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オレスの騎兵 アイッサ・ジェルムーニ

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Aissa Djermouni  GENRE CHAOUI.jpg   Aissa Djermouni  LABSSAT LARHAFF.jpg

アルジェリア北東部オレス山地に暮らすベルベル系民族のシャウイ人の音楽といえば、
近年流行しているスタイフィを耳にできるようになりましたけれど、
スタイフィのルーツであるシャウイの伝統音楽とは、なかなか出会うチャンスがありませんでした。

シャウイの伝統音楽を聞いてみたいと、強く意識するようになったのは、
フリア・アイシがフランス、ストラスブール出身の5人組ヒジャーズ・カールと組んで発表した
08年の“CAVALIERS DE L’AURÈS” がきっかけでしたね。
ヒジャーズ・カールの斬新なサウンドで、シャウイの伝統音楽をモダン化したアルバムでしたが、
そのユニークなサウンドよりも、フリアの強力なこぶし回しに圧倒されました。
こういう激しさこそ、シャウイ民謡独特の個性だと知らされては、
もっとディープなシャウイの伝統音楽を聴きたくなろうというもの。

その後、シャウイの伝統音楽の巨匠で、
アイッサ・ジェルムーニ(1886-1946)という歌手の存在を知りました。
なんでも、アラブ人として初めてフランスでレコーディングを行い、
37年にはパリのミュージック・ホール、オランピアで公演を果たしたというのだから、たいへんです。
伝説的なエジプトの大歌手ウム・クルスームのオランピア公演より、30年も前の出来事ですよ。

え~、そんな人がいたのかと、驚かされたんですが、
当時の音源を復刻した単独LPの1枚すらないんですね。
調べてみると、30年にチュニスで初録音、
33年に“Nabda Bismillahi” がヒットとなりマグレブ諸国で大人気を呼び、
パリで30回に及ぶレコーディングを残した人だというのに。
LP化すらされていないので、CDだってもちろんなし。

というわけで、すっかりアイッサ・ジェルムーニの名も忘れかけていたところだったんですが、
アルジェリアから買い付けられてきたCDの中にアイッサの名を見つけ、狂気乱舞。
しかも、2タイトル! 実はもう1タイトル出ているんだそうですけれど、とにもかくにも、ヤッター !!!
装丁は簡素な紙パック・ジャケで、思わず海賊盤かと疑るムキもありそうですが、とんでもない。
なんとレーベル名は、由緒正しくEdition Ouarda Phone とありますからね。
これ、アイッサが30年代にパリでレコーディングした音源を
原盤所有するWarda-Phone と同じでしょう。

長年聴きたいと切望してきたシャウイ伝統歌謡を、ついに初体験。
すごい! たっぷりとした声の厚みに、音の圧。
この豊かな声量は、素晴らしいというほかありません。
葦笛ガスバ、片面太鼓ベンディールを伴奏に、
オ レスの山々にとどろく、晴れ晴れとしたな歌声が圧倒的です。

かつてシャウイ人は、「ラヤン・エル・ハイル(騎乗の羊飼い)」と呼ばれたように、
遊牧の民として一日の大半を馬上で過ごしたといいますが、
そんな誇り高きシャウイの騎兵を、ジャケット画が象徴しているかのようです。

Aissa Djermouni "GENRE CHAOUI" Edition Ouarda Phone 3001
Aissa Djermouni "LABSSAT LARHAFF" Edition Ouarda Phone 3002

カリブがジャズを生んだ

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Jamaica Jazz 1931-1962.jpg

「ジャズはラテン・アメリカの音楽の一種である」という刺激的なテーゼは、
ラテン、カリブ音楽ファンはもとより、
ポピュラー音楽史に関心を持つ者に、多くの示唆を与えてきました。
ところが、肝心のジャズ・ファンは、
この言葉の意図するところがわかってない人が多いですね。

まず、このテーゼを考えるには、両者の音楽が誕生する以前の、
19世紀末から20世紀初頭の音楽を想起しなければ意味がないんですけれど、
現在のジャズとラテンを前提にして論じるムキが多く、
それでは議論が的外れなものにしかなりません。

ジャズに限った話じゃないですけれども、ひとつのジャンルしか聞かない音楽ファンは、
知識が豊富なようにみえて、黄金時代の録音ばかり根掘り葉掘り聴いて、
SPや蝋管時代の初期録音はまったく聴かない人がほとんど。
それでは、音楽史観のような大局に立ったものの見方や、
イマジネーションを要する歴史観が身につくはずもないですね。

いまでは、ジャズ評論家の油井正一さんが打ち出したように思われがちなこのテーゼですが、
もとはドイツのジャズ評論家アーネスト・ボーネマンが
「ジャズはニューオリンズで誕生したラテン・アメリカ音楽の一種である」と言ったのを、
油井さんがスイングジャーナル誌の連載記事「ジャズの歴史」の中で紹介したもの。
その後、連載が書籍化された名著『ジャズの歴史物語』でも、
アーネスト・ボーネマンの説として丁寧な注釈をしているのに、
なぜか油井説のように流布されているのは、油井さんも天国で苦笑されているだろうな。

そんな名言、「ジャズはラテンの一種」をひさしぶりに思い出したのは、
ブルーノ・ブルムが監修したジャマイカン・ジャズの編集盤の解説に、
より明快に表現したテーゼを読んだからなのでした。

いわく、「ジャズはアフロ=クレオール文化の産物」。
どーです。
「ラテン・アメリカ音楽の一種」なんて曖昧さの残る表現ではなく、
複雑な文化状況のもとで混淆した音楽の本質を、より明快に言い切ってるじゃないですか。

ほかにも、
「アメリカでジャズの揺りかごとなったニュー・オーリンズは、
<クレオールネス>の基点となる最良の見本となった場所」としたうえで、
「ニュー・オーリンズは、カリブの首都だ」とする
アメリカの音楽学者ネッド・サブレットの言葉を引用して、
「ジャズはカリブで生まれた」という見出しをつけています。

う~ん、含蓄のある言葉が並びますねえ。
ここまで言うのなら、さらに一歩踏み込んで、
「カリブがジャズを生んだ」と言いたいですね。どうでしょうか。

V.A. "JAMAICA JAZZ 1931-1962" Frémeaux & Associés FA5636

アラビック・ロマンス ジャナット

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Jannat  BE NAFS EL KALAM.jpg

モロッコのシャバービー・シンガー、ジャナットの4作目にあたる新作が届きました。
3年ぶりの新作も、前作同様ロターナからのリリースです。
なので、お買い求めはお早目に、ですよ。

いつだか、「ロターナだからいつでも買える」なんて言っていた人がいましたけど、
アラブ・ポップスのCD流通状況が一変したことを、ご存知でない方も多いようですね。
いまやロターナの新作をフィジカルで入手するのは、えらく困難となっているのでした。

すべてダウンロード販売にしたいのが、ロターナの本音なんでしょうけれど、
そうもいかずに、しぶしぶフィジカルも作っているというのが、現在の状況。
フィジカルはイニシャルで申し訳程度に作って、それでおしまい。
大スターのヒット作すら、けっして再プレスしようとしないんですからねえ。

わずかばかりプレスされたフィジカルは、アラブの業者同士で争奪戦となっているので、
日本のバイヤーがまとまった数を確保するのだって、たいへんなはず。
オフィス・サンビーニャさんも、苦労してるんじゃないかなあ。

で、ジャナットの新作。
モロッコ出身といっても、ドバイの歌謡コンテストで優勝し、エジプトでデビューしたこともあり、
熱血モロッコをイメージさせる雰囲気はまるでなく、
アイドルぽいかわいらしい声で歌い、こぶしもあまり使わない人です。
イケイケなアップ・テンポより、ミドル/スロウ系のバラード・タイプの曲を中心に歌い、
せつなげな曲にいい味を出すので、ぼくがごひいきにしているシンガー。
あらためて棚を見たら、過去3作全部あったのには苦笑してしまいました。

