グアドループのカーニヴァル・グループ、アキヨの新作は、
結成40周年を記念する3枚組超大作。
夜のメイン・ストリートをパレードする写真をジャケットにあしらった前作が、
収録時間わずか36分と、少々物足りなかっただけに、
今回の全40曲、総収録時間199分という圧巻のヴォリュームには大満足です。
アキヨといえば忘れられないのが、09年にグアドループ島で勃発したゼネストです。
フランス本土の1.6倍以上という物価高に怒りを爆発させた市民1万人が、
08年12月16日、生活状況の改善を掲げてポワンタ・ピートル市の街頭をデモし、
このデモをきっかけに、49の労働組合や政党、社会・文化団体が結集し、
LKP(過剰搾取反対連合)が結成されました。
このときLKPに参加した団体の一つが、アキヨだったのです。
アキヨは、カーニヴァルに参加する単なる音楽グループではなく、
ブラジル、サルヴァドールのオロドゥンにも匹敵する文化団体であることを、
この時あらためて再認識させられたものでした。
グアドループで独立運動が高まった78年に結成されたアキヨは、
反植民地主義・反戦・反核を掲げる、
急進的な文化抵抗運動のグループだったんですね。
80年代にはカリブ革命同盟が爆弾闘争を繰り広げ、独立運動が激化しますが、
アキヨを設立した主要メンバーで画家でもあるジョエル・ナンキンは、
破壊活動の罪で83年から89年の間、投獄されています。
ナンキンがシャバに出て、アキヨのデビュー作がリリースされたのは、93年のこと。
アキヨ結成から、じつに15年もの歳月が流れていました。
現在、ジョエル・ナンキンはアキヨを脱退していますけれど、
95年の第2作“DÉKATMAN” のジャケットで、
ナンキンのグラフィックが飾られていましたね。
さて、09年のゼネストの話題に戻ると、
LKPは賃上げや生活必需品の値下げなど165の要求項目を綱領に掲げ、
1月20日からグアドループ全島で無期限のゼネストに突入、公共サービスはもちろん、
商店、学校、ガソリンスタンドなど、すべての経済活動が停止しました。
奇しくも1月20日はオバーマがアメリカ大統領に就任した日であり、
フランス海外県の出来事は、国際的な関心を呼ぶことはありませんでした。
グアドループのゼネストはその後も収まることなく、
ついに2月5日にはマルチニークやインド洋のレユニオン島へも飛び火し、
2月17日には暴徒化したデモ隊が商店を襲撃し、車を放火して、死者1名を出します。
こうしたゼネストのさなか、
LKPの主要団体である労働組合UGTGのエリ・ドモタ代表と、
県知事や経営者団体の代表らが団体交渉を行っていたビルを、
アキヨの何十人ものメンバーが取り囲み、
太鼓を打ち鳴らし、夜通しグウォ・カを演奏したそうです。
ゼネストは6週間もの長期間に及び、
グアドループのLKPならびにマルチニークの団交組織
<2月5日集団>の要求はほぼ全面的に受け入れられ、
同意書に双方が署名した3月4日、クレオールの太鼓とリズムにのった社会運動は、
労働者側の全面勝利を収めたのでした。
しかし、これがいっときの勝利であったことは、忘れてはいけないでしょう。
植民地時代を引きずる社会構造に、本質的なメスは入れられず、
抜本的な改革への道筋すら、いまだつけられていません。
かつてマラヴォワのメンバーに、公務員が多いのを奇妙に思ったものでしたけれど、
これはフランス政府の海外県に対する温情主義政策により、
本土の1.4倍の公務員給与が支払われ、
労働者3人に1人が公務員といういびつな就業構造を示していた実例だったんですね。
20代の失業率が50%を超す雇用状況も、依然として改善されないままです。
ともあれ、ゼネストの勝利が、アキヨの活動を勢いづけたことは確かでした。
40周年記念作は、グアドループのカーニヴァルとグウォ・カの再生を通して、
クレオール文化を発展させてきたアキヨの歴史を体現しています。
多様な伝統リズムにのせた、
現代的なアレンジのパーカッション・ミュージックは、聴きどころ満載。
通奏低音のように鳴り響くチャントをバックに、
野太い声が筋肉隆々のヴォーカルを聞かせる‘Krak-la’には胸を打たれました。
Akiyo "40 ANOS G.A.M.E" Mouvman Kiltirel Akiyo MKA008 (2018)
Akiyo "MASTODONT" Mouvman Kiltirel Akiyo MKA007 (2013)
Akiyo "DÉKATMAN" Déclic Communication 50491-2 (1995)