり鼻白んだのでした。
実験的との謳い文句に、ロムロ・フローエスやパッソ・トルトあたりを連想してたので、超落胆。
で、1回聴いただけでほったらかし、売っちまうかあなんて思ってたんですが、
期待が大きすぎたんですかね。あらためて聴けば、アンニュイなムードがイヤミなくにじみ出る、
カチア・Bの自然体な歌いぶりは、とてもいい感じ。

先進的なところなどみじんもない、オシャレなエレクトロ・ボッサ。
アート・リンゼイをゲストに迎えたウィルソン・バチスタの“Meu Mundo E Hoje” なんて、
いい仕上がりです。ほかにも、エグベルト・ジスモンチ、カルロス・マルタ、ジャルズ・マカレーが
ゲストで参加しています。
やっぱ古典サンバはメロデイがしっかりしてるから、どんなに料理しても魅力的ですね。

Coletivo Samba Noir "COLETIVO SAMBA NOIR" Samba Town 5.071.185 (2015)

ポルトガルが遺した音楽文化をたどって

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VS01  GOA - GAVANA.jpgVS02  SRI LANKA – CANTIGAS DO CEILÃO.jpgVS03  SRI LANKA – BAILA CEILÃO CAFRINHA.jpg
VS04  DAMÃO, DIU, COCHIM, KORLAI – DESTA BARRA FORA.jpgVS05  MALACA – KANTIGA DI PADRI SA CHANG.jpgVS06 SUMATRA – KRONCONG MORITSKO.jpg
VS07  MACAU – FALA-VAI-FALA-VEM.jpgVS08  TIMOR – TATA HATEKE BA DOK.jpgVS09  MOÇAMBIQUE – MAKAYELA.jpg
VS10  S. TOMÉ – TCHILOLI.jpgVS11  CABO VERDE – DEZ GRANZI DI TERA.jpgVS12  BRASIL - O CAVALO MARINHO DA PARAÍBA.jpg

オフィス・サンビーニャの新作情報を見て、オドロきました。
ポルトガルのトラジソンから出ていた『ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ』シリーズが、
ライス・レコードからリリースされるとのこと。
もう15年以上も昔のシリーズですよ。
よくもまあ廃盤にならず、カタログに残ってたもんですねえ。

これ、素晴らしいシリーズなんですよ。
20世紀大衆音楽史に関心を持つ人なら、ゼッタイ聞き逃せないものです。
ポルトガルが大航海時代に世界各地へ遺した、音楽文化の痕跡をたどる企画で、
ポルトガルがかつて統治したアジア、アフリカ、南米の国々や地域の
民俗音楽とポピュラー音楽が分け隔てなく収録されています。

98年リスボン万博のポルトガル・パヴィリオンの公式CDとしてリリースされた全12タイトル。
ここでしか聞けない音源多数の貴重な録音集で、フィールド・レコーディングあり、
スタジオ録音あり、商業録音の復刻ありの、贅沢な編集内容となっています。
100ページを超す分厚いブックレットには、英語・ポルトガル語併記の充実した解説もあり、
研究資料として一級品というだけでなく、魅惑の南洋歌謡を存分に楽しむことができます。

これまでこのブログでは、本シリーズの“KRONCONG MORITSKO - SUMATRA” を
ちらっと取り上げただけですけれど、
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2013-05-02
拙著『ポップ・アフリカ700/800』には、モザンビークの合唱音楽マクワエラの名盤
“MAKWAYELA - MOÇAMBIQUE” を入れました。

アフリカ編では、サントメ島の“TCHILOLI - S.TOMÉ” も素晴らしいんです。
奴隷貿易の中継点だったサントメ島に息づく民俗劇の音楽チロリは、
ポルトガル人が伝えた中世の戯曲の脚本をもとに、
奴隷廃止後にブラジルから渡った労働者がもたらした音楽と融合して生まれたもので、
首から下げた太鼓、シェイカー、横笛によって演奏されます。
軽やかな笛の音色と弾む鼓笛隊のリズムは、ブラジル北東部のピファノのバンダそのもので、
アフロ・ブラジリアン文化がアフリカへ先祖帰りしてクレオール化した伝統芸能といえます。