今作は、珍しく冒頭2曲がアップテンポでスタートし、
打ち込みのうるさい1曲目はぼく好みじゃありませんが、
カーヌーンをフィーチャーしたイントロに始まる3曲目から、ぐっとアダルトな雰囲気に変わります。
これこれ、こういうせつなげなメロディが、やっぱジャナットには似合いますよ。
続く4曲目も柔らかなアクースティック・ギターのイントロに、
アコーディオンもフィーチャーされたロマンティックな曲。
以降すべてバラード・タイプのラヴ・ソングが並び、大満足であります。

Jannat "BE NAFS EL KALAM" Rotana CDROT1946 (2016)

乞再来日 ウィリアム・ベル

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William Bell.jpg

声を聴いただけで、その人の誠実さが伝わってくる、
そんな思いにとらわれてしまうシンガーに、ウィリアム・ベルがいます。
もちろん、じっさいの人柄を知っているわけじゃありません。
でも、歌詞を噛み締めるように丁寧に歌うベルの歌いぶりは、
<誠実>をおいてほかに、うまく当てはまる言葉が見つかりません。

思えばぼくは、ウィリアム・ベルの魅力に、長い間気付けずにいました。
“You Don't Miss Your Water” といった名曲は、十代の時すでに聴いていましたけれど、
オーティス・レディングに夢中になっていた当時は、
シャウトをするわけでなく、ディープな声でもないウィリアム・ベルは、
ぼくにはマイルドすぎて、インパクトが感じられなかったんですね。
サザン・ソウルは、ディープであればあるほど味があるという、単純な聴き方をしていたために、
ウィリアム・ベルの良さに気付けなかったのは、浅はかと言うほかありませんでした。

アクのなさゆえに、ぼくにとってとっつきが悪いサザン・ソウル・シンガーだったわけですが、
子持ちとなった30代はじめだったか、ひさしぶりに聴いたウィリアム・ベルの歌が胸に染みて、
こんな素晴らしいシンガーだったのかと、ようやくその良さに開眼したんでした。
その時あらためて、ソウルフルという言葉が持つ奥深さを、
ウィリアム・ベルから教わったような気がしたものです。

さらに、もうひとつ気付いたのが、曲の良さ。
ソングライターとしての才能にも感じ入りました。
ドラマティックとは無縁のさりげなさや、おやと思わせるコード展開に、
ベルのソングライティングの個性が光ります。

そして、突然届けられた新作の登場。
御年76歳、新曲をひっさげ、復活した名門スタックスからのリリースと聞いて、
これはと期待を寄せましたが、予想を超える素晴らしさでした。
レトロではない、現在の息吹が伝わってくるサザン・ソウルですよ。
軽いミディアムにこそ味わいが溢れ出るベルの歌の良さ、楽曲の良さが全面展開。
演奏も含めその完成度の高さは、ただごとじゃないレベルのアルバムじゃないですか。

いやぁ、こんな歌が聞けると知っていたら、昨年の初来日、足を運ぶべきだったなあ。
あぁ、悔しい。ぜひ再来日を切望します。

William Bell "THIS IS WHERE I LIVE" Stax STX38939-02 (2016)

ワカの名盤 クイーン・サラワ・アベニ

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Queen Salawa Abeni  INDIA WAKA.jpg

ナイジェリアのヨルバ・ミュージックで、女性だけが歌うワカの人気シンガー、
サラワ・アベニの名盤がついにCDされました。
サラワ・アベニがフジのトップ・シンガー、コリントン・アインラとのロマンスで
世間をにぎわせていた頃のアルバムで、長年所属していたレコード会社のリーダーから、
コリントン・アインラの自己レーベル、コリントンに移籍して間もない84年の作です。
これ、ナイジェリア現地でも大ヒットしたんですよね。

本作の何がスゴイって、バックのパーカッション陣の演奏。
コリントン・アインラの黄金時代を支えた最高のパーカッション・アンサンブル、
アフリカン・フジ・78・オーガニゼーションがバックを務めているんだから、
スゴイのも当然なんですけど、親分の時より気合が入っているんじゃないかという、
圧巻の演奏ぶりを聞かせてくれるんです。

リード・トーキング・ドラムの唸る低音が、サラワ・アベニとコーラスの女声に挑むように絡み、
アゴゴやシェケレが、ビートをひたすら疾走させ、猛烈なグルーヴを生み出します。
合間合間に、金属製の響きを加えるパーカッションが音を重ね、
大小さまざまなパーカッションが展開して息つかせぬサウンドは、
まさしく一級品のフジと変わらぬものです。
コリントン・アインラの名作“AUSTERITY MEASURE” を思わすハードエッジな演奏に、
全身の血流が沸き立ちます。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2011-05-13
そして、サラワ・アベニのパワフルなこぶしに、
若々しい女性たちのコーラスが掛け合う輝かしさは、これぞワカの醍醐味でしょう。

サラワ・アベニは、76年にわずか15歳でデビュー作をリリースして世に登場し、
16歳で自己のバンド、ワカ・モダナイザーズを結成。
以来ずっとその名義を使っていますが、同一のメンバーじゃないことは確かですね。
76年のデビュー作から84年まで、リーダーに14枚のアルバムを残しましたけれど、
コリントン移籍後、バックのサウンドが、がらっと変わりましたからね。
ジャケットには、相変わらず「サラワ・アベニ&ハー・ワカ・モダナイザーズ」とありますが、
演奏しているのがアフリカン・フジ・78・オーガニゼーションであることは、一聴瞭然です。

Kubura Alaragbo AdijaTi De.jpg   Kubura Alaragbo Repercussion.jpg

そういえば思い出しましたけど、
サラワ・アベニと人気を二分したクブラ・アララボというシンガーがいて、
クブラのバックはワシウ・アインデ・バリスターのバンドが演奏していたんですよね。
どこにもそんなクレジットはありませんが、聴けばイッパツでわかります。間違いありません。
85年のクブラ・アララボの2作は、
当時上り調子だったワシウの名作と変わらぬサウンドに魅了されたものです。
これもCD化してくれないかなあ。

コリントン・アインラと結婚したサラワ・アベニは、3人の息子(のちに1人は死別)と娘1人をもうけ、
94年までコリントン・レコーズで録音を続けますが、
二人は結婚を解消し、サラワはアラバダへ移籍します。
アラバダ時代にも、94年の“WAKA CARNIVAL” などの快作があり、
CD化もされていますが、なんといっても80年代の諸作をまず聴かなければ、話になりません。
なかでも“INDIAN WAKA” の激しさはサイコーです。
フジの諸作を聴く人でも、ワカの名盤にお気づきでない方もいるようなので、これを機にぜひ。

Alhaja Queen Salawa Abeni and Her Waka Moderniser "INDIAN WAKA" Olumo ORPSCD10 (1984)
[LP] Kubura Alaragbo "ADIJA TI DE" Leader LRCLS50 (1985)
[LP] Alhaja Adijat Kuburat Alaragbo & Her Waka Group "REPERCUSSION" Leader LRCLS53 (1985)

歌謡カリンボーのむせかえる大衆味 ドナ・オネッチ

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Dona Onete  Banzeiro.jpg

カリンボー婆ちゃん、ドナ・オネッチの新作が届きました。
12年のデビュー作から、4年ぶりとなる2作目。
アマゾン川に浮かぶ船の上でポーズをきめたジャケットからは、
マングローブの匂いが伝わってくるようですね。

