マーマーエーがアメリカに亡命していた2003年、
在日ミャンマー人社会の招きにより、初来日が実現しました。
当時、ミャンマー人の雑貨店によく通っていたぼくは、
マーマーエーの古いカセットのジャケットと同じ絵をあしらったチラシが、
店内に貼ってあるのに、おや?と気付きました。
イラストのほかは、びっしりとビルマ文字が書かれているだけで、
なんのチラシだかわからず、店の親父さんに訊ねてみると、
なんとマーマーエーのコンサートの告知だというじゃありませんか。
チケットも売っているというので、喜び勇んで購入すると、
これまたビルマ文字ばかりで、日時・場所すらわからず。
「9月21日 上野・水上音楽堂」だと教えてもらいました。
在日外国人コミュニティのコンサート情報というのは、
アクセスのない一般の日本人にはまったく伝わってこないので、
事前にコンサートの情報をキャッチできたのはラッキーでした。
この時だって、マーマーエーの絵に目がとまらなければ、
店の人に訊ねることもなかっただろうし、
そもそも絵がなかったら、気付きようもなかったでしょうからね。
事後に歌手の来日情報を知って地団太を踏む、なんてことが何度もあったので、
この時ばかりは、すごく嬉しかったです。
さて、当日は、5時間にも及ぶ長丁場のプログラムで、
素人のカラオケのど自慢に始まる、ミャンマー演芸祭といった趣。
あいにくの雨模様で、そのうえ季節外れの寒さに震えた午後でした。
上野の水上音楽堂には屋根があるんですが、冷えた堅いベンチの上で、
マーマーエーのステージが始まるのをじっと待つのは、なかなかの苦行でしたよ。
カラオケ大会では、客席のマーマーエーが審査員を務めてコメントもするんですが、
間延びした進行で空き時間も多く、その間にマーマーエーにサインをいただきました。
声をかけるのに、一瞬臆してしまうような大物感を醸し出していて、
さすが大御所といったオーラを放つ人でしたが、ぼくの差し出した仏教歌謡集のCDに、
さっと早業で小さくサインを入れたのが印象的でした。
あとにもさきにも、こんなに小さくサインした人って、マーマーエー一人だけだなあ。
長いカラオケ大会がようやく終わり、ステージの準備が整うと、
サウン(竪琴)2台を伴奏に歌う女性歌手の前座が始まります。
そして、待ちに待ったマーマーエーが、いよいよステージに登場。
サンダヤー・トゥンエーヌエのキーボードのほか、ヴァイオリンなど
在日ミャンマー人演奏家を伴奏に、伝統歌謡をたっぷりと歌ってくれました。
ちょうど同じ年の2月、ポップスから伝統歌謡まで幅広く歌うメースウィが来日して、
生のミャンマー伝統歌謡を経験したばかりだったんですけれど、
マーマーエーの歌は、格が違いましたね。
マーマーエーはこの後07年1月にも再来日したそうですが、
事前に情報をキャッチできず、見逃してしまいました。
もっともこの再来日時は風邪をひいていて、歌声はいまひとつだったとも聞きましたが。
さて、話は変わり、その後軍政に終止符を打ったミャンマーは、
それまでの政治的抑圧を緩め、マーマーエーも12年に帰国を赦されました。
現在はヤンゴンでコンサートを開くなど、祖国での音楽活動を再開していますが、
まだ一時帰国をしながらの活動となっています。
アメリカで心臓バイパス手術を受けたマーマーエーは、
ミャンマーの医療施設では不安があることに加え、
高額の医療費をミャンマーで稼ぐこともできないとして、
本格的な祖国復帰は、いまだ実現していないのでした。
2003年9月21日 上野・水上音楽堂 マーマーエー・コンサート告知チラシ
2003年9月21日 上野・水上音楽堂 マーマーエー・コンサート・チケット
Mar Mar Aye "NA CHE SHI SUU" no label no number