「コンゴのシンガー、パパ・ウェンバ死す」。
4月24日、BBCニュースが流した第一報に、えっ!とびっくりして、
あわててネットで情報を探すと、ウェンバがステージで倒れた時の映像が上がっていて、
雷に打たれるような衝撃をおぼえました。
アビジャンで開催されていた、マヌアボ・ミュージック・フェスティヴァルでのステージ。
4曲目が始まったところだったといいます。
まさかステージで倒れて、そのまま逝ってしまうなんて。
プリンスの急死で世界に衝撃が走った矢先、まさかの出来事に、ちょっと茫然自失です。
享年66。
芸能者として、サップールとして、貫きとおした人生といえるのかもしれません。
劇的すぎるその死もまた、ウェンバにとってみれば幸せな最期だったのでしょう。
でも、それを見届けなければならないファンにとっては、
本当にキツイできごとです。
悲しい、なんて言葉ではとても足りない。
とてつもない虚脱感に襲われます。
飛び込んできた訃報を咀嚼することができず、
「カンベンしてくれ」と、正直つぶやいていました。
しばらくして我に返って頭に思い浮かんだのは、
そうか、それじゃ、あの“MAITRE D’ECOLE” が遺作になったのかということ。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2014-08-09
ラスト・アルバムは、ウェンバもすばらしい作品を残せたんですねえ。
不出来な作品が続いた晩年の最後に、パッとひと花咲かせるとは、
ナイジェリアのシキル・アインデ・バリスターと同じになったなあ。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2011-01-15
03年ウェンバ逮捕の前後は、バラツキの激しい粗い作りのアルバムが続き、
もうウェンバもダメかと思ったものでした。
世紀を越えたあたりから、ウェンバの顔付きがどんどん悪くなり、
ホントにマフィアのような悪党面になっていくのが正視に絶えず、
CDを買う気が削がれたものです。これ、音楽家の顔じゃないだろうって。
ウェンバ逮捕のニュースに、裏ビジネスに顔突っ込んでいたのが、
単なるウワサじゃなかったことを知り、正直、音楽家として終わったなと思いました。
だから余計に、自然体で作った“MAITRE D’ECOLE” のポップな大人のルンバ・ロックには、
ウェンバの復活と新境地を実感させ、嬉しかったんですよ。それなのにねえ。
思い起こせば、86年5月に初来日した時の感激、
武蔵野市民文化会館のコンサートもさることながら、
コンサートに先立って吉祥寺東急百貨店の屋上で開かれた、
来日歓迎パーティでの生ウェンバのカンゲキが今も忘れられませんよ。
あの時の青空、今もくっきりと瞼に浮かびます。
さらば、ウェンバ。
[コンサート・パンフレット] パパ・ウェンバ&ビバ・ラ・ムジカ 初来日公演86 武蔵野文化事業団
[LP] Papa Wemba Et L’Orchestre Viva La Musica "LE JEUNE PREMIER" TIP TIP001