前作は、カリンボーの味わいをきちんとキープしつつ、
トリップ・ホップやヒップホップまで取り入れたマルコ・アンドレのプロデュースが鮮やかでしたが、
今作は制作陣を一変、ギターとバンジョーを担当するピオ・ロバートが音楽監督を務めています。

ピオのギターとバンジョーに、ベース、ドラムス、パーカッションのバンドを中心として、
曲によりサックス、フルート、キーボード(オルガン)が加わるという趣向。
よくハネるツー・ビートが痛快なカリンボー・シャメガードをたっぷりと楽しめるところは、
前作と変わりませんが、オルガンをフィーチャーした田舎風のボレーロや、
むせび泣くサックスが場末感を漂わせる歌謡調の曲が、
下世話な大衆味を醸し出していて、今作の聴きものとなっています。

今回も、全曲ドナ・オネッチの自作。
なんせ400曲以上も曲を書きためていると豪語するだけあって、
ダンサブルなカリンボーから歌謡調ボレーロまで、レパートリーは多彩。
ざっくばらんとした歌いっぷりは、いかにも田舎の老婆然としてますけど、
歌い口にはユーモアが溢れ、シャウトもしたりして、元気いっぱいで愉快至極。
曲もポップで親しみやすく、う~ん、才人ですねえ。

前作はイギリスからもリリースされ、評判を呼んだようですけど、
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2015-01-14
今作は前作をも上回る痛快さ。ブラジルのローカル・ポップ、侮れません。

Dona Onete "BANZEIRO" Na Music NAFG0111 (2016)

ギネア=ビサウのヒップホップ リーマン

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Ryhmman  BISSAU.jpg

ギネア=ビサウのラッパーのCDを入手しました。
ギネア=ビサウ? どこ、それ?とか言われそうですけど、
西アフリカはセネガルの南、ギネアの西にある旧ポルトガル領の国ですよ。
初耳という人は、これを機に、地図を開いてみてくださいね。

10年も前のアルバムを、なんで今頃という感じなんですけれど、
なんせPALOP ことポルトガル語公用語アフリカ諸国のCDは、
アンゴラを筆頭に入手が困難で、見つけられただけでも、めっけもの。
旧宗主国ポルトガルのCD市場は小さすぎて、
遠い東洋の国から探すのは、ホント苦労させられます。

ゆいいつPALOPの中でもカーボ・ヴェルデだけは、
ルサフリカ・レーベルの活躍によって、国際的なマーケットに流通していますけれど、
ルサフリカがフランスでなく、ポルトガルのレーベルだったら、成功しなかったでしょうね。
そのうえ、アフリカのヒップホップに関しては、いまやフィジカルはほぼ全滅状態。
ダウンロードのみの現状なので、入手できるCDはひと昔前のものしかないんですね。

で、このラッパー、ポルトガル語だとリーマンと読むのでしょうか。
英語読みなら、いかにもラッパーらしい「ライムマン」。「韻男」ですね。
ギネア=ビサウのクレオール語で何と読むのかはわかりませんが。
プロフィールなど情報がまったくなく、06年に出た本作がデビューEPということがわかったくらいで、
その後フル・アルバムが出たかどうかも、よくわかりません。

EPといっても、全11曲、各曲趣向を凝らした内容で、
ンゴニやバラフォンをフィーチャーしたトラックに始まり、
ハミング合唱や古いフィールド録音を取り入れるなど、
ルーツ色を滲ませた豊かな音楽性を聞かせてくれます。

なかでも、感じ入ってしまったのが、アミルカル・カブラルの肉声が聞けたこと。
ギネア=ビサウ独立の父と称えられるアミルカル・カブラルは、
ギネア=ビサウとカーボ・ヴェルデの独立運動を率いた革命家。
アフリカ独立史に思い入れのある者にとって、カブラルの往年の演説は、感慨深いものがあります。
カブラルは独立達成前に暗殺されてしまいましたが、
若いラッパーがいまもリスペクトしているなんて、ジンとくるじゃないですか。

自分が生まれる前のカブラルの古い録音を引っ張り出してくるだけあって、
哀愁と諦観の漂うトラック・メイクは、若さに似合わぬ熟成を感じさせ、
怒りや悲しみを押し殺したようなラップには説得力があり、フロウにも深みがあります。
大勢のゲストがフィーチャリングされていますけれど、
個人的には、男性デュオのイヴァ&イチイが参加しているのが嬉しかったですね。
知られざるアフリカン・ヒップホップの名作ですよ。

Ryhmman "BISSAU" no label no number (2006)

ギネア=ビサウのクレオール・ポップ イヴァ&イチイ

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Iva & Ichy  PUTI DE MEL KEBRA PATCH.jpg   Iva & Ichy  PILOTO DI LANTCHA.jpg

前回の記事で、ひさしぶりにギネア=ビサウの男性デュオ、
イヴァ&イチイの名前を見つけて懐かしくなり、
彼らのCDを引っ張り出してきました。

小国ギネア=ビサウのポップスは、熱心なファンの間でも、
せいぜいスーパー・ママ・ジョンボが知られているくらいじゃないでしょうか。
そういえば先日、デビュー当時の未発表録音が発掘されましたね。
あと、思いつく人といえば、日本盤が出た女性歌手の、エネイダ・マルタぐらいなものかな。
ぼくはエネイダ・マルタの声が苦手なので、
どうせ日本盤を出すなら、イヴァ&イチイの方がいいのに、なんて思ってたんですけどね。

エネイダが日本で出たのは、フランスのレーベルから出た
インターナショナル向けの作品だったからで、
日本と契約があるはずもないポルトガルのマイナー・レーベルのアーティストを、
日本で出すのは無理筋でしょうけれどね。
それに日本の音楽関係者で、イヴァ&イチイを知っている人なんていないだろうし。
まぁ、そんなこともあって、知られぬままの存在となっているのがクヤシイので、
『ポップ・アフリカ700/800』には二人の99年作を入れたんですけれども。

ギネア=ビサウといえば、グンベーが盛んなお国柄。
寄せては返す、波のような反復メロディを繰り返すグンベーももちろん歌いますが、
ほかにもマンデ・ポップありルンバありの、
汎アフロ・ポップな幅広いレパートリーが、彼らの魅力なんですね。

コラやバラフォンをフィーチャーしたマンデ・ポップは、地域性ゆえといえそうですけれど、
ズークや、ヴァイオリンをフィーチャーしたビギンまでやるのは、
同じポルトガル語圏のカーボ・ヴェルデからの影響と思われます。
そんな幅広い音楽性を持つ上質のクレオール・ポップを、
ヨーロッパのプロデューサーを介さずして実現するクオリティは、大したもんじゃないでしょうか。

優男ぽいイヴァと、スモーキーなイチイという、ヴォーカルの対比も味があります。
そういえば99年作の方には、ソロ・デビュー前のエネイダ・マルタが参加しているんでした。
謎めいているのはジャケットで、これはいったい、何を意味してるのかなあ。

Iva & Ichy "PUTI DE MEL KEBRA “PATCH”?" Teca Balafon CDBAL007/99 (1999)
Iva & Ichy "PILOTO DI LANTCHA" Teca Balafon CDBAL003/03 (2003)

ジャズ十月革命・2016 梅津和時+原田依幸

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生活向上委員会ニューヨーク支部.jpg

うわぁ、‌とうとうCD化されたか。
梅津和時と原田依幸が渡米して、当時のロフト・ジャズ・シーンの精鋭たちとセッションした、
生活向上委員会ニューヨーク支部。

デザインするという意識がまるでない、いかにも自主制作なジャケットは、
およそ購入意欲のわかないシロモノで、
行きつけのジャズ喫茶で聴けるからいいやと思っているうちに、そのジャズ喫茶も店じまいして、
すっかり忘却の彼方になってしまいました。40年近く前の大学生だった頃の昔話です。

