なんじゃあ、こりゃあ!
とんでもないリイシューCDが登場しましたよ。
エチオピア黄金時代の名歌手テラフン・ゲセセの63年の初アルバム!
63年? 初アルバム?
エチオピア音楽事情に詳しい人なら、ほんとかよ、それ、と疑いますよね。
エチオピアで初の商業用レコードが出たのは、69年のこと。
アムハ・エシェテが立ち上げたアムハ・レコードから出た、
アレマイユ・エシェテの45回転盤が第1号だったんですから。
60年代のエチオピアは、情報省の統制下で、出版などが厳しく制限されていた時代でした。
外国資本のフィリップスですら、まだレコードは輸入販売のみで制作はしておらず、
まだ20代で向こう見ずな若者だったアムハ・エシェテが
インディペンデントでレコード会社を興すなど、無謀そのもののことでした。
じっさいアムハはそのせいで投獄も経験していて、
フィリップスはアムハの後から恐る恐るという感じで、
翌70年からシングル盤制作をスタートさせたのでした。
アムハ・レコードなど商業録音が始まる以前のエチオピアのレコードは、
国家管理のもとでSPなどが制作され、60年代に少量のシングル盤はあったようですが、
詳細はわかっていません。少なくとも63年が本当なら、民間の録音というのはあり得ず、
国営ラジオ局のラジオ・エチオピアで録音されたものくらいしか想像がつきません。
ましてや、63年で初アルバムなど、ますます信じがたく、
これまでディスコグラフィで知られているテラフン・ゲセセのLPは、
75年のアムハ盤AELP110 の1枚だけのはずでした。
ところがCDを聴いてみると、確かにLPとして制作されたとしか思えない録音なんですね、これが。
バンド演奏ではなく、マンドリンのみを伴奏にテラフンが8曲歌っていて、
最後の1曲はマンドリン・ソロとなっています。
63年といえば、テラフンがインペリアル・ボディガード・オーケストラのトップ・シンガーとして
活躍していた時代です。このマンドリン奏者は、当時テラフンに多くの曲を書いていた作曲家で、
インペリアル・ボディガード・オーケストラのメンバーでもあったアイェレ・マモで間違いないでしょう。
ちなみに、アイェレ・マモは今も健在で、
近年はアディス・アクースティック・プロジェクトで活躍しています(写真中央下)。
拙著『ポップ・アフリカ800』のアディス・アクースティック・プロジェクトを紹介したページで、
アイェレ・マノと誤記してしまったのは、痛恨の極みでした。
おわびしてここに訂正させていただきます。
テラフンの歌声も、63年なら23歳という若さ。
それもナットクのいく若々しいソウルフルな歌声を聞かせています。
このCDを制作したのは、ぼくが今年のエチオピアン・ポップの最高作と持ち上げた、
エリザベス・テショムをリリースしたエヴァンガディ・プロダクション。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2015-10-17
う~ん、このレーベル、目が離せなくなりそうですねえ。
それにしても、いったいこの音源、どこから掘り起こしてきたんでしょうか。
盤起こしでなく、ちゃんとマスターから取ってきたような音質の良さですよ。
商業録音が始まる前の60年代音源が、まだどこかに残されているんだろうなあ。
そういえば、ゲタチュウ・メクリヤのエチオピーク・シリーズ第14集で、
50年代後半のハイレ・セラシエ皇帝劇場オーケストラ時代の録音が
1曲だけ復刻されたこともありましたよねえ。
フランシス・ファルセトが編集した写真集“ABYSSINIE SWING” で音を想像するばかりだった、
ハイレ・セラシエ皇帝劇場オーケストラ、トップ・セラウィット・オーケストラ、
ポリス・オーケストラの録音だって、きっとラジオ・エチアピアあたりの倉庫に、
眠ったままになってるんじゃないんでしょうか。
そんなことを想像し始めると、夜も眠れなくなりそうです。
Tilahun Gessesse "NURILIGN HIYWETE" Evangadi Productions no number
Addis Acoustic Project "TEWESTA : REMEMBRANCE" World Village 468091 (2011)