この夏は訃報があまりに多すぎます。
西サハラの女性歌手マリエム・ハッサンが8月22日、
アルジェリア、ティンドゥフの難民キャンプでこの世を去りました。
天命なら、それも仕方がないのかもしれません。
でも祖国を取り戻す闘いの途上で、ガンという病魔に侵され、
命尽きたマリエム・ハッサンの死を、ぼくは天命などと思いたくはありません。
悔しいです。ただ悔しいです。
これほど悔しく思うのは、ぼくがマリエムと同じ1958年生まれだからでしょうね。
ぼくはずっと、なぜマリエムの歌にこれほど心ゆさぶられるのか、
その理由がよくわからないままに聴いてきました。
マリエムがわずか17歳で政情不安な故郷を後にし、
四半世紀以上も難民キャンプで暮らしてきた歌手であることは、
彼女のCDを聴く前から知っていました。
そんな予備知識がある時ほど、その音楽に余談を持って接しないよう、
常日頃から気を付けているつもりなのに、
マリエムの激情のこもった歌には、一聴でヤられてしまったんです。
豊かな暮らしを享受してきた、はるか遠い東洋の国に住む人間が、
こうした歌に感動したなどと、簡単に言う資格があるのかという疑問は、
マリエムの歌を聴くたびまとわり続け、ぼくの脳裏から離れることはありませんでした。
それは、ぼくとマリエムが同い年であるがゆえ、
同時代に生きているという事実を意識せずにはおれなかったからです。
マリエムが歌う曲の歌詞など、ぼくは何ひとつわかっていません。
政治的メッセージが、彼女の歌に果てしない深みと力を与えてきたことは、
まぎれもない事実でしょうが、ぼくにはそれ以上に、子守唄で聞かせる
母性的な優しさに満ちた歌と語りが忘れられないのです。
もしマリエムが祖国に帰れる日がやってきたら、
平和な暮らしの中で、もっともっと幅広い歌を歌えた人だったはずです。
しかしそれも、もうかなわなくなってしまった。
それがどうにも悔しくてなりません。
バカヤローと叫びたい気持ちでいっぱいです。
Mariem Hassan con Leyoad "CANTOS DE LAS MUJERES SAHARUIS" Nubenegra INN1114-2 (2002)