それ以来、ずっと耳にしていなかったわけですけれど、
冒頭「ストラビザウルス」のホーン・リフがすごく懐かしくって、鳥肌が立っちゃいました。
サン・ラ・アーケストラのトランペッター、アーメッド・アブドゥラーと
梅津のアルト・サックスによるユーモラスなリフに続いて、
集団即興になだれ込んでいくカッコよさは、ぜんぜん古くなってないですねえ。
ラシッド・シナンのドラムスがキレまくりで、これぞフリー・ジャズの醍醐味ですよ。
梅津が作曲したラスト2分弱のニュー・オーリンズ風の陽気なメロディも、楽しいかぎり。

集団疎開.jpg

その後ニューヨークから帰った二人は、集団疎開を新たに結成し、ライヴ盤「その前夜」を、
生活向上委員会ニューヨーク支部同様、コジマ録音から出したんでしたね。
当時ぼくは、コジマ録音とお付き合いがあったので、高円寺の小島さんのおうちで、
この集団疎開のレコードを聞かせてもらった覚えがあります。
当時は「ひどいジャケットだな。フリー・ジャズっていうより、ビンボくさいフォークみたい」
と思ったもんですけれど、正直これがCD化されるとは予想しませんでしたねえ。

梅津和時+原田依幸 ダンケ.jpg

結局、梅津和時と原田依幸の二人に親しみを覚えながらも、
「ジャケ買い」ならぬ「ジャケ敬遠」をし続けて、
ようやく二人のレコードを初めて買ったのが、81年の「ダンケ」でした。
一緒に買ったのが、宮野弘紀のデビュー作「マンハッタン・スカイライン」だったもんで、
レコード屋のオヤジから「フリージャズとフュージョンの両方、聴くのかい」と嗤われましたけども。

この頃、二人はすでに生活向上委員会大管弦楽団で、大ブレイクしていました。
その後、それぞれの方向性が変わっていき、二人別々の道を歩むことになったんですね。
ぼくはといえば、どくとる梅津バンドからKIKI BANDと、
もっぱら梅津和時のライヴに足を運んでいましたけれど、
原田依幸のライヴは一度も観たことがありませんでした。

今回30年ぶりに二人が合流し、生活向上委員会東京本部として、
10月5日の京都を皮切りにコンサートを行うという、ビッグ・ニュースが飛び込んできました。
しかも、ドン・モイエを招いてのトリオ編成だというんだから、これは事件です。
ぼくは早速、最終公演10月10日の高円寺のチケットを確保しました。
カエターノ・ヴェローゾなんぞ観てる場合じゃありませんよ。

かつて原田依幸ユニットで、セシル・テイラーのドラマー、アンドリュー・シリルと共演した時は、
原田に合わせるだけのシリルが物足りなかったウラミが残っているので、
今回のドン・モイエには、期待したいですねえ。
なんたって、元AECなんだからさあ。
果たして、今回の公演、2016年の「ジャズ十月革命」となるや否や。楽しみです。

生活向上委員会ニューヨーク支部 「SEIKATSU KŌJYŌ IINKAI」 オフ・ノート NON25 (1975)
集団疎開 「その前夜」 デ・チョンボ/ブリッジ BRIDGE049  (1977)
梅津和時+原田依幸 「ダンケ」 P.J.L MTCJ5531 (1981)

南ア・ジャズの意欲的セッション マッコイ・ムルバタ

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McCoy Mrubata  BRASSKAP SESSIONS VOL. 2.jpg

ポスト・アパルトヘイト世代の南ア・ジャズを、ただいま見直し中。
まったく知らずにいたミュージシャンがあまりに多く、めまいがするほどです。
アルバムもiTunes でいろいろ見つかるものの、
フィジカルが入手困難で、閉口しております。

そうしたなかで知った、サックス奏者のマッコイ・ムルバタ。
この人はポスト・アパルトヘイトの新世代ではなく、中堅世代の人ですね。
南アフリカ・ミュージック・アワードの最優秀ジャズ・アルバム賞を、
03年・05年・08年と3度も獲ったというツワモノですよ。
その3度目の受賞に輝いた07年作“THE BRASSKAP SESSIONS VOL. 1” と、
14年に出た続編の“BRASSKAP SESSIONS VOL. 2” を手に入れることができました。

マッコイ・ムルバタの経歴を調べてみると、
生まれは、59年ケープタウン、ランガ・タウンシップ。
シオン教会の賛美歌や伝統的な心霊治療師のチャント、
自宅の向かいでリハーサルをしていた、
サックス・ジャイヴ・バンドの演奏を聴きながら育ったといいます。

76年からフルートを始め、79年には自分のバンド活動をスタートさせる一方、
80年代を通して数多くのカヴァー・バンドでプレイし、
セッション・ミュージシャンとして名を挙げたようです。
89年、ジャズ/フュージョン・シンガーのジョナサン・バトラーが所属する、
イギリス、ズンバ・レコーズのプロデューサーに認められ、デビュー作をリリース。
その後自己のバンド、ブラザーフッドを結成し、90年にギルベイ音楽賞を受賞しています。
92年にはヒュー・マセケラのバンドに加入してツアーに同行するなど、
着実にキャリアを積み、名実とも南ア・ジャズのトップ・プレイヤーとなりました。

マッコイが主宰するブラスカップ・セッションは、若手とヴェテランが、
互いに交流するプラットフォームとして企画されたプロジェクトで、
07年の第1作では20名を超すミュージシャンたちが集い、制作されています。
8管編成のホーン・アンサンブルをフィーチャーした曲もあれば、
モザンビーク生まれのシンガー、チョッパが歌う曲あり、語りの入る曲あり、
「ソマリア」とタイトルされた曲ではウードがフィーチャーされるなど、
意欲的なセッションとはいえ、ややとりとめのない感は拭えません。

むしろ充実したセッションとなったのは、14年の第2作の方。
洗練された南ア・ジャズのなかに、
マラービを感じさせる伝統色がにじみ出ているところが嬉しいじゃないですか。
第1集のような語りではなく、南アらしい歌やコーラスをフィーチャーしたところもいいですね。
6曲目のゴスペル調も、まさに南ア音楽の逞しさに溢れていて、頬が緩みます。

McCoy Mrubata "BRASSKAP SESSIONS VOL. 2" Kokoko Music KMCD001 (2014)

センバ新世代のフォーキーな哀感 キャク・キャダフ

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Kyaku Kyadaff  Se Hungwile.jpg

ずいぶんと変わった名前ですね、キャク・キャダフって。キャブ・キャロウェイみたいな。
アンゴラ人にとっても発音しにくい名前らしく、インタヴューでは必ず質問されていますよ。
インタヴューで語るその由来によれば、
名前の「キャク」はキコンゴ語の yours を意味する語だそうで、
「キャダフ」というのは、母親の姓のフィネーサと父親の姓のフェルナンデスのイニシャルに、
名前の「キャク」の kya を合成して造ったんだそう。
本名はエドゥアルド・フェルナンデスと、いたって普通の名前です。

そのキャク・キャダフの名を、意識するようになったのは、
ラジオ・ルアンダが主催する2014年のトップ・ラジオ・ルアンダで、
ベスト・キゾンバ、年間男性歌手、最優秀男性歌手の3部門を受賞したほか、
文化省が特別後援するアンゴラ音楽賞でも、
2014年最優秀新人賞ほか2部門の賞を獲ったということを知ってから。

アンゴラ音楽賞といえば、2014年にエディ・トゥッサが最優秀センバ賞を獲り、
2015年にヨラ・セメードが、最優秀女性歌手、最優秀アルバム賞(“FILHO MEU”)、
最優秀キゾンバ賞(“Volta Amor”)、最優秀センバ賞(“Você Me Abana”)の
4部門を受賞したんですよねえ。
これを知って入手した“FILHO MEU” はまさに大当たりで、
ここ半年のヘヴィー・ローテーション盤となりました。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2016-06-09

