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上海オールド・エイジの中華ジャズ 上海老百樂門元老爵士樂團

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上海老百樂門元老爵士樂團  「百樂門 上海百樂門絶版爵士」.jpg

パリのムーラン・ルージュやニュー・ヨークのブロードウェイと肩を並べる
音楽の社交場が、40年代の上海にもあったんですね。
百樂門(パラマウント)は、中国に初めて誕生した高級ボールルームで、
そこで夜な夜な紳士淑女を踊らせたというジミー・キング・バンドもまた、
中国初のジャズ・バンドといいます。

90年になって、ジミー・キング・バンドに在籍していた老演奏家たちを集め、
当時のレパートリーを再録音したというアルバムを見つけたんですが、
これがとても良くって、聴き惚れています。

こういうアルバムって、かつて日本にもありましたよね。
ジミー原田とオールド・ボーイズ。おぼえてます?
え? ジミー原田を知らない? 原田忠幸のお父上ですよ。

当時、自由劇場の「上海バンスキング」がヒットしたのが幸いし、
テレビ番組にもけっこう出演したりしていましたよね。
中本マリが「恋人よ我に帰れ」を歌うのに、前半の伴奏を
ジミー原田とオールド・ボーイズ、後半がYMOが務めるという、
面白い企画のテレビ番組を観たおぼえがあるなあ。

その中本マリに石黒ケイや、
「上海バンスキング」の主演女優の吉田日出子をゲストに迎えた
『今青春! ジミー原田&OLD BOYS』(81)は、
ぼくの学生時代からの同級生がジャケット写真を撮影したこともあって、
懐かしく思い出します。

話が逸れましたけど、そんなリヴァイヴァル・サウンドを聞かせてくれるのが、
ジミー・キング・バンドあらため上海老百樂門元老爵士樂團です。
英国租界の警察官だったジミー・キング(金華津)は、
音楽好きが高じて、フィリピン人ジャズ・ミュージシャンの羅平に師事し、
ハワイアン・ギターと歌を学びます。
のちに羅平のバンドに加わって、ボールルームの仙楽で演奏していると、
百樂門のオーナーに目をかけられ、百樂門の専属バンドとして、
中国人だけのバンドを編成するよう命じられます。

当時ボールルームで演奏するのは、フィリピン人バンドが独占していたのですが、
フィリピン人演奏家は演奏力は高くても、素行の悪い者が多く、
オーナーの悩みの種になっていたのですね。
そうして、ジミー・キング・バンドが47年に結成されたのでした。

このアルバムでは、「ビギン・ザ・ビギン」「イン・ザ・ムード」「アモール」
「ラムとコカ・コーラ」といった当時のレパートリーをケレンなく演奏していて、
なんともすがすがしいんです。
「煙が目にしみる」ではストリング・セクションもついていますよ。

ハリー・オーウェンズの「ハワイアン・パラダイス」や「曼麗亨尼」などの、
ハワイアンもやっていて、ジミー・キングが弾くスティール・ギターも聞けます。
ジミー・キングは、91年に73歳で病死したので、
この録音が最後のものになったんでしょう。

「夜上海」「夜来香」「香格里拉」といった中華ジャズに、
上海オールド・エイジの粋が詰まったステキなアルバムです。

上海老百樂門元老爵士樂團 「百樂門: 上海百樂門絶版爵士」 九洲音像出版公司 no number (2005)

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