ノー・フォーマット!に別れを告げ、
古巣のワールド・サッキットに戻って新作を出した、ウム・サンガレ。
うん、それが正解だよね。
ノー・フォーマット!みたいなスカしたレーベルじゃあ、ウムの良さを生かせませんよ。
ノー・フォーマット!から17年に出した“MOGOYA” を、
ポンコツとまで酷評するのは、ぼくくらいなもんでしょうけど、
同じレパートリーを3年後にわざわざ再録音、すなわち、やり直したってことは、
“MOGOYA” の制作陣への強烈なダメ出しってことでしょ。
プロデューサー不在の生音編成のイッパツ録りの方が格段に良いんだから、
“MOGOYA” の制作陣は、マジで反省すべきですね。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-09-10
というわけで、“MOGOYA” のプロデューサー陣は全員クビになり、
今回はウムのほか、フランス白人のニコラ・ケレと、
在仏グアドループ人ギタリスト、パスカル・ダナエがプロデュースを務めています。
ママドゥ・シディベのンゴニと、パスカル・ダナエのスライド・ギターを中心に、
バラフォンやプールの笛、ジェンベほかの打楽器といった西アフリカの楽器に、
キーボード、モーグなどの鍵盤や、クラリネット、スーザフォンなどの西洋楽器を、
曲によって使い分けしながら、アンサンブルを構成しています。
ウムは、20年に短期滞在でアメリカにいた折にロックダウンで足止めをくらい、
マリの政情不安から故国に戻ることもできなくなったんですね。
そこで思い切ってアメリカで暮らすことを考え、
仕事をしていたニュー・ヨークにほど近いボルチモアに家を見つけて買い、
一人暮らしを始めたのだそうです。
本作の曲は、ワスルの伝統曲にアダプトした
ラスト・トラックの‘Sabou Dogoné’ を除いて、
ボルチモアの家に一人こもって、書き上げたと語っています。
そしてボルチモアの自宅に、
ンゴニ奏者のママドゥ・シディベをロス・アンジェルスから招き、
3か月間、曲作りからベーシック・トラックの録音までを共同作業で行ったんですね。
ちなみにママドゥは、ウムの最初のンゴニ奏者だったという旧知の仲。
ワスル音楽の人気歌手でウムの最大のライヴァル、
クンバ・シディベのグループに引き抜かれて、クンバと共にアメリカへ渡っていたんですね。
しかし、クンバが09年5月10日ブルックリンで亡くなってしまい、
ママドゥはロス・アンジェルスに移住していたそうです。
重厚なブルース・サウンドでスタートするオープニングの‘Wassulu Don’ で、
西欧リスナー向けの演出を施したのは、スライド・ギターを弾くパスカル・ダナエ。
フランスにいるパスカル・ダナエとは、パンデミック下のファイル交換で
ミックス作業を繰り返したそうです。そうしたミックス作業を重ねていても、
ウムのワスル音楽の軸はまったくぶれておらず、
カマレ・ンゴニのリズムがしっかり息づいているのがわかりますよね。
ウムは当初、あまりに西欧リスナー向けに仕上がったこの曲の
アフリカでの反応を心配したそうですが、故国マリでも大絶賛されたそうです。
トンブクトゥを憂えたタイトル曲も、ウムの息子がアラブにルーツを持った女性と結婚して
お孫さんが生まれ、トンブクトゥの文化と無縁でなくなったことが動機になったとのこと。
マリ北部紛争で破壊されたトンブクトゥを再建するだけにとどまらず、
トンブクトゥの歴史の再構築が必要なことを、あらためて強く意識するようになったと、
ウムはインタヴューで語っています。
自由と民主を希求して闘ってきた、ワスルの活動家ならではの発言でしょう。
フェスティヴァルなどでは、アフリカのスーパー・スター扱いされるウムですけれど、
マリ民主化運動のシンボルとして登場したワスル音楽家としての原点が、
いまも揺らぎがないからこそ、ぼくはウムを支持しています。
グリオがいないワスル社会では、誰でも音楽を歌ったり演奏することができます。
ウムは、そんなワスルの自由な気風を一身に受け継いで、
世界的に成功した初のシンガーなのですよ。
いらぬ心配かも知れませんが、ウムには、ミリアム・マケーバや
アンジェリーク・キジョのようなアフリカ文化大使の役割を担って、
足をすくわれることのないよう、願いたいですね。
Oumou Sangaré "TIMBUKTU" World Circuit WCD101 (2022)