カーボ・ヴェルデのアントニオ・サンチェスが生涯にたった1枚だけ残した
83年のLPは、知られざるポップ・フナナーの快作でした。
アナログ・アフリカが、18年にLP限定でリイシューして、
ぼくもこのレコードの存在を知ったんですけれど、玉石混交というより、
ほとんど「石」だらけのポップ・フナナーのなかで、
このレコードは間違いなく「玉」といえる名作でした。
ところがこのレコード、ポルトガルのソダッド・シリーズの一枚で
すでにCD化されていたんですね。うわぁ、知らなかったなぁ。
あわてて入手して、じっくりと聴いてみれば、シンセサイズされたフナナーばかりでなく、
‘Bencã̧o De Gente Grande’ と‘Pinta Manta’ の2曲はバトゥクじゃないですか。
アナログ・アフリカのサイトにはそうした指摘がなく、
ひょっとしてサミー・ベン・レジェブは、バトゥクをわかってないのかも。
アコーディオンをシンセサイザーに置き換え、
ギターやドラムスを取り入れてエレクトリック化したポップ・フナナーは、
カーボ・ヴェルデ独立後の70年代末、新世代の若者たちが集まったバンド、
ブリムナンドが始めたものでした。
独立前に演奏を禁止されていたフナナーを、ブリムナンドはまったく新しい姿で蘇らせ、
ポップ・フナナーは瞬く間にブームとなり、
新生カーボ・ヴェルデを象徴する音楽となったんですね。
しかし、ぼくがこうしたポップ・フナナーを評価しないのは、
ドラムスがフナナーのリズムに合った叩き方をクリエイトせず、
安直なロックのエイト・ビートを持ち込んだからです。
これがブリムナンドからフィナソーンまで、
主要なポップ・フナナーのバンドに共通するダメなところで、
レパートリーもフナナーに焦点を絞らず、
つまらないポップ・ナンバーやスロー・バラードをやる不徹底ぶりに、
なおさら興味をそがれたものです。
さて、そんな安直なロック化とは次元の異なるポップ・フナナーを生み出した
アントニオ・サンチェスは、49年のクリスマス・イヴに、
サンティアゴ島の都市シダーデ・ヴェーリャで生まれました。
父親はフェロー(金属製ギロ)奏者で、母親はバトゥクのグループに所属する音楽一家で、
アントニオも幼い頃から歌とフェローを習い、プライアの食肉市場で働いていました。
カーボ・ヴェルデ独立3年前の72年に、
友人の歌手フランク・ミミタとともにリスボンに移り住み、
音楽以外のさまざまな仕事で生計を立てていましたが、
ミミタの勧めで、カーボ・ヴェルデ人歌手のバナが経営していたレストラン、
モンテ・カラで歌を歌ったことから、運命が変わります。
当時モンテ・カラでハウス・バンドを務めていたのが、
カーボ・ヴェルデ伝説のグループ、ヴォス・デ・カーボ・ヴェルデでした。
70年代初頭に一度解散したものの、バナと音楽監督のルイス・モライスによって再結成し、
モンテ・カラを拠点に演奏活動を再開していたんですね。
その後バナは、グループに新しいサウンドを取り入れようと、
キーボードを加えることを考え、パウリーノ・ヴィエイラを島からリスボンに呼び寄せ、
ルイス・モライスに代わって、パウリーノがリーダー兼チーフ・アレンジャーとなります。
当時のヴォス・デ・カーボ・ヴェルデには、
ドラムスのティト・パリス、ベースのベベトがいて、
パウリーノの弟のトイ・ヴィエイラが82年にリスボンに招かれて参加していました。
モンテ・カラで歌ったアントニオ・サンチェスの生々しいヴォーカルに
惹きつけられたパウリーノは、すぐさまアントニオをレコーディングに誘い、
リスボンのスタジオでたった一日のセッションによって、本作を完成させます。
アントニオはレコーディング当日、スタジオへ歌詞を持たずにやってきて、
ヴォス・デ・カーボ・ヴェルデのメンバーを驚かせます。
ところが、フナナーを即興で歌うアントニオの本領が発揮されて、
メンバー全員がノリまくり、レコーディングを特別の場に変えてしまったという、
メンバーの証言が残されています。
モルナやコラデイラの伝統のなかで育ったトイ・ヴィエイラは、
当時ブームになっていたブリムナンドのポップ・フナナーをなぞろうとしましたが、
アントニオは違うサウンドを作りたいと、トイのシンセサイザーの音色に注文を付けます。
そうしたアントニオの注文が功を奏し、
ポップ・フナナーの特徴といえるシンセの軽いサウンドではなく、
アコーディオンの音色に近づけた低音の利いたサウンドで、
粘りのあるリズムを生み出しているんですね。
ポップ・フナナーらしからぬ重量感が、本作のキモですね。
アントニオが演奏していると思われるフェローのビートも前面に打ち出され、
バトゥクの2曲では、チャベータを叩くビートがしっかりとグルーヴを生み出しています。
アントニオの怒鳴るように歌う奔放なヴォーカルも、パワフルそのもの。
奴隷文化の伝統を継いだフナナーのどす黒さが発揮された名作です。
ちなみに、アナログ・アフリカの2000枚限定LPは、
バンドキャンプのページを見ると、まだ150枚以上売れ残っているようです。
どういうわけだか曲順を変えていて、なんでこういう無意味なことをするのかなあ。
António Sanches "BULI POVO!" Sons D’África CD332 (1983)