大学生の頃、アフリカの民俗音楽を集中的に聴き込んでいたことは、
一度ここで書いたことがあります。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2014-07-08
当時、進路に迷っていた頃で、文化人類学の研究者になる道へ転向するか、
それとも、今の大学で経済学部に籍を置いたまま卒業して、一般企業に就職するか、
結局、フツーの会社員になる道を選んだわけなんですが。
当時、アフリカの民俗音楽で一番お世話になった先生のひとりが、
ディスク・オコラを設立した音楽学者のシャルル・ドゥヴェルでした。
そのシャルル・ドゥヴェルの写真集が出るというので、
楽しみにしていたんですが、届いてびっくり。
296ページに及ぶ、ずっしりとした重量感たっぷりのファイン・アート写真集。
オコラのレコードで見慣れた写真が、多数掲載されているんですが、
シャドウがつぶれていたり、粗い印刷だったものが、
見違えるような美しさに生まれ変わっていて、
ページをめくるたびに、コーフンにつぐコーフン。
6×6で撮ったモノクロームの諧調の美しさは、絶品です。
もちろん初めて目にするカット、未発表だった写真もたっぷりあって、
夢中になって見てしまいました。
巻末のインタヴューを読んで驚いたのは、
シャルル・ドゥヴェルの関心が、民俗音楽いっぺんとうではなかったということ。
彼はアフリカン・ポップスも大量に聴いていて、
オコラを辞めたあと、ナイジェリアでフェラ・クティと親交を持ち、
カラクタ襲撃事件直前のカラクタに、数日間滞在したこともあるそうです。
また、オコラの音源をリミックスして大ヒットを呼んだ
「ブランディ・ブラック」に関しても、オドロキの事実が書かれていました。
「ブルンディ・ブラック」を発売したバークレイ社のオーナー、
エディ・バークレイとシャルル・ドゥベルは友人同士で、
エディ・バークレイは、「ブルンディ・ブラック」の制作当初から、
シャルル・ドゥヴェルに相談を持ち掛けていたそうです。
シャルル・ドゥヴェルは、ブルンディ大使館を通じ、
録音権利者への分配が行えるように手配したうえで、
あの12インチ・シングルを発売したものだったんですね。
ブルンディ大使館の全面的なバックアップによって、
発売されたものであったのにも関わらず、
当時、帝国主義的な第三世界の文化搾取といった文脈で批判されたのは、
あまりに一方的でした。
ブルンディ・ブラックについて書かれた記事は、
ミュージック・マガジンの81年7月号で中村とうようさんが書かれた
「運命の波にもまれるブルンディ・ドラム」が最初だったと思います。
この記事では、文化搾取式の言辞は述べられていませんが、
「そのすばらしいブルンディのタイコの録音に、
けしからぬ小細工をほどこしたやつが現れた」
と書かれているので、とうようさんがお気に召さなかったのは事実でしょう。
のちにこの記事が、『地球が回る音』に再録された際は、
タイトルが「盛大に盗用(?)されるブルンディ・ドラム」と改題されていました。
「(?)」を付しているあたりは、さすがに慎重ではありますが、
単純な盗用ではなかったという経緯を知れば、
とうようさんの評価も違ったものになったかもしれません。
この写真集には2枚の付属CDも付いていて、
アフリカとアジアのフィールド録音がそれぞれ編纂されています。
オコラとプロフェットのディスコグラフィーも最後に掲載されていますが、
シャルル・ドゥヴェル自身がフィールド録音したアルバムも、
録音は別人が行い、ディレクションのみ関わったアルバムも特に区分けされていません。
最後に、個人的に思い出深いオコラのアルバムで、
シャルル・ドゥヴェル録音・監修の3枚(上)と
録音は別人で監修のみの3枚(下)をご披露しましょう。
[CD+Book] Hisham Mayet "THE PHOTOGRAPHS OF CHARLES DUVELLE : Disques OCORA and Collection PROPHET" Sublime Frequencies SF110 (2017)
[LP] "MUSIQUE MALGACHE" Ocora OCR24 (1965)
[LP] "MUSIQUE MAURE" Ocora OCR28 (1970)
[LP] "MUSIQUES DE L’ANCIEN ROYAUME KUBA" Ocora OCR61 (1970)
[10インチ] "MUSIQUES FALI (NORD-CAMEROUN)" Collection Radiodiffusion Outre-Mer SOR9
[10インチ] "MUSIQUE KABRÈ DU NORD-TOGO" Ocora OCR16
[LP] "MUSIQUE DU BURUNDI" Ocora OCR40