またアジア編では、スリランカの村の歌自慢コンテストで歌われるカフリンニャが聴ける
“CANTIGAS DO CEILÃO - SRI LANKA” も聴きもの。
ポピュラー音楽が再土着化した姿は、ガーナの田舎で今も演奏されるパームワインのよう。
続編の“BAILA CEILÃO CAFRINHA! - SRI LANKA” でも、
南洋ミクスチュア歌謡の極みともいえる歌の数々に酔えます。

ただのフィールド・レコーディングの民俗音楽シリーズと思ったら大間違いの、
『ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ』シリーズ。
興味のある国や地域から、ぜひ聴いてみてください。

Collections : A Viagem Dos Sons / The Journey of Sounds
"GAVANA - GOA" Tradisom VS01
"CANTIGAS DO CEILÃO - SRI LANKA" Tradisom VS02
"BAILA CEILÃO CAFRINHA! - SRI LANKA" Tradisom VS03
"DESTA BARRA FOR A DAMÃO, DIU, COCHIM, KORLAI" Tradisom VS04
"KANTIGA DI PADRI SA CHANG - MALACA" Tradisom VS05
"KRONCONG MORITSKO - SUMATRA" Tradisom VS06
"FÁLA-VAI FÁLA-VEM - MACAU" Tradisom VS07
"TATA-HATEKE BA DOK - TIMOR" Tradisom VS08
"MAKWAYELA - MOÇAMBIQUE" Tradisom VS09
"TCHILOLI - S.TOMÉ" Tradisom VS10
"DEZ GRANZIN DI TERA - CABO VERDE" Tradisom VS11
"O CAVALO MARINHO DA PARAÍBA - BRASIL" Tradisom VS12

ティンデの伝説的歌手を迎えて ティナリウェン

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Tinariwen  LIVE IN PARIS.jpg

前作も結局、記事を書かずじまいにしてしまったティナリウェン。
だって、もう、素晴らしいの一語につきちゃって、それ以外の言葉が出てこないんですもん。
新作のライヴも圧倒的で、今回もなんも書くことがないなあと思っていたんですけれども。

これまでDVDではライヴ盤があったものの、CDとしてはこれが初のライヴ盤。
ロケーションは、パリのブッフ・デュ・ノール劇場。おととし14年の12月13日に録られたものです。
今作の大きな目玉は、ゲストに伝説的な女性歌手ララ・バディを迎えたこと。
御年75のララ・バディは、トゥアレグ女性の伝統的な祝祭歌であるティンデ(ティンディ)を
アルジェリア南部タマンラセットに広めて、70~80年代に伝説化した人だそうです。

70年代トゥアレグたちは、弾圧から逃れるため、ディアスポラとして難民となっていきました。
男たちはゲリラとなり、リビアのゲリラ兵養成キャンプで誕生したティナリウェンの音楽が、
野営地から野営地へとダビングされ、
海賊カセットによって伝説化されたのはご存じのとおりですね。
その一方で、母系社会のトゥアレグ文化の中心をなす女性たちによるティンデが、
タマンラセットを中心に花開いていたということは、今回初めて知りました。

そのティンデが冒頭から歌われる今回のライヴ盤、
いつものティナリウェンのデザート・ブルースと違った雰囲気に包まれます。
ティナリウェンの男性メンバーたちが、♪ア~~~~~♪と
ドローンのような持続低音を唸り続けるのをバックに、
手拍子とパーカッションとベースが刻むリズムの上に、ララ・バディがチャントします。
これがトゥアレグ女性の伝統的なティンデ。
現地では、女性たちが布をかぶせた太鼓の周りに円陣になって座り、
太鼓を叩きながら、手拍子とウルレーションを交えたお囃しとともに歌われます。

