江利チエミや雪村いずみに続く、
日本のポップス・シンガーの草分け的存在だったという、沢村みつ子。
恥ずかしながら、全盛期のコロムビア時代の録音を集大成した本2枚組が出るまで、
まったく知りませんでした。いやぁ、こんな人がいたんですねぇ、ビックリです。
11歳でコロムビア・レコードからデビューした時は、
同じくコロムビア専属の美空ひばりに続く豆スターと呼ばれ、脚光を浴びたといいます。
新たな天才少女歌手という評判も、けっして誇張でなかったことは、
54年から56年までのSP時代の録音をまとめたディスク1を聴けば、まるっとわかりますよ。
録音データと突き合わせると、11歳から14歳ということになるんですが、
その歌唱力は、とんでもない高さですね。
少女時代の美空ひばりが、
大人顔負けの表現力と、リズムのノリに天才ぶりを発揮していたのに対し、
沢村みつ子は、音程の確かさ、ディクションの良さなど、
音感にバツグンの能力を発揮していたことがよくわかります。
先輩の雪村いづみや江利チエミが歌った「ウシュカ・ダラ」は、その白眉。
1番をトルコ語の原詞で歌っているんですが、
チエミが歌った「ウスクダラ」のカタカナ発音とは大違いの堂の入った歌唱で、
美空ひばりが歌った英語・日本語交じりの「上海」に匹敵するスゴさです。
沢村は42年12月に大阪に生まれたあと、すぐに沖縄へ引っ越し、
48年の夏から母とともに、米軍キャンプの専属歌手となって将校クラブで歌い、
53年に日本コロムビア沖縄代表となったという経歴の持ち主。
幼い頃に英語をおぼえ、外国語の発音を習得する耳の良さがあったんでしょうね。
53年の8月には東京へ進出して日劇へ初出演し、
翌年54年の6月には渡米してMGMと契約、
ミュージカル『ラスヴェガスで逢いましょう』でフランキー・レインと共演し、
「ジュディ・ガーランド・ショー」にも出演するという、まさに破竹の勢いでした。
「沙漠の踊り子」「ジェシー・ジェームス」「パパはマンボがお好き」といった、
国際色豊かな当時の洋楽ヒット曲のカヴァーも楽しいんですけれど
(なんと「スコキアン」も歌っています!)、
ぼくが惹かれたのは、55年録音の「あの子南の島娘」「なはの踊り子」の2曲。
沖縄代表で東京に進出した沢村にとって、故郷に錦を飾った曲といえるご当地ソングで、
そのオリエンタルなメロディは、細野晴臣の『泰安洋行』ファンならシビレもの。
誰の作曲かと思いきや、なんと2曲とも服部良一。
うわー、さすがだねえ。このキャッチーなメロは、たしかに服部良一です。
ほかにも服部良一が作った曲は、これまで未発表だったという「テキサスのバンジョ弾き」
「ネェ、ネェ、ネェ」「東京ハイティーン」の3曲が収録されていて、
これまた聴きものとなっています。
デビュー当初の沢村の姿は、映画でも観ることができるのだとか。
日劇ダンシングチームの谷さゆりとのダブル主演で抜擢された
『ジャズ・スタア誕生』(東宝 監督:西村元男)は、54年1月21日に公開され、
沢村はクライマックスで主題歌の「星空を仰いで」を堂々と歌っているとのこと。
この映画には、南里文雄とホット・ペッパーズ、多忠修とビクター・オールスターズ、
ジョージ川口とビッグ・フォア、東京キューバン・ボーイズのほか、
日劇のトップシンガーだった柳澤真一やフランキー堺まで登場するという、
当時のジャズ・ブームを反映した豪華絢爛なもの。
54年1月公開といえば、雪村いづみが主演した『娘十六ジャズ祭り』(新東宝)と
同じ月じゃないですか。『娘十六ジャズ祭り』はDVDで持っていますけど、
『ジャズ・スタア誕生』はいまだDVDにはなっておらず、いや~、観てみたいですねえ。
沢村みつ子 「沢村みつ子 スーパー・ベスト」 日本コロムビア FJSP415