そんなわけで、キャク・キャダフも聴いてみなければと、
手に入れたのが、14年暮れにリリースされたデビュー作。
まずびっくりなのが、そのゴージャスなレコーディング。

打ち込み代用で人件費をケチらないところが、今のアンゴラのポップスの良さとはいえ、
ストリングスやホーンズなど、惜しげもなく人員を使った生楽器使いは、
新人のデビュー作らしからぬ、破格な贅沢さじゃないですか。
アコーディオンが醸し出す爽やかな哀感に、アンゴラらしさがにじみ出ていて、
センバ新世代がドープなクドゥロから、
ミュージック・シーンのメインストリームを取り戻したことを実感させます。

キャク・キャダフは、82年、アンゴラ北西部ザイーレ州の州都ンバンザ=コンゴの生まれで、
アゴスティーニョ・ネト大学で心理学を学んだという人。
もともと歌手志望ではなかったようですが、学生時代に書いた曲が評判となってから、
コンテストに参加し始め、プロとなったという経歴の持ち主です。

テタ・ランドとジェイムズ・ブラウンの影響を受けたそうで、
ジェイムズ・ブラウンはピンときませんが、
テタ・ランドゆずりのフォーキーな哀愁味がいい味になっていますね。
マラヴォワとセンバが合体したような曲も極上です。

Kyaku Kyadaff "SE HUNGWILE" Go Edições no number (2014)

やんちゃなサルサ復活 サボール・イ・コントロール

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Sabor Y Control  CRUDA REALIDAD.jpg

うわー、こんなサルサ・バンドがペルーから出てくるとは。

「サボール・イ・コントロール」なるバンドのネーミングにも、
ありし日のサルサを知る者には、グッとくるものがありますけれど、
サウンドにみなぎる70年代当時のままの熱っぽさは、まさに感動的です。

バンド・リーダーで音楽監督を務めるサックス奏者ブルーノ・マチェルは、
70年代サルサの復活を目論見、00年にサボール・イ・コントロールを結成したとのこと。
達者なプレイヤーを集めて、往年のサウンドを復活させることはできても、
あの当時のギラギラとしたストリートの雰囲気や、
サルサにかける情熱に溢れた空気感を生み出すのは、そうたやすいことではありません。

過去のポピュラー音楽を再現するのに一番高いハードルは、
時代を背負った空気感の再現で、こればかりは演奏家のテクニックや
エンジニアリングだけで解決できる問題ではありませんよね。
社会が変化し、音楽のバックグラウンドが変容している状況のもとでは、
いくらサウンドだけを再現したところで、その音楽が持つテクスチャを蘇らせることは不可能です。

12年作の“CRUDA REALIDAD” を聴いてぶったまげたのは、
その不可能とも思える空気感が、リアルに蘇っていたからでした。
これって、70年代ニュー・ヨークの若いラティーノたちが置かれていた境遇と、
現代のペルーのリマの若者たちが抱える現実とが、
共振しあう<何か>があってのことなんですかねえ。

Sabor Y Control  ALTA PELIGROSIDAD.jpg   Sabor Y Control  EL MÁS BUSCADO.jpg

そのナゾを知りたくなり、旧作のバック・オーダーをお願いしていたところ、
1年以上かかって、09年作と11年作がようやく入荷。
どちらも12年作と変わらぬ濃密な70年代サルサが詰まっていて、またもウナらされました。
サックス2、トロンボーン2の編成が生み出すサウンドは、
特定のオルケスタをお手本にしたようには思えませんが、
雰囲気はエクトル・ラボー在籍時のウィリー・コロン楽団に、とてもよく似ています。
やんちゃな若者といったムードが、ね。

初期のウィリー・コロン楽団といえば、技術的にはあまり高くなく、
そのラフなアンサンブルこそに、
むせかえるようなストリート臭が溢れていたバンドでした。
サボール・イ・コントロールのジャケットも、ガラの悪そうな雰囲気が、
演出であるにせよ、あの頃のコロン楽団と共通しているじゃないですか。

全曲リーダーのブルーノ・マチェルの作曲。
なぜこれほどまでに70年代の空気感を再現できるのかは、結局わかりませんでしたけど、
デスカルガにおけるブルーノのブロウがとびっきり熱く、
ブルーノのミュージシャンシップがメンバーたちを鼓舞しているのを、強く感じさせます。

Sabor Y Control "CRUDA REALIDAD" Descabellado no number (2012)
Sabor Y Control "ALTA PELIGROSIDAD" Descabellado no number (2009)
Sabor Y Control "EL MÁS BUSCADO" Descabellado no number (2011)

サルサ・クリオージャは濃い口の歌手で コサ・ヌエストラ

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Cosa Nuestra  PREGONEROS DE LA CALLE.jpg

時代錯誤ともいえるサボール・イ・コントロールのサウンドに比べると、
クリオージョ音楽の才人といえる、
プロデューサーでギタリストのティト・マンリケ率いるコサ・ヌエストラは、
まさしく現代らしいオルケスタといえるでしょうね。
その洗練されたサウンドのテクスチャは、21世紀ならではという手触りがあります。
それゆえ、サボール・イ・コントロールのようなストリート感はありません。

新作も、懐かしのサルサ名曲をクリオージョ音楽のバルス・マナーでアレンジするという、
ティト・マンリケがコサ・ヌエストラで意図する、
サルサ・クリオージャのコンセプトに従った仕上がりとなっています。
今回の目玉は、なんといっても「アナカオーナ」でしょう。

ティテ・クレ・アロンソの名曲で、チェオ・フェリシアーノの名唱が忘れられない、
サルサ・ファンにはおなじみの曲ですが、これをバルスにアレンジすると、
えぇ? これが「アナカオーナ」?といぶかるような不思議な仕上がりで、
まったく別の曲のように聞こえます。
たしかにメロディは「アナカオーナ」なんだけど、
3拍子にすると、こうも雰囲気が変わるかという驚きのアレンジで、
コロの入り方も、チェオでおなじみのヴァージョンとは違っています。
ちなみに、曲名も“Anacaona” でなく、“Ana Caona” と書かれていますね。

ほかには、「トロ・マタ」に注目が集まるかな。
もっとも、この曲については、里帰りヴァージョンというべきものでしょうね。
もともとカイトロ・ソトが作曲したアフロ・ペルーの名曲を、
サルサにアレンジしてセリア・クルースが歌い、大ヒットとなったんですからね。
サルサに生まれ変わり、多くのシンガーにカヴァーされた「トロ・マタ」が里帰りしたというか、
これが本場のオリジナルといった仕上がりでしょう。

この新作は、ティト・マンリケらしい才が冴えた快作と認めつつも、
個人的に残念なのは、多くのゲスト歌手の参加によって、
クリオージョ音楽のディープな味わいが薄まってしまったことです。
13年の前作にもその傾向があったんですが、今回も起用された歌手によって、
他の歌手だったらよかったのにという曲があることは否めません。
マイケル・スチュアートやマジート・リベーラなんて歌手じゃ、
クリオージョ音楽の味わいを出すなんて、どだい無理。
明らかなキャスティング・ミスですね。

Tito Manrique Y Cosa Nuestra  SALSA CRIOLLA 1.jpg

ぼくがティト・マンリケのサルサ・クリオージャというコンセプトに
ノックアウトされたのは、“SALSA CRIOLLA 1” でした。
クリオージョ音楽の粋ともいうべき、素晴らしくコクのあるノドを持つ
フェリクス・バルデロマールとホセー・フランシスコ・バルデロマールの二人を起用して、
サルサ名曲を歌うというオドロキが、あのアルバムを感動的なものにしていました。