ティナリウェンの方はいつものデザート・ブルースですけれど、
もはや風格を通り越して、滋味な味わいさえ感じさせる重厚さは圧巻です。
どれほどの悲哀や望郷の念が、一つ一つの歌に込められているのか、
その中身を想像さえつかないわれわれにも、圧倒的な説得力となって胸に迫ってきます。

Tinariwen "LIVE IN PARIS" Wedge 87428-2 (2015)

ケリー氏族のハープ リーシャ・ケリー

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Laoise Kelly  FAILTE UI CEALLAIG.jpg

古風なのに、フレッシュ。
そんな相反する要素を併せ持った魅力を持つ、リーシャ・ケリーのアイリッシュ・ハープ。
5年ぶりとなる新作でも、彼女のハープの魔力は変わることがありません。

チーフタンズ、クリスティ・ムーア、メアリー・ブラック、ドーナル・ラニー、シャロン・シャノンほか
数多くの名だたるミュージシャンと共演し、もはや若手と呼ぶにはふさわしくない、
豊富なキャリアを積んできたリーシャですが、ソロ・アルバムは今回で3作目と寡作な人です。
そういえば、01年のモレートとトリーナのニ・ゴーナル姉妹の来日にも同行したんでしたね。

今作はケリー氏族にちなんだ曲を集めたアルバム。
7曲目と11曲目に鳥のさえずりが聞こえてくるだけの、
今回も全編、リーシャ一人によるソロ演奏となっています。
粒立ちの良い音色で、爽やかさと軽やかさがリーシャの持ち味。
甘さに流れず、優雅さがあって気品を感じさせるプレイが、彼女の良さですね。

全11曲、35分ほどの小品なんですが、メドレーで紡がれるメロディの表情の違いは、
風景が鮮やかに変化していく様子を見るかのようで、
息を呑んだまま、じっと聴き耳を立ててしまいます。
流して聴くこともできるでしょうけれど、
彼女のプレイは、聴き手を集中させてしまう魔力を持っています。

Laoise Kelly "FAILTE UI CEALLAIG" Harpo LK004 (2015)

オカロランのメロディをたどって クレア・ケヴィル

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Claire keville.jpg

ハープ・ソロに続いて、今度はクラヴィコード・ソロ。
う~ん、楽器の独奏アルバムっていうのも、いいもんですねえ。
じっくりと演奏と向き合えるのは、もちろんのこと、
演奏者の息づかいというか、緊張感が伝わってくるようで、
聴いているこちらの背筋も伸びるようです。
今回はアイリッシュのメロディと向き合っているわけで、
クラヴィコードという、いまどき珍しい古楽器の響きに、
なんだか17~18世紀のアイルランドの領主の館にいるかのようです。

主役のクレア・ケヴィルは、ゴールウェイ出身の女性コンサーティーナ奏者で、
コンサーティーナ講師を長く務めるほか、クレアFMの伝統音楽プログラムで
毎週プレゼンターを務めるなど、アイルランド音楽のブロードキャスターとしても有名な人だそう。
11年4月には、フィドラーの姉ブリーダとともに来日が予定されていたものの、
東日本大震災で中止になってしまったんですね。

クラヴィコードのソロ・アルバムというのは、ぼくにとってこれが初体験。
はじめはどうしても、音色の物珍しさばかりに耳が奪われがちになりますが、
何度も聴くうちに、レパートリーとなっているオカロランのメロディに惹かれるようになりました。
トゥールロホ・オカロラン(1670-1738)は、アイルランド伝説の盲目のハープ奏者で、
アイルランド最後の吟遊詩人といわれた人です。

オカロランが生前に残した200を超す曲は、今もハープ奏者ばかりでなく、
多くの楽器奏者が演奏し続けていて、前回話題にしたリーシャ・ケリーの新作でも、
オカロランの曲を演奏していましたね。
オカロランは、18歳で失明してからハープを修行し、まさに身一つで旅をしながら、
行く先々の土地の領主のために曲を作っては、歌い歩き続けました。

