ランディ・ニューマンをわからないまま、聴き続けているファンとして、
もうひとつ触れておきたいことを思い出したので、今日はその話を。
16歳の時、“GOOD OLD BOYS” にすっかりヤられ、
そのあとデビュー作までさかのぼってニューマンのレコードを聴いて、
“GOOD OLD BOYS” と同じくらい惹かれたのが、
72年作の“SAIL AWAY” でした。
前回、音楽はわからなくていい、と啖呵を切りましたが、
耳の快楽として感動したのならば、
そこでどんなことが歌われているのか気になるのは、当然の人情です。
あの当時、ランディ・ニューマンの歌世界の理解に役立ったのが、
グリール・マーカスが書いた『ミステリー・トレイン』でした。
グリールのおかげで、ニューマンの物語の知識を得ることはできましたが、
それでニューマンの音楽の聞こえ方が変わったかといえば、
そんなことはありませんでした。
やはり知識は、音楽の理解に役立っても、感動の本質には関係がなく、
まずは感動ありきの後付け、参考としかならないことを、実感したものです。
それを強く印象づけられたのが、“SAIL AWAY” のタイトル曲でした。
ぼくはあの曲が、奴隷貿易をテーマとしているとは、
歌詞すら読んでなかったもので、グリールの文章を読むまで想像だにせず、
それを知った時は、ちょっとショックでもありました。
歌の意味をなんにもわからないまま、感動していたことにです。
自分たちの祖先が犯した、奴隷貿易という忌まわしい歴史を、
あれほど美しく、気品のあるメロディで歌ったのは、
恥ずべき歴史を正当化したい修正主義者の人々の喉元を、
皮肉でえぐるという、強烈なアイロニーだったんですねえ。
アメリカ社会が抱える、人種差別の歴史の罪深さを凝縮したこの歌の意味合いは、
グリールの文章を読まなければ、とても理解できなかったでしょう。
それでは、歌詞の意味も知らず聞いている外国人は、
ニューマンの音楽が「わかっていない」のでしょうか。
歌詞の意味を知らずに感動しているのは、「勘違い」なのでしょうか。
“SAIL AWAY” の発売から30年経った02年、ライノがCD化した際、
タイトル曲“Sail Away” の未発表ヴァージョンが、
ボーナス・トラックとして収録されました。
「アーリー・ヴァージョン」とクレジットされたそのヴァージョンには驚かされました。
LPヴァージョンとは、まったく違うアレンジだったからです。
鎖に繋がれた奴隷たちが行進するのを連想させるような、
軍楽隊ふうの勇ましいシンバルの響きや、スネアのロール。
そしてエンディングには、トーキング・ドラムや鉦といった、
アフリカのパーカッション・アンサンブルを
フィーチャーしたアレンジが施されていたのです。
それはまさしく、奴隷船に積み込もうとする様子を、
演奏で具体的に描写したものでした。
しかし、果たして、これが正規のヴァージョンだったら、
感動しただろうか、と思ってしまったんですね。
その説明的なサウンドは、聴き手の想像力を奪うものです。
奴隷制度を硬直的に非難する角度の付けかたは、プロパガンダにすぎません。
そこに聴き手の解釈が入る余地はなく、
それでは奴隷制を肯定しようとする立場の側の
人間の弱さや哀しみにまで、思いを至らせることはできなかったでしょう。
このテイクをボツにして、
美しい弦楽オーケストラのヴァージョンでレコーディングし直したのは、
表現者が角度を付けるのではなく、リスナーに解釈の余地を残すことの重要性を示した、
意義深い実例のように、ぼくには思えます。
わずか20秒あまりのアフリカン・パーカッションのアンサンブルが、
あまりに本格的なのにも驚かされたんですけれどね。
クレジットはありませんが、アフリカ人奏者を呼んで演奏したものに違いなく、
スタジオ・ミュージシャンにアフリカ風の演奏をさせてゴマカしたのではないところが、
ニューマン、偉い! というか、さらにそこまでしても、ボツにしたところも、
さらに偉いというか、信頼に足る人だと感じ入ったのでありました。
Randy Newman "SAIL AWAY" Reprise/Rhino R2-78244 (1972)