その後、ティト・マンリケがアフロ・ペルー寄りの選曲をするなど軌道修正するなかで、
前作からバルデロマール兄弟の起用をやめてしまったのは、
ためすがえすも残念でなりません。
単にコサ・ヌエストラが、サルサ名曲をクリオージョ音楽にアレンジして、
さまざまな歌手に歌わせるプラットフォームにするのではなく、
濃い口のクリオージョ音楽の歌い手に歌わせるところに、
この企画の良さがあったことを、ティト・マンリケに再考してもらいたいですねえ。

Cosa Nuestra "PREGONEROS DE LA CALLE" Play Music & Video no number (2016)
Tito Manrique Y Cosa Nuestra "SALSA CRIOLLA 1" Sayariy Producciones 7753218000074 (2011)

クリオージョ音楽の華麗なる名作 バルトーラ&ロス・エルマノス・バルデロマール

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Bartola Y Los Hnos. Valdelomar.jpg

コサ・ヌエストラの新作にやや不満を抱きながら、
一緒に手に入れたこちらを続けて聴いたら、思わず満面笑顔になってしまいました。
そうそう、コサ・ヌエストラの新作に欲しかったのは、この濃厚な味わいなんですよ。
どんどん洗練されて薄口になるラテン世界のなかで、
ペルーのクリオージョ音楽は、唯一無比といえる野趣な味わいを保つ、希有な大衆音楽。
その稀少性に感じ入っているからこそ、ぜひその良さを生かしてほしいと願うファンには、
まさしくうってつけのアルバムなのでした。

しかも、歌っているのが、前回話題にあげたばかりのバルデロマール兄弟と
女性歌手のバルトーラなのだから、役者は揃ったってなもんです。
3人とも堂々たる歌いっぷりで、ディープな味わいながら、
けっして暑苦しくならない歌い口とキレのよさに、1曲終わるたび、タメ息がもれます。

特に嬉しかったのが、ぼくのごひいきのバルトーラが、
以前と変わらぬ歌いっぷりを聞かせてくれていること。
かつて、クリオージョ音楽という枠を超えて、
ラテン世界で最高の女性歌手と入れ込んでいたエバ・アイジョンが、
2010年前後あたりのアルバムから、声に衰えを隠せなくなり、
それを補うためか歌いぶりが粗くなってきたのを、とても残念に思っていただけに、
バルトーラの太く揺るがない声の魅力に、嬉しくなりました。

これまでぼくは、バルトーラがエバ・アイジョンの後進の歌手だとばかり思っていたんですけれど、
調べてみたら、なんとエバよりひとつ年上なんですね。これには、びっくり。
バルトーラのソロ作を聴いたのは、02年のイエンプサ盤が最初で、
すでにヴェテランの域を感じさせる歌声に、相当なキャリアを持つ人と思えましたけれど、
ソロ作が少なく、どういう経歴か知らないままだったんですよね。

本作では、ニコメデス・サンタ・クルース、ラファエル・オテロ・ロペス、カルロス・アイレといった
クリオージョ音楽の名作曲家たちによるバルスを中心に、フェステーホ、ポルカなども歌っています。
切れ味たっぷりのギターの音色に加えて、フェリックスが叩くカホンに、
カスタネット、カヒータの響きがサウンドをさらに華麗にしていて、う~ん、血が沸き立ちますねえ。
季節が秋めいて、乾いた風がひんやりと感じる今日この頃にぴったりの、
クリオージョ音楽ファンに最高の名作です。

Bartola Y Los Hnos. Valdelomar "LLÉVAME CONTIGO" no label no number (2013)

マリネーラ愛 フリエ・フレウンド

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Julie Freundt  ARINERA VIVA.jpg

なつかしや、フリエ・フレウンド。
クリオージョ音楽は、濃い口の歌手でこそ聴き応えがある、な~んて言ってたそばから、
フリエちゃんのアイドル声もたまんないんっす、なぞとやにさがるワタクシであります。

いやー、変わんないねぇ。とってもかわいい、その歌声♡
「かわいい」なんていう歳では、すでにないはずですけれど、
歌いぶりのチャーミングさは、90年のデビュー作からちっとも変わっていない。
だいたいこのキュートな歌声で、オーセンティックなクリオージョ音楽や
アフロペルー音楽を歌い続けてきたんだから、変わり種というか、なんというか。

リマのペーニャのような大衆的な味わいを持つ歌手とは出自がぜんぜん違う、
育ちのいい山の手のお嬢さんのような雰囲気は、
てやんでぇ、そんな声でバルスが歌えるもんかい、とケチをつけたくなるところなんですけど、
なぜかこの人は、昔から憎めなかったんだよなあ。

その清廉な雰囲気というか、およそ下町庶民とは育ちの違う人ながら、
伝統的なペルー音楽と真摯に向き合い、愛情を注ぎこんできたことの伝わってくる歌声は、
とても共感できたんですよねえ。
同じように、真摯にアフロペルー音楽に向き合ってきた人で、
フリエ以上に学究的というか、インテリ・タイプのスサナ・バカがいますけど、
ぼくはスサナ・バカは受け入れられませんでした。

だって、スサナ・バカの歌って、味もへったくれもないじゃないですか。
さらに、サウンドづくりの観念的なところなど、
あー、インテリはこれだからなあと、鼻白んじゃうんですよねえ。
知的な外国人にはウケても、リマの庶民からは支持されないタイプというか、
メルセデス・ソーサあたりと似た立ち位置の人って感じがしますね。
あ、ぼくは、メルセデス・ソーサも大の苦手です。

一方、もっとポピュラー寄りの人に、タニア・リベルタなんて歌手もいて、
アフロペルー音楽に挑戦したアルバムを出してたんですけど、これまたぼくはダメ。
素材として取り上げているだけなのが見え透いていて、シラけるんですよ。
フリエ・フレウンドの歌だって、伝統的な歌い回しとは全然違う淡泊な歌いぶりなのに、
それでもなお彼女に魅力を感じる理由は、伝統音楽に対する愛情が、
きちんとこちらに伝わってくるからだと思います。

新作はマリネーラ集。
マリネーラ・リメーニャとマリネーラ・ノルテーニャの両方を歌っていて、
ノルテーニャではサックスをちゃんと使っているところが盛り上がりますねえ。
面白いのは、楽譜集とセットになっていることで、全曲の譜面に合わせて、
マリネーラとトンデーロの解説が載っています。

チャブーカ・グランダの“Fina Estampa”のチャーミングな歌いぶりなんて、
まさにフリエ・フレウンドならではといったところで、すっかりお気に入りとなっています。

Julie Freundt "ARINERA VIVA" Acordes Producciones no number (2015)

タイの宝物 ウタイラット・グートスワン&チャンチラー・ラーチャクルー

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Utairat Kerdsuwan & Janjira Rachkru  SOMBAT THAI VOL.2.jpg

昨年末聴いた、タイの仏教歌謡レーのアイドル・デュオ、
ウタイラット・グートスワン&チャンチラー・ラーチャクルーの新作。
前作は、曲調に変化がなく単調きわまりない内容に加え、
地味なプロダクションという悪条件にもかかわらず、
二人の歌のうまさに引き込まれて、すっかり惚れ込んでしまいました。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2015-12-26

新作は、前作『タイの宝物』の続編で、今回はDVD付。
男女の恋模様を寸劇にしたものや、あでやかなタイ舞踊で演じられる映像は、
どれもおそらく、仏教説話がもとになっているものと思われます。

歌われている言葉がわかれば、意味もわかるのでしょうけど、
映像だけで内容を想像するのは、なかなかハードルが高いなあ。
外国人には雰囲気のさわり程度しか感じ取ることができませんけれど、
レーがタイ仏教を大衆芸能化したものであることだけは、よく伝わってきますよ。