オカロランの知己に富んだ詩の才能や、作曲家としての才能を開花させたのは、
旅で出会った多くの人から援助の手を差し伸べられ、励まされたからで、
多くの人々の出会いが、彼の人生を豊かなものとしたことは間違いありません。
のちに上流階級の人々にも人気をよんだ成功者となるオカロランですが、
陽気で社交的な性格が幸いして、多くの人に愛されたんですね。
大酒呑みでもあった彼は、酒にまつわる失敗も数多くあったものの、
その憎めないキャラで切り抜け、周りから面白がられつつ、
温かな目で見守られていたようです。

そんなオカロランが書いた曲には、派手さのない美しさがあり、
ひそやかなロマンティックさや、哀愁味のあるところが胸に染み入ります。
冬の季節にぴったりの1枚ですね。

Claire Keville "IRISH MUSIC ON THE CLAVICHORD" no label CKCD003 (2015)

新旧弦さばき インレー・ミン・マウン

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「近頃の若いもんは…」。
つい、心の中で舌打ちした時は、ちょっと立ち止まって考えないと、アブナイんだよなあ。
感情にまかせると、あとで恥かくのはこっちの方だからねえ。

自分が長年慣れ親しんだ感覚と違う違和感は、
新しさへの反発にすぎない、単なる老化現象にすぎないことがほとんどだし、
そもそも、それは、近頃の若者のせいなんかじゃなくて、
昔にだってあったんじゃないか、ってことだってある。

そうやって、色眼鏡を外して、事実を冷静に観察してみると、
なぜ感情的に反発したのかがわかってきて、ほかにもいろいろ見えてくるものがあります。
最近そんなことを思い巡らしたのが、20世紀最高の「ビルマの竪琴」サウンの名手といわれる
インレー・ミン・マウン(1937-2001)の名演集です。

去年ミャンマーに行っていた方に買い付けてきていただいたもので、
エル・スールにも入荷したので、すでに耳にした方は多いと思うんですが、
ここで聞けるインレー・ミン・マウンの弦さばきは、本当に素晴らしいんです。
弦音が立ち上がるシャープなサウンド、1音1音の美しい粒立ちは、もう絶品。
インレー・ミン・マウンを聴いていると、これこそがサウンだよ!って気になって、
こういう弦さばきが、まったく聞こえてこない最近の若いサウン奏者に対して、
「近頃の若いもんは…」というお決まりのフレーズが、心の中に浮かんでくるっていうわけ。

サウンのインスト・アルバムというと、
音楽学校の先生をしているライン・ウィン・マウンのミャンマー盤がたくさんあるんですけど、
この人のサウンのプレイは、どれを聴いても物足りないんですよね。
弦をはじく指の力が、インレー・ミン・マウンの半分もないんじゃないかという弱さで、
ピッキングするというより、流し弾きするタイプなんですよ。
だから、アタックの強さはまるでないし、
弦がぼきぼきとリズムを刻むようなサウンドは、出てくるわけもありません。

でも、こういうパッと聞き、「きれい」なサウンドが、一般ウケするんだよなあ。
こういう弦楽器の弾き方の傾向って、アフリカのコラでも同じことがいえますよね。
最近のコラ奏者のプレイって、総じて「キレイ・キレイ」で、
たとえば、往年のバトゥル・セク・クヤテと今のバラケ・シソコのプレイを比べれば歴然です。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2013-05-16

インレー・ミン・マウンやバトゥル・セク・クヤテのような往年の名手のレコードやCDは手に入りにくく、
ライン・ウィン・マウンやバラケ・シソコのアルバムは容易に入手できるので、
どうしたってみんなサウンやコラの演奏は、
ハープみたいな流麗なものとばかり思っちゃうんですよね。

違うんだよなあ。
垂れ流しのような演奏ばっかり聴いてちゃ、この楽器の魅力はわかりません。
野趣に富み、奔放な技巧を聞かせたかつての名手たちから、
もっとガッツのある逞しいサウンの響きを知ってほしいですね。

[CD+DVD] Innlay Myint Maung "THE FULL MOON DAY OF MYANMAR HARP" Eastern Country Production ECP-N27
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