独立を目前に控えた植民地時代末期のアンゴラ音楽を受け継ぐ歌手を発見しました。
その人の名は、「合法化」という風変わりなステージ・ネームを持つ
レガリーゼこと、アントニオ・ドス・サントス・ネト。
アンゴラ独立宣言の2か月前、
75年9月7日、ルアンダのランゲル地区に生まれたレガリーゼは、
75年に暗殺されたソフィア・ローザに、77年のクーデター未遂事件によって粛清された
3人のセンバ歌手、ウルバーノ・デ・カストロ、ダヴィッド・ゼー、アルトゥール・ヌネスに
強く感化され、当時のセンバの作風を現代に継承しています。
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幼いころから、ウルバーノ・デ・カストロやダヴィッド・ゼーなどのセンバを
週末のパーティで歌う、近所でも評判の歌の上手い少年で、
9歳の時、アンゴラにやってきたブラジルのサンバ歌手
マルチーニョ・ダ・ヴィラが、テレビ出演した番組を見て触発され、
自分でも曲を書くようになったといいます。
新天地を求めて91年にポルトガルに渡りますが、夢と現実のギャップは大きく、
レンガ職人の助手からレストランの皿洗いなど、さまざまな仕事を転々とした末、
00年にセンバレガエというレゲエ・バンドに拾われ、プロの歌手としてスタートします。
当時のポルトガルでは、ラスタ・ムーヴメントの「ファンカンバレガエ」がブームで、
センバレガエもそうしたバンドのひとつ。
のちにトロピカル・ルーツとバンド名を変えています。
アントニオ自身もボブ・マーリーが大好きになったそうですが、
ウルバーノ・デ・カストロの曲を歌うことも忘れてはおらず、
彼はそれを「レガエ・ネグロ」と称していました。
レガリーゼというステージ・ネームは、当時、不法移民を合法化するためのデモが
盛んに行われていて、友人たちから付けられたアダ名を気に入り、
そう名乗るようになったといいます。
03年に初のソロ・アルバムを出して、04年に帰国。
11年に出したキンブンド語で「山」を意味するタイトルのセカンド・アルバムが本作です。
なお、CDには2010年のクレジットがありますが、
じっさいのリリースは2011年だとのこと。
のっけから、あけっぴろげなレガリーゼの歌いっぷりに、胸アツ。
苦み走った声は、今日びの若手では出せない味ですねえ。
なるほど、ゴールデン・エイジのセンバを継ごうという熱い思いが、
そのヴォーカルからほとばしるのを実感させられます。
また、サウンドが嬉しいじゃないですか。全編生音重視のプロダクション。
アコーディオンの音色にディカンザが刻むリズム、
コンガのポ・ポ・ポ・ポ・ポと時折入れるアクセントは、まっこと正調センバの証し。
チャーミングな女性コーラスをフィーチャーしたり、
ズークの影響を感じさせるリズム・ギターのカッティングなど、
現代的にアップデイトされたセンバを、手を変え品を変え、楽しませてくれます。
10年前にこんな傑作が出ているのに、誰もレヴューしなければ、
ジャーナリズムも完全スルーのアンゴラのミュージック・シーン。
なんでこれほどのお宝の山をほっとくのか、気が知れないね、まったく。
Legalize "MULUNDO" LS Produções BMP033 (2010)