ソウル・ジャズのアパラ・コレクションに触発されて、
パンケケについてもちょっと書いておかなきゃ、という気にさせられました。
S・ベイカーの解説では、ダダクアダの別名として「パケケ」と書かれていて、
最初読んだ時は、パンケケの n を1文字脱落した誤記だと思ったんですが、
少し調べてみたところ、ナイジェリア人研究者でパンケケのことを
パケケと書いている人が一人いて、どうやら誤記ではなさそうとわかりました。
それで、前回の記事にも誤りとは書かずに、
一般的には「パンケケ」と称すると注釈したんですが、
パンケケを称したダダクアダのシンガーでもっとも有名なのが
(というより、ぼくはこの人しか知らないんですけれど)、ジャイバデ・アラオです。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2011-05-17
ジャイバデ・アラオは、ダダクアダのシンガーの代表格としてあげられる人で、
ぼくもずいぶん昔にLP2枚を手に入れましたが、
レコードにダダクアダの文字はなく、パンケケと称しているんですね。
パンケケとは、サカラに似た平面太鼓のトーキング・ドラムのことで、
エグングン祭で演奏されるダダクアダに、コーラス・グループとともに取り入られ、
ダダクアダの口承芸能としての性格を、より発揮するようになったといわれています。
ダダクアダは、オクルという名のガンガン・ドラマーが、
エグングン祭のさいに、エグングンに付いて伴奏を務めたのが発祥とされています。
ガンガンというのは、ドゥンドゥンの中でもっとも大型のトーキング・ドラムのことで、
ダダクアダはガンガン・ドラマーが歌う音楽として始まったんですね。
のちにそこに、パンケケがガンガンの補佐として加わり、
コーラス隊も参加して、アンサンブルへと発展したのでした。
ダダクアダの歌手は、ヨルバの社会では「恥知らずな乞食」扱いされるほど
見下された存在で、いわゆるほかのプレイズ・シンガーのように、
冠婚葬祭などに呼ばれることはなかったそうです。
というのも、ダダクアダの歌は、反社会的・反イスラーム的な性格が強く、
エグングン祭と強く結びついたイロリンの住民しかその機知を受け容れられず、
イロリン住民以外ではキリスト教徒か、またはよほどリベラルなムスリムでなければ、
ダダクアダの芸を不快に感じたそうです。
そんなダダクアダのシンガー、ジャイバデ・アラオが、
自身のスタイルをパンケケと称したのは、
ひょっとしてジャイバデ自身がパンケケを叩いていたからなのかなとも想像したのですが、
真偽のほどはいまだわからず。
ぼくが持っているジャイバデの70年代と思われるレコードでは、
伴奏はパーカッションのみですけれど、
80年代録音をCD化した2枚ではシンセサイザーを導入していて、
西洋楽器を取り入れ始めたシキル・アインデ・バリスターのフジの影響がうかがわれます。
[LP] Alhaji Chief Jaigbade Alao & His Pankeke Group "MO MU 'NUMBER' TEMI" Chief CRL001
[LP] Alhaji Chief Jaiyegbade Alao & His Pankeke Group "ALHAJI CHIEF JAIYEGBADE ALAO & HIS PANKEKE GROUP" Jofabro JNLPA923
Alhaji Chief Jaigbade Alao "IRE NI TEMI" Alasco AVEP004
Alhaji Chief Jaigbade Alao "OLORUN TIRE NI MOSE" Alasco no number