レバノンのシンガー・ソングライター、タニア・サレーの新作が届きました。
“10 A.D.” のタイトルが意味するのは、
「離婚後10年」(10 years after divorce)とのこと。
レバノンに限らずアラブ諸国は、女性の権利は最低限しか認められておらず、
男性支配によるさまざまな社会的なタブーによって、
女性の自由は大きく制限されています。
そうした社会で離婚した女性が人生を送るのはいばらの道で、
女性が中年であれば、年配の男性との付き合いはためらうし、
若い男性にとっては年上すぎて、新たなパートナーを見つけるチャンスはほとんど無いそう。
新作は、レバノンで女性が不当に扱われていることをテーマにした曲が
歌われているとのことで、タニアも離婚経験者だということは、今回初めて知りました。
なるほど、タニアがノルウェイのレーベル、
シルケリグ・クルチュールヴェルクステドに移籍して、
ガラリと音楽性を変えたことがナットクいきました。
タニアが97年に出したデビュー作は、いわゆるアラブ歌謡ファンを驚かせた音楽性で、
ひとことでいえば、完全にオルタナ世代のポップスで、
シャバービーとはかなり距離のある音楽をやっていました。
そのデビュー作はとうに手放してしまいましたが、14年を経て出したセカンド作も、
ロック、レゲエ、ラップなどが交叉するデビュー作と同じ音楽性で、
両作ともタニアの夫フィリップ・トーメによるプロデュースだったことが、
大いに影響していたものと思われます。
このセカンドは、パッケージのデザイン性の高さがスゴイんですよ。
カヴァー・ケースを外すと、中央のCDトレイの両側に、
長いカヴァーが六つ折となっていて、ぱたぱた開くと、
絵本のようになっているんです。立派なアート作品ですね。
ところが、レーベルを移籍して出した14年作は、1・2作目から一転、
ジャジーなサウンドとなりました。ロック的なサウンドはまったく見られなくなり、
これまでアラブ色皆無だったのに、ブズークやミズマール(ダブル・リ-ドの笛)、
レク(アラブのタンバリン)といったアラブ楽器を使うようになっています。
そして、サレーがつぶやくような唱法に変わったのには、一番驚かされました。
もう、これはほとんど別人ですよ。
ギターのバチーダにネイが絡んで、バックでうっすらとヴォブラフォンが鳴るサンバあり、
クラリネットとハミングするアラビック・ボサ・ノーヴァあり、
ジャズやエレクトロな音感を溶け合わせて、フェイルーズにも通底する
レバノンらしい歌心を披露しているんです。
レバノンの女性カーヌーン奏者イマン・ホムシに捧げた曲では、
ヴァイオリンとユニゾンでハミングして、
アラブの音階を使ったコケットリーな哀歓を漂わせています。
そして新作は、14年作以上にアラブ色のあるサウンドを聞かせていて、
地中海的なメロディをアラブの楽器を使いつつ、
クラシックの弦楽四重奏にアレンジして、
オルタナやトリップ・ホップの感性をうかがわせるエレクトロなサウンドスケープで
包んでいます。14年作では姿を消したロック的な音感も一部復活しています。
かつて新感覚派と呼ばれた、レバノンのオルタナ世代の音楽性の成熟を感じる新作です。
Tania Saleh "10 A.D." Kirkelig Kulturverksted FXCD476 (2021)
Tania Saleh "WEHDE" Tantune no number (2011)
Tania Saleh "A FEW IMAGES" Kirkelig Kulturverksted FXCD404 (2014)