南アフリカ共和国に囲まれた内陸国レソトに、
ファモと呼ばれるアコーディオン音楽があります。
ファモのもっとも有名なグループに、タウ・エー・マッセカがいますけれど、
80・90・91年に出た彼らの3枚のLPから選曲したCDが、
このほど南アでリリースされました。
タウ・エー・マッセカが南ア国内で大きな名声を得たのは、
アコーディオン奏者のフォレーレ・モロヘロアが、
ポール・サイモンの『グレイスランド』に起用されたからですね。
もっとも世界的には、ほとんど知られていないグループなので、
このリイシューCDによって、タウ・エー・マッセカや、ソト人音楽のファモが
もっと知られるようになるといいんだけど。
ファモは、1920年代に南アの鉱山へ出稼ぎに行っていたレソトの労働者たちが、
シェビーンと呼ばれる非合法酒場で広めた音楽です。
仕事を終えた男たちが、アコーディオンを伴奏にコール・アンド・レスポンスで歌う、
ソトのワークソング由来の音楽でした。
やがてファモが酒場の音楽として人気を集めるようになると、
短いスカートを履いた女のダンサーたちも交じえて演じられるようになり、
下着を付けずに踊るという、酔客にはもってこいの、
エッチなお楽しみありのダンス・ミュージックとして流行ったのでした。
南アの政策変更によって、63年に大量のレソト人出稼ぎ者と
シェビーンのダンサーたちが本国へ帰還したことにより、
ファモはレソトへ持ち帰られます。
レソトではアコーディオンに加えて、石油缶で作った打楽器モロパが使われるようになり、
66年のレソトの独立とともに、ファモは下層庶民の酒場の音楽から、
レソトを代表する国民音楽へと変貌したんですね。
タウ・エー・マッセカも、70年代初めに南アの鉱山で働いていた
アコーディオン奏者のフォレーレ・モロヘロアと、歌手のアポロがコンビを組んで
結成されたグループで、南アのレコード会社CCPの目に留まり、
レコーディングした80年作がヒット。その後アポロが独立し、
新たな歌手を迎えて、90年代も活動を続けました。
ファモでは歌とディソコと呼ばれる語りを吟じられ、
ンバクァンガ顔負けのエネルギッシュな歌が、ツー・ビートにのせて歌われます。
硬質なベース音が強靭なグルーヴを生み出すところは、
南アフリカ黒人音楽と共通する特徴ですね。
全24曲、ファモの真髄がぎゅっと詰まった、
タウ・エー・マッセカのベスト・セレクションです。
Tau Ea Matsekha "MOHLAPE OA LITAU" Recordiana CDREC101