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♪ラメチャンタラ ギッチョンチョンで パイノパイノパイ
パリコト パナナで フライ フライ フライ♪
大正時代のコミック・ソング「東京節」を知ったのは、いつだったんだろう。
小学生の時、ザ・ドリフターズがカヴァーしているのを聞いて、
すぐ一緒に歌えたくらいだから、もっと幼い頃、たぶん母親が歌うのを聴いて、
覚えたんじゃないかと思うんですけれど。
ぼくの幼児期の音楽体験といえば、
もっぱら父親のラテン・レコード・コレクションでしたけれど、
そういう正統(?)な音楽体験じゃなくて、
母親が歌っていたわらべ唄とはいえない珍妙な歌が面白く、
何とはなしに覚えてしまったものが、いくつもあります。
それが書生節の「東京節」や、数え唄の「日露戦争」といった俗謡でした。
母は昭和6年、芝の愛宕町で板長の次女に生まれました。
女学生の時に東京大空襲に遭い、愛宕山の愛宕神社へ逃げ込んで、
命からがら助かったという戦争体験をした世代の人です。
子供の頃に聞かせてくれた母の俗謡は、母のリアルタイムの時代の唄ではなく、
明治生まれの祖母から習った唄が多く、
女の子のお手玉唄などが多かったように思います。
その歌詞が、西南の役だったり、日露戦争だったりと、
あまりにも時代がかった不思議なもので、それで妙に記憶に残ったんでしょうね。
![街角のうた 書生節の世界.jpg](http://bunboni58.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_17d/bunboni58/E8A197E8A792E381AEE38186E3819FE38080E69BB8E7949FE7AF80E381AEE4B896E7958C.jpg)
そんな記憶をまざまざと呼び覚まされたのが、
93年に出た『街角のうた 書生節の世界』です。
この時初めて母の歌の原曲を聴き、
タイムスリップするような感覚をおぼえましたけれど、そればかりでなく、
秋山楓谷・静代、鳥取春陽、神長瞭月の歌いっぷりは、めちゃくちゃ新鮮でした。
このCDはすごく愛聴したんですが、その後書生節を聴くチャンスは訪れず、
今回のCD復刻まで、26年も待たされてしまいました。
父が、戦中期のハワイアン・バンド、カルア・カマアイナスのメンバーとご学友という、
帝大生のおぼっちゃまくんだったのに対し、
母は、ひと筋違いにお妾横丁があるような庶民的な下町育ちだった好対照さが、
ぼくの音楽嗜好の両極を育ててくれたように思えてくるのでした。
v.a. 「大正滑稽はやり唄 -書生節と小唄による風刺・モダン・生活-」 ぐらもくらぶ G10043
v.a. 「街角のうた 書生節の世界」 大道楽 DAI005