ザンジバルのターラブの歴史を知る人なら、
ターラブをスワヒリ語で歌って大衆歌謡として広めた伝説の女性歌手、
シティ・ビンティ・サアドの名をご存じと思います。
トピック盤に4曲、ヴェルゴ盤に2曲CD化されたSP録音を、
すでにお聞きのファンもいるかもしれません。
時は19世紀末。男性中心の封建的なイスラーム社会のザンジバルで、
シティ・ビンティ・サアドは貧しい農家の娘として生まれ、コーラン学校にも通えず、
読み書きのできないまま大人となります。やがて歌手となるチャンスに恵まれ、
東アフリカで初のレコーディングを1928年に行い、運命は大きく変わります。
インドのボンベイで行われたその録音は、
東アフリカで最初のレコードとなったばかりでなく、
女性歌手としての録音も初ならば、ターラブの記念すべき初録音となったのでした。
(注:ライナーに「1929年に初録音」という記述がありますが、1928年の誤りです)
シティは、日々の暮らしや社会問題を題材とする曲を作っては歌い、
人々から大きな人気を得ると、男性に限られていたターラブ演奏への女性の参加や、
女性だけのターラブ・クラブを発足させるなど、
女性のエンパワーメントを促す文化的アイコンとなりました。
のちに、そんなシティに感化されたのが、
成女儀礼ウニャゴの祭祀でもあったビ・キドゥデです。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2013-04-20
ビ・キドゥデのドキュメンタリー映画“AS OLD AS MY TONGUE” に出てきた、
シティ・ビンティ・サアドのSP盤をかけるシーンにも、それは表われていましたね。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2009-08-05
前置きが長くなってしまいましたけれど、
本作はその伝説的なシティ・ビンティ・サアドのひ孫にあたる、
シティ・ムハラムの世界デビュー作です。
ザンジバルのターラブは、アマチュア楽団のクラブが組織化されるにしたがって、
冠婚葬祭向けのヨソイキなお行儀のいい演奏が主流となり、
生きた大衆歌謡としての側面が失われていく傾向にありました。
本作のねらいは、曾祖母シティ・ビンティ・サアドの進取の気性を、
もう一度ターラブに取り戻そうとする試みにあります。
ヴァイオリンなど大人数の弦楽セクションを使わず、小編成の伴奏にしたのが肝。
パーカッションを効果的に使い、キドゥンバクのスタイルで演奏しているところに、
シティ・ビンティ・サアド時代の大衆歌謡へ回帰させる意図が表われています。
音楽監督を務めたのは、ムハンマド・イサ・マトナ。
覚えていますか? 一昨年、ノルウェイ人ジャズ・ミュージシャンとのコラボで
注目を集めた、マトナズ・アフダル・グループのリーダーです。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2018-12-22
古典ターラブやザンジバルやエジプトの古謡を参照しつつ、
ターラブをモダン化したあのアルバムの試みをさらに推し進め、
マトナはウード、ヴァイオリンのほか、サポート・ヴォーカルも担っていますよ。
あのアルバムにも参加していたノルウェイ人ベーシストの躍動するラインが、
リズムを強化していて、サウンドの核となっています。
西洋人音楽家の起用についても、マトナズ・アフダル・グループの経験が
生かされたようで、バス・クラリネットなど実に上手い使い方をしていますね。
古典的なターラブのメロディを引き立てたアンサンブルを聞くと、
しっかりとリハーサルを積んだ様子がうかがえます。
サム・ジョーンズが施したエレクトロのデリケイトなトリートメントも効果的です。
多様な文化が混淆したスワヒリ文化のダイヴァーシティと、
女性のエンパワーメントを象徴する、
シティ・ビンティ・サアド時代のターラブへ回帰する試みは、
きわめて今日的な意義を持つアプローチなのではないでしょうか。
充実した演奏内容とともに、その企画意図にも大きな拍手を送りたい大力作です。
Siti Muharam "ROMANCE REVOLUTION" On The Corner OTCRLP005 (2020)
*タイトルはCD表記に従いました。ダウンロード・サイトには、
長い別タイトルが付いていますが、フィジカルにその表記はありません。
v.a. "POETRY AND LANGUID CHARM : SWAHILI MUSIC FROM TANZANIA AND KENYA" Topic TSCD936
v.a. "ECHOES OF AFRICA EARLY RECORDINGS 1930s–1950s" Wergo SM1624-2