デビュー作は、こうでなくっちゃねえ。
若さはじける歌声がまばゆい、ラヘル・ゲトゥのデビュー作です。
94年アディス・アベバ生まれ、
11歳から青少年シアターで歌手兼俳優としてキャリアを積んできた人だそう。
メリスマをテクニカルに効かせながら、アーティキュレーションも鮮やかな
ダイナミズムを感じさせる歌いぶりのオープニングから、
リスナーをその歌唱に引きずり込みます。
晴れ晴れとした堂々たる歌いっぷりに、
思わず上手いなぁとウナった1曲目に続く2曲目では、
一転チャーミングな歌いぶりに変わり、もうラヘル・ゲトゥの魅力にクラクラ。
ラヴァーズ・ロックばりのチャーミングなレゲエの3曲目、
泣きのサックスが入ったティジータの4曲目、
マシンコとクラールをフィーチャーしたアムハラ民謡調のタイトル曲と、
どんなレパートリーにもぴたっとハマる歌唱は、
デビューしたばかりの新人とは思えぬものがあります。
それもそのはず、ラヘル・ゲトゥはエチオピア初のガール・ユニット、
イェンヤ Yegna の一員だったんですね。
イェンヤは、13年に英国の国際開発省(当時)とナイキ財団が設立した
ガール・ハブから誕生したプロジェクトでした。
ガール・ハブは、女性の地位向上をめざした社会運動で、
教育の制限や早期の強制結婚、家庭内暴力にさらされる少女たちを、
新たなネットワークによって連帯させ、少女たちの意識を変えるとともに、
社会変革を促すことを目的としていました。
エチオピアでは、約700万人の思春期の少女たちが1日2ドル以下で生活をしていて、
約半数の少女が15歳までに結婚し、10人中9人が外出に許可が必要で、
5人に1人は友だちがまったくいないと答えています。
5人組のイェンヤのなかで、ラヘル・ゲトゥは、ゼビバ・ギルマとともに最年少でしたが、
当時のインタヴューなどを見ると、もっとも積極的に発言しています。
彼女たちの初のミュージック・ヴィデオは、50万回の視聴回数を越え、
2作目のヴィデオでは、デスティニーズ・チャイルドやインディア・アリーをてがけた
ダレン・グラントが起用され、イェンヤの人気は決定的なものとなりました。
それと同時に、彼女たちはラジオ・ドラマで、ストリート・ガール、
過保護な親に抑圧された少女、都会の社交的な少女、
家事に忙殺される田舎の少女、暴力的な父親を持つ少女を演じました。
ドラマの最後に放送されるトーク・ショウでは、ドラマで提起された問題を取り上げて、
少女たちに考えさせ、固定観念で凝り固まった行動を変えることを促しました。
エチオピアのスパイス・ガールズなどと形容された彼女たちでしたが、
こうしたガール・ハブの運動を通して成長したことが、
ラヘル・ゲトゥの歌声に、凛とした輝きを宿しています。
Rahel Getu "ETEMETE" Awtar no number (2021)