今回のDVDでは、ウタイラットとチャンチラーの歌を聴き分けることもできました。
長身のウタイラットは、チャンチラーより声がやや低めで、
まろやかな歌い口に円熟味を感じるとともに、こぶし使いが絶品。
これみよがしにこぶしを使うのではなく、
繊細で正確に回す鮮やかな技巧に、うならされます。
一方、背の低いチャンチラーは、ウタイラットより高めの声でハリがあり、
押し出しの強さに、若々しさが表れています。

今回もプロダクションは、歌伴に徹しているため、聴きどころはなく、
二人の歌のうまさを聴き込むことしかできないわけですが、
次作ではそろそろ、ジョムクワン・カンヤーのアルバムのような、
サウンドの変化が欲しいですねえ。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2015-11-20

[CD+DVD] Utairat Kerdsuwan & Janjira Rachkru "SOMBAT THAI VOL.2" Here no number (2016)

新妻のういういしさ ファン・フォン・アン

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Phạm Phương Anh  MỘT MAI ANH RỜI XA.jpg

はじめ聴いた時の印象が薄くて、
しばらく寝かせたままにしていた、ヴェトナムの新人女性歌手のデビュー作。
典型的な抒情歌謡なんですけど、すぐにピンとこなかったのは、
あまりにも暑すぎる真夏に聴いたせいだったのかな。

涼しくなってきたので、あらためて聴いてみれば、いやぁ、いいじゃないですか。
レー・クエンのレパートリーに通じる、古風でロマンティックな佳曲がいっぱい。
長調と短調を行ったり来たりする不思議なメロディの1曲目は、
60~70年代に活躍したトラン・クアン・ロックという作曲家によるもの。
トラン・クアン・ロックは長く忘れられていた作曲家だったそうで、
90年代に入ってから再評価されるようになったんだとか。

2曲目の“Một Mai Em Rời Xa” も、もしレー・クエンが歌ったら、
すごくドラマティックになりそうな悲恋の曲ですけれど、感情を抑えた風情が、
わが国では絶滅した清純派歌手の雰囲気そのもので、好ましいですね。
そしてアルバムのラストを飾るのは、
レー・クエンが10年作の“KHÚC TÌNH XƯA” で歌っていた“Buồn” ですよ。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2011-12-11
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2012-08-21

ヴェトナム中部ダナン出身のファン・フォン・アンは、
03年のコンテストで金賞を獲ってから本格的な歌手活動に入ったのだそうで、
このデビュー作を出すまで12年もかかったということは、
けっこう下積みが長かったんですね。

満を持したデビュー作は、全編スロー・バラードのアルバム。
繊細な歌い口で、ほのかな色気を感じさせながら
スムースに歌うファン・フォン・アンは、後味がとても爽やかです。
最初聴いた時、あまりにもスムースすぎて印象に残らなかったのも、
そのクセのなさゆえだったのかもしれません。

丁寧に歌うファン・フォン・アンの歌をバックアップするプロダクションもデリケイトで、
ストリングスを配しつつも、適度にヌケのいいサウンドが、
さらりとしつこくない歌の良さを引き立てています。
ファン・フォン・アンの歌のチャーミングな表情は、新妻のういういしさを思わせます。

Phạm Phương Anh "MỘT MAI ANH RỜI XA" Thăng Long no number (2015)

圧巻の65作目 オリヴァー・ムトゥクジ

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Oliver “Tuku” Mtukudzi  EHEKA! NHAI YAHWE.jpg

インタヴューに関心のないぼくですが、これまでに一度だけ、
自分からやらせてほしいと手を挙げたのが、13年に来日したオリヴァー・ムトゥクジでした。
インタヴューは45分という短い時間でしたが、
話を聞きながら伝わってくる、オリヴァーの包容力のある人柄、
その懐の深さ、思慮深さ、相手を思いやるユーモアに、すっかりまいってしまい、
以来、オリヴァー・ムトゥクジは、音楽家としてだけでなく、ぼくの心の師としています。

国を代表する音楽家でありながら、華やかなイメージがなく、
むしろ、傷だらけのヒーローといった印象を強く受けたのは、
大勢の仲間の死と向き合ってきたキャリアと、無関係ではありません。
とりわけ、10年に最愛の息子を亡くしたことが、どれだけ深い哀しみだったかは、
12年作"SARAWOGA" の冒頭のア・カペラに象徴されていましたよね。
オリヴァーの歌から、あれほどの慟哭が溢れ出したことは、かつてありませんでした。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2013-05-26

あのアルバム以降、オリヴァーの歌いぶりに、
哀しみの表現が深く刻まれるようになったのを感じます。
からっとした陽性の曲の中にも、苦闘の人生を示す額の皺が表され、
じわりとしたコクが滲んでくるんですね。
それは、今年8月にリリースされた新作でも、はっきりと聴き取れますよ。

年輪を増して、枯れた味わいさえ感じさせるようになったオリヴァーの歌声ですが、
新作では、ますます説得力を増した歌いぶりを聞かせているのが印象的です。
ヒュー・マセケラのトランペットをフィーチャーした、
スローの“Kusateerera” の歌いっぷりなんて、これまでになく胸に迫るものがあります。

夫婦の運命について歌ったという“Haasi Masanga” にも、グッときたなあ。
この曲は奥さんのデイジー・ムトゥクジと歌っているんですけれど、
これまで奥さんと歌ったことなんて、ありましたっけ。
つらい哀しみを乗り越えた夫婦だからこそ、つかみ取れた覚悟がそこにはあります。

Oliver Mtukudzi  MUKOMBE WE MVURA.jpg   Oliver Mtukudzi  GOD BLESS YOU.jpg

オリヴァーは12年作"SARAWOGA" のあと、
14年にライヴ盤“MUKOMBE WE MVURA” をリリースしました。
スタジオ・ライヴ形式の新作といった内容で、
拍手や歓声を抑えたミックスで、スタジオ新緑と変わらぬ出来栄えになっていました。

翌15年には、12年10月南アで行われた、60歳を祝うバースデイ・コンサートのライヴ盤を、
2枚組CDとDVDでリリース。こちらのライヴは、過去のヒット曲が満載です。
1曲目が、なんと78年デビュー作のタイトル曲“Ndipeiwo Zano” だったのには驚かされましたが、
おおむねレパートリーは、90年代以降の曲を中心に歌っています。

ゲストに女性歌手のシフォカジ、ジュディス・セプーマに加え、
南ア・ジャズのミュージシャンたち、ヴェテランのヒュー・マセケラから、
スティーヴ・ダイアー、ルイス・ムランガが加わって、華を添えています。
CDだと演奏が長すぎて、少し間延びするところもあるので、
ステージでオリヴァーとメンバーがダンスする姿を楽しめるDVDで観る方が、オススメです。

Oliver ‘Tuku’ Mtukudzi  ONE NIGHT AT SIXTY CD.jpg   Oliver ‘Tuku’ Mtukudzi  ONE NIGHT AT SIXTY  DVD.jpg

そして今年に入り、過去作からゴスペル曲を抽出した編集盤“GOD BLESS YOU” を出し、
それに次ぐ新録の本作は、65作目を数えるものとなりました。
タイトルの英訳は“ENJOY! MY DEAR FRIEND”。
音楽によって人に道を説き、人々を笑顔にさせてきたオリヴァー・ムトゥクジ。
幾多の悲劇を越えた説教師オリヴァーの強さがにじみ出た、圧巻の作です。

