不思議な歌を聴きました。
フォークのようでフォークじゃない。これまでにない感触の日本語の歌。
明瞭な日本語の発音、こぶしの入った節回し、朗々と歌いもすれば、
演劇的な台詞回しもする。かつての日本語フォークのようでありながら、
フォークぎらいのぼくをグイグイ惹きつけるのだから、どうやら別物のようです。
歌のナゾはさておき、このアルバムの分かりやすい魅力は、その音楽性の豊かさ。
冒頭のサンバから、ジャズ、フォーク、カントリーを取り込んで、
自分の音楽にしっかりと血肉化させているところは、頼もしさを覚えます。
なになに風の借り物サウンドにならないのは、
すべてこの人の音楽に消化されているからですね。
ほのぼのとしたオールド・タイミーなサウンドに見え隠れする不穏な影や、
アヴァンなコラージュにも、一筋縄でいかない音楽性を感じます。
一方、メロディには、わらべ唄や唱歌のような「和」の香りがするのが、
この人の不思議な魅力。何度も聴くうちに、折坂が書くメロディと、
歌詞の日本語の収まりが、飛び抜けて良いことに気付きました。
この人の歌詞がはっきりと聞き取れるのは、そこに理由があるんですね。
いわゆるかつての日本語フォークにあった字余り感はまったくなくて、
言葉の持つリズムやイントネーションに対する感性が、鋭敏な人のようです。
日本語の響きにこだわった言葉選びが、
時に古めかしい言葉づかいになっているようにも思えますけれど、
それがすごくメロディとマッチしているんですね。
新宿のタワーレコードでインストア・ライヴを
やるというので、のぞいてきたんですが、
思いがけず強度のある歌いぶりで、
ちょっと驚かされました。
ひ弱ささえ覚える風貌なのに、
声の圧がスゴくって、気おされましたよ。
ノドを詰めた声や、似非ホーミーみたいな
声を出すパフォーマンスも聞かせて、
どれも我流ぽいんですが、それがすごく良かったな。
ギターも、ナインスやディミニッシュを
多用していましたけれど、
ジャズ・ギターを学んだとかじゃなくて、
これまた独学自己流ぽいんですね。
最近は、なんでもスクールで
習ったりするようですけれど、
この人は、歌もギターも自分で創意工夫しながら、
ひとつずつ自分の表現を獲得してきたとおぼしき確かな手ごたえを感じます。
その独創力が歌にいさぎよさを宿していて、頼もしかったです。
大器じゃないでしょうか。
折坂悠太 「平成」 PCI ORSK005 (2018)