Oliver “Tuku” Mtukudzi "EHEKA! NHAI YAHWE" Tuku Music/Sheer Sound SLCD402 (2016)
Oliver Mtukudzi "MUKOMBE WE MVURA" Tuku Music/Sheer Sound SLCD309 (2014)
Oliver ‘Tuku’ Mtukudzi "ONE NIGHT AT SIXTY" Tuku Music/Sheer Sound SLCD320 (2015)
[DVD] Oliver ‘Tuku’ Mtukudzi "ONE NIGHT AT SIXTY" Tuku Music/Sheer Sound SLDVD013 (2015)
Oliver Mtukudzi "GOD BLESS YOU" Tuku Music/Sheer Sound SLCD393 (2016)

ファンキー・ハイライフの名盤誕生 パット・トーマス

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Pat Thomas  COMING HOME.jpg

ストラットが、ついにやってくれましたよ。
エボ・テイラーに続いて、ハイライフのヴェテラン・シンガー、
パット・トーマスをカムバックさせ、新録アルバムを制作したので、
いつか黄金時代の録音もまとめてくれるはずと、期待していたんです。

今回リリースされたパット・トーマスの編集盤は、
ソロ歌手として独立する以前の、名門ダンス・ハイライフ・バンド、
ブロードウェイ・ダンス・バンド在籍時の60年代録音に始まり、
深刻な経済危機に陥ったガーナを離れる直前の81年録音まで、
パットの全盛期を俯瞰したアルバムとなっています。

Ogyatanaa.jpg

選曲でニンマリとしたのが、オヤタナー・ショウ・バンドにゲスト参加して歌った
“Yaa Amponsah” を収録していたこと。
アフリカ音楽ファンにはお馴染みのパームワインの古典曲「ヤー・アンポンサー」を、
ファンキー・ハイライフにがらりと変身させた名カヴァーです。
ベンベヤ・ジャズの“Mami Wata” を借用し、ギタリストのナナ・オフォリのブルース・リフも
キャッチーなヴァージョンとなっているんですね。
75年のLP“YEREFREFRE” のB面ラストに収められていた曲ですが、、
本編集盤ではシングル盤の音源を使っていて、シングル盤のタイトルは
“(Super) Yaa Amponsah” と、頭に「スーパー」を付けているのが面白いですね。

初めて聴く曲も多く、パットが最初に結成したスウィート・ビーンズでのヒット曲
“Revolution” は本格的なレゲエで、その高い演奏力にうなってしまいました。
パットの歌いぶりも、ジミー・クリフを思わせるみずみずしいもので、魅入られましたよ。
ほかにも、全盛期のファンキー・ハイライフのグルーヴに溢れた曲がてんこ盛りで、
これはパット・トーマスの代表作というだけでなく、ファンキー・ハイライフの名盤といえますね。

ライナーのパット・トーマスへのインタヴューを読んで、ああ、そうなのかとわかったのは、
ボガ・ハイライフのボガ burger の意味。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2015-03-25
80年代の経済危機で職を求めてドイツへ渡ったガーナ人たちのことを、
ガーナで burgers と呼んだのだそうです。
パットもドイツへ渡ったあと、ロンドンやトロントなど転々としたようですね。

また、ほかにもわかった事実としては、パットのブロードウェイ・ダンス・バンドへの参加年。
拙著『ポップ・アフリカ700/800』や下の記事で、「69年」と書いていたのですが、
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2015-06-21
パットはインタヴューで「67年」と答えています。

しかし、ブロードウェイ・ダンス・バンドがウフルー・ダンス・バンドに改名したのは64年なので、
67年では整合せず、64年以前でないとおかしいことになります。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2012-09-16
パットの記憶違いなのか、改名年の64年が間違いなのか、よくわかりません。
ちなみに、CDの背やディスク・レーベルには“1967-1981” とあるのは、
このパットの言によるものと思われますが、なぜか本作の表紙には“1964-1981” とあります。
「1964」が単なる誤植なのか、それともほかに何か理由があるのか、謎が残ります。

Pat Thomas "COMING HOME : ORIGINAL GHANAIAN HIGHLIFE & AFROBEAT CLASSICS 1967-1981" Strut STRUT147CD
[LP] Ogyatanaa "YEREFREFRE" Agoro AGL014 (1975)

伝統フナナーの名作 ビトーリ

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Bitori.jpg

アナログ・アフリカの新作は、なんとカーボ・ヴェルデのアコーディオン弾き
ビトーリのアルバムと聞いて、ちょいオドロキ。
アナログ・アフリカは、お蔵入りのマスター・テープに光を当てて、
世に出すことをモットーにしていたレーベルだったのに、
既発アルバムの再発とは、宗旨替えをしたんでしょうか。

それはともかく。
貴重な伝統フナナーが聞けるビトーリを再発してくれたとは、いやぁ嬉しい。
そんなことを言う奴は、世界でアンタだけ、そもそもなんでこのCDの存在を知っているのと、
レーベル・オーナーのサミー・ベン・レジェブに驚かれちゃいましたけどね。
このCDを知っているヤツなんていないと思ってたなんて、サミー、甘~い。

実はですねえ。10年くらい前だったか、
カーボ・ヴェルデ音楽を扱っているサイトで、ビトーリのCDを見つけてオーダーしたんですけれど、
すでに売り切れ、廃盤で手に入らなかったんですよ。
これ以外にもう1枚ビトーリのCDがあるんですけれど、そちらも同じく売り切れ。
その後も、カーボ・ヴェルデ音楽サイトを見つけるたびに問い合わせていたんですが、
とうとう手に入らなかったんでした。

なので、今回サミーがそのCDを再発してくれたのは、大歓迎なのであります。
オリジナル盤は、ビトーリ・ニャ・ビビーニャ&シャンド・グラシオーザ名義で、
オランダのCDSミュージック・センターから98年にリリースされたもので、CD番号はCDS09。
ただ、オリジナルのCDに入っていた“Papa Nuni” “Sodadi” の2曲が
未収録になってしまったのは、ちょい残念でありました。

ここらへんのことは、ライス盤の解説には触れられていませんが、
シャンド・グラシオーザは、フェロー・ガイタというグループで活躍する
歌手兼フェロー(スクレイパー)奏者で、ビトーリのレコーディングに尽力した立役者です。
そのへんの事情はライス盤解説にゆずるとして、
ライス盤の解説で1箇所訂正の必要があるのは、ビトーリの本名。
「ヴィトール・タヴァレス」とあるのは、「ヴィクトール・タヴァレス」の誤りです。

反対にライス盤の解説を読んで、ぼくも誤りを気付かされたのが、
ビトーリと同様、90年代末のフナナー再評価で見直されたヴェテランのフナナーのミュージシャン、
コデー・ジ・ドナの生年。これはライス盤解説に書かれているとおり、1940年が正しく、
『ポップ・アフリカ800』に「28年生まれ」と書いたのは誤りで、ここに訂正させていただきます。

あ~、やっぱり40年が正しかったのか。
実は、『ポップ・アフリカ700』では「40年生まれ」と書いていたんですよ。
その後、どうも表紙写真から察するに、もっと年寄りに見えたので、
別の資料で28年生まれとあるのを見つけて、こちらが本当だろうと、
『800』出版の際に修正しちゃったんですよねえ。失敗しちゃったなあ。
もっと複数の資料に当たるべきでした。反省。

ともあれ、90年代末に盛り上がった伝統フナナーの再評価で、残された貴重な録音。
シンセ代用のへなちょこポップ・フナナーでは味わえない、
アコーディオンが醸し出すグルーヴを堪能できますよ。
『ポップ・アフリカ700/800』に掲載したコデー・ジ・ドナのCDは、現在入手困難なので、
ぜひこちらのビトーリで、伝統フナナーを聴いてみてください。
メレンゲが好きなラテン・ファンや、ザディコ・ファンもぜひ。

Bitori "LEGEND OF FUNANÁ" Analog Africa AACD081 (1998)
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